【三八《転換の予兆》】:三

 行きはスーパーマーケットまで慣れない全力ダッシュをし、帰りは卵を割らないように慎重に急いで来た道を戻る。そして、本日二度目の刻雨高校の校門を尻目に、すぐに校舎に向かって栄次と一緒に歩いて行く。


 模擬店区画は相変わらずの賑わいだったが、文化祭が始まって時間が経ったこともあり、校舎の入り口は落ち着いていた。

 パンフレットにある構内図を見ながら、凛恋のクラスがメイド喫茶をやっている家庭科室を目指す。


 入り口は落ち着いていたものの、校舎の中は人で埋め尽くされて、人混みに卵が潰されないように注意しながら慎重に足を進める。


「家庭科室でやってるメイド喫茶、メイドの女の子は可愛いし料理も美味いし、もう一回くらい行かないとな」

「女子の手料理が数一〇〇円で食べられるし、オムライスにはメッセージも書いてくれるし。俺は大好きとハートマークを書いてもらったぜ」


 すれ違う男二人組が楽しそうに会話しているのを聞いて複雑な気分になる。

 凛恋が一生懸命準備した出し物が好評なのは嬉しい。それに、凛恋の手料理が褒められているのも誇らしい。

 しかし、仮に商売だとしても、凛恋の手料理がどこの誰かも分からない男に食われた挙げ句、オムライスのケチャップだとしても大好き+ハートマークを、どこの馬の骨かも分からん男が楽しんでいるのは嫌だ。

