【三八《転換の予兆》】:二

 凛恋は俺の言葉を聞いて困った表情をして、それからペロっと舌を出しておどけた表情をする。


「希と栄次くんには悪いけど、私は凡人の彼女補正抜きで凡人の方が良い男だと思う」

「それは無いな」


 凛恋の言葉に俺は首を振る。

 栄次は男女問わず人に好かれる人間だし、人付き合いもそつなくこなせる完璧なリア充だ。それに比べて俺は……まあ、今更自分で言う必要も無いくらいの典型的な非リア充だ。

 どっちが良い男かと聞かれれば一〇〇人に聞いて一〇〇人が全員、栄次だと答えるに決まっている。


「確かに栄次くんは優しい性格だし、誰と話しても無難に話せる。それに見た目も大抵の女子は格好いいって言う顔をしてる。でも、良い男って優しかったり誰とでも話せたり、見た目が格好良かったりすることじゃないのよ?」

「それだけあれば十分だろ。他に何がいるんだよ」

「自分を良い男だって思わないこと」


 歩きながら放たれた凛恋の言葉に、俺は思わず立ち止まりそうになる。そして、止まり掛けた足を動かしながら凛恋に聞き返す。


「自分を良い男だって思わないこと? ってことは、栄次は自分を良い男だって思ってるってことか?」

「多分、栄次くんの場合は自覚して『俺は良い男だ』って思ってはいないと思う。でも、初めて会ったカラオケの時から何となく感じてたんだ。あ~あの人は昔から人に褒められて来た人だって。それが悪いことでは無いんだけど、時々そういう自分に対する自信が空回りしてる時があるの。ほら、夏休みに栄次くん家でお泊まり会した時のこと覚えてる? レンタルショップで刻季のブルドーザー女と栄次くんが話してたやつ」

「ああ、あの件か」


 夏休みに栄次の家でお泊まり会をした日、夜にみんなで観るDVDを借りにレンタルショップに行った時、いつも栄次に積極的にアピールしているブルドーザー女子と出くわした。

 その時、栄次は希さんを放ってそのブルドーザー女子の話に付き合っていたのだ。それを見て、俺はキレた。


「あれほど酷いことはもう流石に無いんだけどさ。ちょっと栄次くんって無意識かもしれないけど、希のこと放っておくことが多いの。今日だって校門に着いた時に連絡をくれたの凡人だけだったし。確かに私と希は一緒に居るから、凡人と栄次くんが連絡してきても、凡人だけでも待ち合わせは出来る。だけど、そうじゃないのよ。やっぱり、彼氏から連絡が来ると嬉しいものなの。でも、栄次くんはそういうところがちょっとマメじゃない。それって、多分昔から格好いい格好いいって周りが褒めて周りから好き好きって言われ続けてきたせいだと思うの。そう言われてる人って、そういう人気に嫉妬してる人以外からはまず嫌われないし。特に希みたいに栄次くんを好きな子はまず嫌うわけがない。だから、栄次くんは無意識に好かれてることが当然だと思ってて、それに安心し過ぎてると思う。それで、希に対するマメさがあんまりない」


 そう言い終えて、凛恋はまた困った表情をする。


「でも栄次くんが希のことを好きだってのは分かるし、希のことを大切にしてるのも分かる。だけど、結構希の方は大変だからさ、栄次くんみたいに立ってるだけでモテてちゃう彼氏を持つと」

「希さん、なんか悩んでるのか?」

「まあ、それはね。安心してた時期もあったんだけど、やっぱり学校が違うから刻季での栄次くんの様子は分からないし、モテるのが分かってるからそれで不安もあるみたい。ペアのペンダントを付けてるってだけじゃ安心し切れないみたいで。希も凡人と同じような性格だし」

「希さんが俺と?」

「そっ、希も凡人も自分に自信が無いの。いや、自分に自信が無さ過ぎる。自信があり過ぎるのは問題だけど、無さ過ぎるのはもっと問題」


 凛恋は夜空を見上げてはにかむ。


「でも、それも希の良いところなのよね。自分に自信が無いから栄次くんに好かれようと一生懸命で。それが健気で見てて可愛くて」

「栄次に何か言った方が良いのかな」

「う~ん、凡人にそれとなく栄次くんに伝える、なんて高度なことは出来なさそうだしな~」


 ニヤッと笑って凛恋が言う。まさに凛恋の言うとおり俺にそんな真似が出来る訳が無い。出来る訳が無いのだが、なんだか複雑な気分だ。


「だから、それとなくじゃなくて直接言っちゃって。ちゃんと希にマメにしてって、希が結構不安になってるって」


 俺は凛恋の言葉が意外だった。そういうことは遠回しに言うものだと思ったからだ。


「凡人と栄次くんの関係なら、そういうの直接言っても絶対誤解しないと思うから。二人ってやっぱり昔からの親友だから、きっと凡人が話せばちゃんと栄次くんも考えるから。お泊まり会の日に凡人が栄次くんに怒ったときもそうだったし」


