【三八《転換の予兆》】:一

【転換の予兆】


「カズ、何をふて腐れてるんだ?」

「文化祭なんてやっぱりろくな行事じゃない」


 学校終わり、俺と栄次は男二人だけでファミレスの窓際の席に座るという、むさ苦しくて寂しい絵面を周りに披露していた。

 これの片方、もっと言えば俺の方が別の男だったら女子に声を掛けられでもしたのだろうが、栄次と一緒に居るのが俺だからそんなことはない。


 俺の真正面でコーラを飲んでいる栄次は俺を見てニヤニヤと笑う。人の機嫌が悪いときに楽しそうにするとは、空気の読める栄次らしくない。


「凛恋さんも希も文化祭準備の追い込みしてるんだから忙しくて仕方ないだろ?」

「仕方がないとか仕方があるとか俺には関係ない」


 いつもよりガムシロップを多めに入れた甘いアイスコーヒーを飲みながら俺はため息を吐く。

 明日は凛恋と希さんが通う刻雨高校の文化祭がある。そして、今二人はその準備で大忙しだ。

 当然、遅くまで準備をすることになるようで、今日の放課後は凛恋に会えない。


 学校終わりに掛かってきた電話では、しょぼくれた声の凛恋に何度も謝られて「文化祭の準備ならしかたないだろ。あんまり無理しすぎないようにしろよ」と大人らしい対応はしたものの、凛恋の見ていない今この時はわがままを言わせてもらう。


「栄次は希さんに会えなくて寂しくないのか?」


 俺は平気な顔をしている栄次にそう言葉を返す。ふて腐れた声で。


「寂しいに決まってるだろ。でも、放課後一緒に過ごせないけど帰りは一緒に帰る約束だし。それはカズも同じだろ?」


 栄次の言うとおり、放課後一緒に遊べはしないが、帰りはそれぞれ家まで送ることになっている。だから、一切顔を合わせないわけじゃない。でも、それでもいつもより凛恋と会う時間が削られているのは変わらないのだ。


 凛恋達の準備が終わるまでの時間、俺と栄次はファミレスで時間を潰しているわけだが、男二人だと凛恋達が居る時より会話は弾まない。だが、それで良いのだ。


 無言で居ても気を遣う必要はない。それが親友というものだと思う。これが彼女の凛恋と二人だと無言の時間も心地良い時間になる。そこが親友と彼女の違いなのかも知れない。


「明日の文化祭、希が言ってたんだよ。俺が来た時だけメイド服着てくれるって」


 テーブルに頬杖を突いた栄次は嬉しそうにはにかむ。結構恥ずかしがり屋の希さんがメイド服を栄次に見せるとは思い切ったことをする。

 まあ、それだけ栄次が希さんに好かれているということかもしれない。


「凛恋さんも着るんだって?」

「ああ、凛恋も俺が来た時だけ着るって言ってた」

「やっぱり言葉遣いもそれらしくしてくれるのかな~?」


 ニコニコ笑う栄次はやっぱり嬉しそうだ。

 確かに、希さんなら奥ゆかしさがあるし本来のメイドに近い立ち振る舞いが出来そうだ。そして、その上で言葉遣いもそれらしくなれば、一般男子の想像するメイドのそれにマッチするだろう。しかし、凛恋はどうなのだろう?


 凛恋は奥ゆかしいというよりも天真爛漫という言葉が近い。天真爛漫と言っても仲の良い人と一緒に居る時だけで、その他の人相手ではちゃんと立ち振る舞いは考えている。

 だから完全な天真爛漫とは言えないが、一般男子の想像する大人しく主人の数歩後ろを付き歩くメイドという感じではない。

 凛恋がメイドをやったらきっと主人の前を歩いて「ほら! 何モタモタしてるのよ! 早く行くわよ!」と主人を急き立てるような気もする。でも、それがなんだか凛恋らしくて嬉しくなる。