 凛恋にそんなつもりが全く無いのは分かるのだが、凛恋の好きな気持ちを取られた気分になる。

 こんなことなら、モニターを頼まれた時にオムライスのメッセージサービスを反対しておくべきだった。


「栄次! 凡人くん!」

「希!」


 廊下の奥からピンク色のクラスTシャツを着た希さんが駆けてくる。そして俺と栄次の持つ、卵の入ったビニール袋を見て両手を合わせた。


「二人共ありがとう。せっかく遊びに来てもらったのに買い出し頼んじゃって」

「いや、俺もカズも校舎に入れるまでの時間を持て余してたし大丈夫」


 栄次は軽くビニール袋を持ち上げて微笑む。それを見て希さんは笑顔を浮かべて、俺にも両手を合わせた。


「凡人くんもありがとう」

「気にしなくていい。希さんの頼みだし、何より凛恋の頼みだからな」

「うん、ありがとう。早速だけど付いて来て」


 希さんの先導で廊下を歩くと、メイド喫茶らしいファンシーな看板を掲げた教室が見える。ドアの上にあるネームプレートには『家庭科室』という文字が見える。


「そっちはお客様用の入り口になってるの。調理場はこっちから」


 教室の前後でフロアと調理場を分けているようで、俺と栄次は希さんに連れられて調理場の方のドアから中へ入る。

 家庭科室の中は間仕切りで仕切られていて、調理をする二人の女子が居た。


「もー、オムライスばっかり注文するなっての!」

「凛恋、向こう側に聞こえるよ」

「それで注文が減るならちょっとくらい聞こえてもいいわよ」


 ブツクサと文句を垂れながら凛恋はフライパンを返している。その姿を後ろで眺めていると、凛恋と話していた女子が俺の方を見てニコッと笑う。切山さんだ。


「でも、多野くんが食べたいって言ったら作るんでしょ?」

「当たり前よ。凡人が食べたいって言うものなら何でも作るわよ」

「凛恋は本当に多野くん大好きだよね」

「からかわないでよ」


 切山さんは当然、俺と視線を合わせていたから俺の存在に気付いている。しかし、凛恋は出入り口に背中を向けているため気付いていない。


「からかってないよ。昨日も準備しながら呪文みたいに呟いてたじゃん。終わったら凡人に会える、終わったら凡人に会える。って」

「そ、そんなこと呟いてたっけ?」

「呟いてた呟いてた。ねぇ? 希?」

「えっ!?」


 凛恋が皿の上にオムライスを載せた瞬間、クルッと後ろに顔を向ける。俺は視線の合った凛恋に左手を挙げた。


「お疲れ凛恋。頼まれた卵」

「凡人! ど、どこから聞いてた?」

「凛恋がオムライスばかり注文するなって嘆いてるところからだよね? 多野くん?」


 凛恋に問われて俺が答えるより先に、切山さんがニッコリ笑ってそう答える。そして、両手に腰を置いてため息を吐く。


「凛恋も贅沢よ。私が担当してるケーキの方はあんまり注文が入らないんだから。用意したケーキ全部捌けるか不安になってきた」

「萌夏~、凡人が居るの知ってて凡人のこと聞いてきたのね!」


 正面に居る切山さんに、真っ赤な顔をして怒る凛恋を宥めるため、凛恋に近付いて声を掛ける。


「凛恋、とりあえず卵を買ってきたけど何処に置けばいいんだ?」

「ありがとう凡人! そっちの調理台の上に置いておいて!」


 ニッコリと笑う凛恋の指示通り卵を調理台の上に置くと、背中から切山さんの声が聞こえる。


「さっきまで機嫌が悪かったのに、多野くんが来た途端にニコニコ笑って、凛恋って現金ね」

「萌夏だって彼氏が来たら喜ぶでしょ!」


 卵を置いて振り返ると、近くで希さんがクスクスと笑い凛恋の横顔を見ている。


「凛恋、開店してからずっとオムライスばかり注文が入って嫌気が来てたみたい。でも、凡人くんが来てくれて元気が出て良かった」

「オムライス、人気なのか……」


 希さんの言葉を聞いて、つい俺はその声が溢れる。

 そりゃあ、こんなに可愛い女の子の手料理だし、メッセージ付きだし……。

 家庭科室まで来るときと同じ思考を繰り返していると、横に立つ希さんが首を傾げる。


「凡人くん、どうかしたの?」

「いや、何で――」

「カズのことだから、凛恋さんのメッセージ付き手料理を他の男が食べられることに嫉妬してるんじゃないのか?」


 何でもないと流そうとしたのに、言葉を遮った栄次にピタリと言い当てられる。それを聞いた希さんがスタスタと歩き出し、凛恋の隣に立って耳打ちをする。

 凛恋に耳打ちをする希さんは、時折チラチラと俺の方を見て、希さんに耳打ちされている凛恋もチラチラと俺の方を見る。しかし、凛恋は少し驚いたような焦ったような、そんな表情をしていた。



 凛恋に卵を届けた後、再び俺と栄次は文化祭の出し物をぶらつく。正直、男二人だとどこへ行っても場違い感がある。それに、栄次が目立つから更に俺の精神は酷いことになっている。


 栄次に集まる視線だから、俺が気にする視線ではない。しかし、栄次を振り返る女子の視界に、俺も入っていることが居心地が悪い。俺に透明人間になれる力が無いのが悔やまれる。