 凛恋はそう言うと、俺の腕を更に強く抱き締める。


「本当にあのとき格好良かった。もう凡人にドキドキしっぱなしで、こんな格好いい人が私の彼氏とかめっちゃ幸せ! って一人で盛り上がってた」


 ニコニコと笑う凛恋に言われ、俺は凛恋の体を引き寄せて頬を指で突く。


「ボーッとしてるから希さんを止め損ねるんだぞ」

「あ! あれはめちゃくちゃ焦った! 希が凡人に抱き付いてて、本当に希が凡人のこと好きになっちゃったかと思ったし!」


 そう話してお互いにプッと吹き出す。

 凛恋と一緒に居る時間は楽しい。それがただ学校から帰るだけの些細な時間でも、その時間のために何時間待ちぼうけたっていい。それくらい凛恋と一緒の時間は貴重で尊い時間だ。

 だから、この時間をこれからも変わらず積み重ねていけるように、俺はずっと凛恋のこの手を握ってなくちゃいけない。



 刻雨の文化祭は刻季の文化祭よりオープンな文化祭だ。そして、敷地面積の差もあるのだろうが刻季よりも規模が大きい。

 俺は刻雨の校門前に立った瞬間にめまいを覚えた。まだ学校の敷地内にも入っていないのに人混みが凄い。


 刻雨高校はこの辺では女子の制服が可愛いと評判の学校だ。そのせいか、刻雨高校の女子の評判も『可愛い子が多い』ということになっている。

 そして、そういう評判と、入場制限が特に無いことも相まって、周囲には俺と同年代の男のグループがいくつもある。


 高校生の男女が出会う場なんてそんなに多いものじゃない。友達の紹介は一番手っ取り早い出会い方だし、最近はSNSを通じて出会うこともあるらしい。しかし、こういう文化祭というイベントはそういう出会いの格好の場だ。だから、出会いを求めて男が来るのも分からなくもない。


 その男の中の何人に、今回の文化祭がきっかけで彼女が出来るのかは分からないが、少なくともこの学校の女子二人はその候補から除外されている。

 もちろんそれは栄次の彼女である希さんと、俺の彼女の凛恋だ。もし凛恋を候補に入れようなんて奴が居たら断固として阻止してやる。しかし……。


「人が多い……」


 人が固まってゾロゾロと動くのを見ていると、何とも暑苦しさを感じる。実際あの中に入って行ったら暑苦しいに決まっているのだが、遠巻きに見て既に暑苦しいから勘弁してほしい。


「カズ、希が自由に出歩ける時はちょっと抜けるから」

「おお、抜けろ抜けろ。俺も二人の時間を邪魔する気は無いからな」


 昨日、凛恋に言われた通り、俺は栄次に希さんに関することを話した。そうしたら、凛恋の予想通りか、栄次は真剣に考えてここに来るまでずっと文化祭のパンフレットを見て希さんと回るプランを考えていた。それは希さんを喜ばせようとか楽しませようという気持ちの表れだし、良い方向にことが転がるような予兆ではある。


「凛恋さんにお礼を言っといてくれ。希が不安に思っていることを教えてくれたこととか」

「分かった。でも凛恋は、栄次が希さんを喜ばせて、その話を希さんから聞く方が嬉しいと思う。だから、栄次が希さんを喜ばせれば凛恋はそれでいいと思うけど」

「そっか。ああ、希をちゃんと楽しませないとな」


 栄次が希さんのために何を考えているのかは分からないが、でも栄次の真剣な顔を見れば俺なんかがとやかく口を出す必要はないように思える。それにそもそも、俺がその手のことに口を出せるほど経験があるわけない。


「さ、中に入ろう」

「ああ」


 歩いて行く栄次の背中を追いかけて、俺は刻雨の校門を潜る。

 入ってすぐに、食べ物系の模擬店が立ち並び美味しそうな匂いが漂ってくる。フランクフルトにフライドポテト、それから焼きそばにたこ焼き。他にはかき氷にクレープまである。