「明日が楽しみだよな」

「俺は凛恋とさえ会えればそれ以外はどうでもいいけど」


 凛恋が居て凛恋が誘ってくれなければ、わざわざ人の多い刻雨の文化祭になんて参加しない。

 凛恋が俺に来てほしいと言ってくれたから行くのだ。それに栄次が希さんのメイド服姿が楽しみなように、俺も凛恋のメイド服姿が楽しみだ。


 単純だと思われても、凛恋がメイド服を着ることなんて早々あることじゃない。今後二度と無い可能性もあるのだ。

 それに彼女から、自分のためだけにメイド服を着ると言われたら、苦手なことでも出来てしまう。


「カズ、刻雨の文化祭が終わったら、またみんなでどこか行こう。最近は四人で会うって機会がなかったし」

「そう言われればそうだが……人が多い所は勘弁してくれ」


 栄次の提案に俺がそう注文を付けると、栄次は爽やかな笑みを浮かべて俺に視線を合わせた。


「カズの説得は凛恋さんに任せようかな」


 栄次のその言葉に、俺はアイスコーヒーを一口飲んだ後に視線を窓の外に逸らした。



 ファミレスで時間を潰した後、栄次と一緒に刻雨高校に行くと、校門前に手作り感溢れるアーチが設置されていて『刻雨祭』という文字がでかでかとアーチの中に書かれていた。


 辺りはすっかり暗くなっているのにも関わらず、文化祭前夜ということもあり、まだ学校内は騒がしい。

 校門を出る刻雨生とすれ違いながら、俺はスマートフォンを取り出して凛恋の番号を呼び出す。しばらく呼び出し音を聞きながら待っていると、凛恋と電話が繋がった。そして、繋がった瞬間に騒がしい声が聞こえる。


『やっほー多野くん! 時間ピッタリだね』

『里奈! スマホ返して!』


 最早、お約束と言った感じに開幕からの溝辺さんが凛恋をからかっている様子を聞かされる。電話の向こうでは女子の笑い声が複数聞こえた。


『凡人! 待たせてごめん!』

「焦らなくていいぞ。慌てて転けな――」

『今すぐ行くから! 待ってて!』


 凛恋が電話を切り、俺は電話が切れたスマートフォンを一度見てからポケットに仕舞う。


「カズ、とりあえず希と凛恋さんが出てくるまで待ってよう」


 栄次は相変わらずこういう人の多い場所に慣れているせいか、落ち着いた様子で校舎の方を見ている。

 周囲の刻雨女子が、栄次の横顔を見て目をキラキラと輝かせている。

 隣の友達の肩を叩いて栄次の方を指している。しかし、肩を叩かれた友達の方は苦笑いを浮かべて首を振っている。

 あれは「ちょっとあの人、めちゃくちゃ格好良くない? 声かけてみようよ」と声を掛けられて「ムリムリ、あれだけイケメンなら彼女が居るって」みたいな話をしているのだろうか。


 栄次を見ていた女子は、肩を掴んで止める女子の制止を無視して栄次の方に歩いてくる。

 まあ、声を掛けたところで栄次には希さんが居るし、適当に断られるに決まっているのだが、この状況で声を掛けに行けるとは凄い勇気だ。


「あの、誰か待ってるんですか?」

「へっ?」


 栄次に声を掛けに来た刻雨女子は、栄次より手前の俺の目の前で立ち止まる。そして、栄次に声を掛けに来たはずなのに、俺の方を見てそう尋ねてきた。


「刻季の制服ですよね? 誰か待ってるのかな~って思って」


 ニコッと愛想良く笑う彼女は、紛れもなく俺の顔を見てそう言う。


「今は彼――」

「凡人ッ!」


 話し掛けてきた刻雨女子に答えようとした瞬間、凛恋が俺の名前を呼ぶ声を聞いたと思ったら、横からドンッと軽い衝撃を受けた。


「早く帰るよッ!」


 凛恋は抱き締めた俺の腕を思いっきり引っ張り、校門の前から離れていく。

 話し掛けてきた刻雨女子と刻雨の校門からどんどん離れて行きながら、俺は腕を引っ張る凛恋に視線を向ける。


「り、凛恋、お疲――」

「帰り、ファミレス寄るから!」

「もう遅いから家に帰――」

「希も栄次くんも付き合って!」


 俺は後ろを振り返ると、二人してニヤニヤと笑う栄次と希さんの顔が見えた。その顔を見て、また凛恋の横顔に視線を向ける。視界に映る凛恋の顔は、両頬を膨らませて真っ赤な顔をしていた。