「そろそろ休憩時間だって」

「休憩時間?」

「ああ、なんか人気過ぎて開けっ放しだと切りがないから、営業時間を区切ってるらしい」

「でも、今からが稼ぎ時じゃないのか?」


 スマートフォンを見ている栄次に言われて尋ねる。多分、希さんからのメール情報だろう。


「結構午前中でも目標金額には達したみたいだぞ。凛恋さんのオムライスが大人気だったんだってさ」

「そうか……」


 今まで何皿分の凛恋のメッセージ付き手料理が、知らん男の腹の中に入ったのだろう。


「カズ、凛恋さんのは商売だぞ」

「分かってる」

「分かってるのに、そんなに落ち込んだ顔するのか」

「栄次は、希さんの大好きはーと、って書かれた手作りオムライスを、名前も顔も知らん男が何一〇人も食べてて平気なのかよ」

「そりゃ、大好きはーと、まではしてほしくないけど、手作りオムライスは仕方ないだろ」

「そうだよな~」


 そうだよなとは言うものの、そうだよなと割り切れないのが現実だ。


「凛恋、もしかしてナンパとかされてないよな」


 大好きはーとのメッセージ付きの美味しい手作りオムライス。更に、それを作ったのが可愛い女の子だと知ったら、声を掛けようとする男はいくらでも居るはずだ。


「でも、ナンパされても凛恋さんはなびかないんじゃないのか?」

「凛恋が俺以外の男と付き合うなんてことは考えたくないけど、知らん男に下心のある目で凛恋が見られるのは嫌だ」

「まあ、凛恋さんはモテるから声掛けられることはあって当然だろ」

「そうだよな~。ハァ……」

「まあ、休憩時間ってことは二人も休憩だろから家庭科室に戻ろう」


 栄次の後ろからトボトボと付いていき、家庭科室を目指す。

 凛恋のことを疑う気持ちは微塵も無い。しかし、もし仮に、凛恋が俺より魅力的だと思う男が現れたら……。

 その思考が頭に浮かんだ瞬間、俺は頭を激しく振ってその考えを振り払う。そう考えたら、凛恋のことを疑っているのと同じだ。でも……やっぱり凛恋が他の男に取られてしまわないか不安だ。


 栄次に付いて歩いていると、見覚えのある家庭科室のドアが見えてきた。ドアには『休憩時間により閉店中』と書かれた紙が貼ってあり、室内の電気も消えているようだ。

 栄次が調理場の方のドアを開けると、中で希さんと凛恋が座っているのが見えた。しかし、二人の服装は朝会ったクラスTシャツ姿ではなかった。


 白いカチューシャを付け、黒を基調としたフリフリの服の上に、こちらもフリフリとした白いエプロン。王道も王道なメイド服だった。


「お、おかえりなさいませ、ご主人様?」


 真っ赤な顔をして、希さんが栄次に向かってそう言う。チラリと栄次の横顔を見ると、顔を赤くして生唾を飲み込んで言葉を失っていた。まあ、自分の彼女がメイド服のコスプレをして「おかえりなさいませ、ご主人様」なんて言ってくれたら、栄次のようになって仕方ない。それに、清楚な雰囲気の希さんによく似合う。


「の、希、凄く可愛い」

「あ、ありがとう、栄次」


 なんだか、付き合い立てのカップルのような初々しさを放つ二人から視線を逸らすと、椅子に座ってグッタリとする凛恋が見える。心無しか、頭のカチューシャもしなびている気がする。


「凛恋? 大丈夫か?」

「かーずーとぉー」

 凛恋の近くに寄って肩を叩いて尋ねると、顔を上げた凛恋が疲れ切った顔でそう俺の名前を呼ぶ。どうやら、午前中でかなりの体力を消耗したらしい。


「わっ、私、着替えてくるね」


 希さんの声が聞こえると、仕切りの向こう側に行った希さんを見送った栄次がニコニコしながら俺の近くに寄ってきた。


「希、恥ずかしかったみたいだけど、俺のために頑張ってくれたみたい」

「まあ、希さんの性格であそこまでやってもらえるのは栄次だけだろうな」


 希さんが着替え終わるのを待っていた栄次が、着替え終わった希さんと合流すると、すぐに二人で文化祭に繰り出して行った。そして、二人を見送ると、ムクっと立ち上がった凛恋が、内鍵を掛けて戻って来る。


「よし、これで二人っきりね」


 俺の隣に戻って来た凛恋は、メイド服の上に更にエプロンを掛ける。そして、食材の準備を始めて料理を始めた。


「凛恋? 何やってるんだ?」

「何って、大好きなご主人様に愛情たっぷりのオムライスを作ってるのよ」


 パチッとウインクをした凛恋はそう言い、手慣れた手付きでオムライスの調理を進める。

 メイド服姿の凛恋は本当に綺麗で可愛くて、料理をする動作にも華がある。そして、それを間近で見ている俺は、鼓動が速くなるのを感じた。

 出来上がったオムライスを皿に載せた凛恋は、オムライスの上にケチャップで何かを書いている。


「お待たせしました、ご主人様。メイド特製愛情たっぷりオムライスです」

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