 既に模擬店には食べ物を買う人が集まり、校舎の中へ入るのも一苦労の状況になっていた。

 それもそのはずで、校門前から大混雑だった人達が学校内に押し込められているのだ、当然人口密度は高くなる。


 刻雨高校の生徒達は制服姿の人はあまり居らず、みんなクラスの名の入ったTシャツを着ている。これはいわゆるクラスTシャツというやつだろう。

 うちの高校、刻季でもクラスTシャツを着ているクラスはあった。だが、刻雨のように多くは無かった。ちなみに、うちのクラスは連帯感の欠片もなかったからクラスTシャツなんてものは着ていない。


「刻季とは違ってクラスTシャツ着てる人が多いな」

「刻雨は全クラスクラスTシャツを作るのが伝統なんだってさ。制服の人は文化祭実行委員とかの運営側だけらしい」


 栄次の話を聞いて制服の刻雨生を見ると、腕に実行委員という腕章を付けているのが見えた。


「クラスTシャツ着てるとなんか連帯感があるよな。みんなで一緒に頑張るって感じで」


 リア充らしいことを栄次が言う。文化祭なんて面倒な行事、という思考回路しかない俺には無い考えだ。

 今年の文化祭は中学までの文化祭より遥かに良かった。でもそれは、クラスが良かったわけじゃなくて、文化祭に凛恋が関わっていたからだ。

 栄次の言うクラスの連帯感は欠片も感じていない。だから、本来リア充達が楽しむ文化祭の楽しさではなかった。まあ、あのクラスの連中とそういう楽しみが出来るとは思わないが。


 栄次の後ろを付いて歩き、人でごった返す模擬店区画を抜けると、俺は更に気が滅入った。校舎の入り口に人の塊が群がっているのだ。狭い入り口に人が群がる様子は、俺からはどう見ても校舎に入れる状況には見えない。


「これは少し時間を置いた方が良いかもな」

「俺もそう思う。この状況だと中に入ったら地獄だぞ」


 とりあえず、校舎の中に入るのを一旦諦めて模擬店区画に戻ると、目の前にチラシを持った刻雨女子が現れた。


「フライドポテトはいかがですか?」

「じゃあ、二つ下さい」

「ありがとうございます! 五〇〇円になります」


 栄次が刻雨女子に五〇〇円を払い、フライドポテトの入った紙袋の一つを俺に差し出す。


「カズ、これは俺のおごりな」

「サンキュー」


 栄次からフライドポテトの袋を受け取りながら、栄次に話し掛けてきた刻雨女子を目で追う。模擬店として使っているテントの下に戻った刻雨女子は、キャッキャと友達とはしゃいでいる様子。あれが「やった! 売れたよ!」という喜びなのか「イケメンと話しちゃった!」という喜びなのか分からないが、どっちにしても楽しそうだ。


 脂っこいフライドポテトを紙袋から摘み上げ口に放り込むと、ドッと人が流れるのが見えて、胸焼けを覚えた。この胸焼けの理由はきっと、フライドポテトが脂っこいからだろう。


「カズ、とりあえず校舎の入り口が開くまで時間を潰そう」

「時間を潰すって言われてもな……」


 俺が時間を潰すよりも先に、押し寄せる人混みに俺が押し潰されるのが先の気がする。

 模擬店区画でたこ焼きを買って栄次と分けて食べていると、栄次のスマートフォンから着信音が鳴る。


「もしもし希? 今? 今は校舎の外でカズとたこ焼き食べてる。ちょっと校舎の入り口が込んでて入れそうにないんだ。え? 卵?」


 どうやら希さんから電話が掛かってきているようで、それに応対する栄次を横目で見ながら、クタクタになったたこ焼きを口に放り込む。


「カズ」


 俺がたこ焼きを飲み込んだところで、栄次がスマートフォンを差し出す。そのスマートフォンを受け取ると、希さんではない声が聞こえた。


『凡人! お願いがあるの!』

「凛恋!?」


 なんだか焦った様子の凛恋の声が聞こえて、一気に緊張感が増す。


「落ち着け。どうしたんだ?」

『卵が足りなそうなの!』

「卵?」


 そういえば、栄次も希さんと話している時に『卵』というワードを口にしていた。そして、凛恋の卵が足りないという言葉から考えると、凛恋のクラスでやっているメイド喫茶で使う卵が切れそうで困っているということだろう。


「分かった。何パック必要だ?」

『凡人、ありがと! 一〇パックくらいないと駄目かも。オムライスの注文が多くてそれで卵いっぱい使うから』

「分かった。すぐ買ってくる」

『本当にありがとう! 絶対埋め合わせするから!』

「彼女の頼みだ、埋め合わせなんていらない。じゃあ、今すぐ買ってくる」


 電話を切り、栄次にスマートフォンを返すと、隣で残っていた最後の一個のたこ焼きを頬張った栄次と一緒に立ち上がる。


「栄次、とりあえず全力で走るぞ」

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