「もう! ちゃんとしてないとダメでしょ!」

「……ご、ごめんなさい」

「凡人は格好良いんだから、女子に声を掛けられるに決まってるでしょ! ちゃんと彼女が居るってオーラを出しててよ!」


 隣でカロリーオフのコーラを飲んで俺にそう説教をする凛恋。怒られているのか、格好いいと褒められているのかよく分からない。

 そもそも、彼女居るオーラの出し方なんて俺が分かるわけがない。


 反対側では、相変わらずニヤニヤしている栄次と希さんが居て、さっきから一切助けてくれる様子はない。このまましばらく見守っておくつもりなのだろう。


 それにしても、あの刻雨女子は栄次を無視して俺に話し掛けてきたのだから、凛恋が心配しているような話ではないだろう。


「凛恋、落ち着いてくれ。栄次がスルーされてる時点で凛恋が心配されるような話じゃな――」

「多分あの子、凡人くんに興味があったんじゃないかな? 男の子として」


 希さんの時々出る意地悪心が発揮され、凛恋を収めようとしていた俺の言葉を遮る。その希さんの言葉で凛恋は怒った顔を変化させて目を潤ませる。


「栄次くん、明日は私が一緒に居ない間は凡人のことお願い!」

「大丈夫。カズに女の人が近付かないように見張っておくよ」


 栄次がニッコリと笑って凛恋にそう言う。どう考えても女の人が近付くのは栄次の方だろう。


「急いで出てきたら凡人に声掛けてる女子が居てめちゃくちゃ焦ったし! しかもあいつ、私達に散々文句付けるやつだった! 何よ! いつもチャラチャラしやがってって私達に陰口言ってるくせに、人の彼氏に声掛けるとか! マジふざけんじゃないわよ! あんな女に凡人は絶対に渡さないし!」

「いや、そもそも俺は誰にも渡らないんだけど……」


 その後、凛恋は俺に声を掛けた女子の愚痴が言い終わると、文化祭の準備で男子が適当だとか、急に出し物の方向性を変えようと言われて若干揉めた。というような愚痴話に変わっていった。

 その愚痴には珍しく希さんも乗ってきて、希さんからもあれやこれやと凛恋程ではないものの、愚痴が溢れていた。


 栄次は希さんに優しく言葉を掛けてフォローをし、希さんはとても嬉しそうに笑い、安心してホッとした顔をしていた。しかし、俺は凛恋の愚痴を聞くことしか出来ず、凛恋は愚痴を吐き出してスッキリとした表情はしていたものの、希さんのように安心した顔はしていなかった。



 白いガードレールを挟んだ向こう側では、幾台もの自動車が走行音とヘッドライトの光と共に通り過ぎる。


 舗装された歩道を歩く俺は、隣を歩く凛恋の手をしっかり握って視線を真っ直ぐ前方に向ける。視線の先には長い歩道がずっと続いていて、等間隔に設置された街灯も見える。


「凛恋、俺はちゃんと凛恋のことだけが好きだ。だから、凛恋以外の女子には興味がないからな」


 凛恋の方を見ずに、俺は凛恋にそう言う。

 栄次はファミレスで希さんの愚痴にちゃんと相づちを打って、過剰になり過ぎないように発言してブレーキを掛けさせ、更には希さんが罪悪感に苛まれないようにフォローしていた。

 やっぱり男の俺から見ても栄次は完璧で、本当に良い彼氏だった。それに比べて俺は、凛恋の誤解を解くのに精一杯で、それ以上何も出来なかった。


 栄次みたいに出来たのは凛恋の愚痴に相づちを打つくらい。ブレーキを掛ける発言をしようとしても上手く止められなかったし、凛恋が愚痴を吐き出した後の罪悪感を軽減してやることも出来なかった。

 やっぱり栄次と比べると、俺は全然駄目な彼氏だ。だから、せめて凛恋をなんとか安心させてやりたかった。


「……凡人、可愛い」

「え?」

「凡人、チョー可愛いッ!」


 凛恋がギュッと俺の手を握り返して、キュッと俺の腕を抱き締める。


「真っ赤な顔して、俺は凛恋だけが好きだからって、チョー可愛過ぎる!」

「か、からかうなよ」

「でも、嬉しいし可愛い凡人が見られて得した気分だけど、また栄次くんと比べたでしょ?」

「…………」


 凛恋の指摘に押し黙る。すぐに何かを返せるほどの余裕は心理的に無かった。


「もー、凡人は凡人でしょ? それに、私は黙ってウンウンって話を聞いてくれる凡人の方がいいの! 凡人はいつも私のどーでもいいような愚痴を真剣に聞いてくれるでしょ? それが私は嬉しい。凡人を見てれば真剣に私の話を聞いてくれてるって分かるし、それが一番私にとって嬉しいことだから。だから、凡人は変に変わらなくて良いからね」

「そうか。でも、栄次を見てるとなんか彼氏としてというか、男として差を感じるんだよな」

「うーん」

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