【三三《干渉》】:一

【干渉】


 黒板の前に三脚式のプロジェクタースクリーンを置いて、クラスの連中が出来上がったばかりの自主制作映画を鑑賞しながらキャッキャキャッキャと騒いでいる。


 俺はそのクラスを上げての大鑑賞会に背を向けて、机の上に置かれた紙を見下ろす。


 文化祭は内容的には遊びっぽく見えるが、れっきとした学校行事だ。そして学校行事なのだから、きちんと何をやったか報告しなければならない。

 その報告のために、文化祭活動報告書という物を作成する。

 作成すると言っても、何をしたか、活動に掛かった日数、経費等を書き込むだけでいい。

 だけでいいのだが、何故それを俺が書かなければいけないのかよく分からない。


「多野くん、ごめんなさい。報告書を書かせてしまって」

「いや、まあ、委員長は全部把握してるわけじゃないし仕方ない」

「それに雑用ばかりやらせてしまって――」

「あの輪の中に入らなくて済むなら安いものだ」


 俺は、相変わらずキャッキャキャッキャと騒いでいるクラスの連中を振り返った後、報告書に顔を戻す。


 クラス連中の作った映画は、クラス公認のカップルを主人公にした恋愛物。

 やれ彼氏が格好良いだ、やれ彼女が可愛いだと、終始お惚気全開の作品になっている。そして、終盤になって何故か彼氏が不治の病に掛かり、そして最後は愛の力でその病が治るという超展開。

 しかし、作ってる本人達が楽しそうだから、それでいいのかも知れない。


 報告書の作成で、経費と日数は難なく書き込めたが、活動内容については全く手が進まない。


 俺が今回の文化祭でやったことと言えば、お試し映画を撮った以外では雑用しかない。

 クラス展示の主役である映画撮影には一切携わっていないのだ。それで活動報告を書けと言われても無理だ。


「活動内容は私が書くわ」

「ありがとう。助かる」


 報告書を委員長に任せて、俺はスクリーンに背を向けたまま背面黒板に目を向ける。

 女子が描いたであろう落書きがあり、それから目を逸らして委員長に目を向ける。すると、俺を見ていた委員長と目が合った。


「何か俺の顔に付いてるのか?」

「いえ。ところで、多野くんは派手な外見の女子が好みなの?」

「いや、苦手だ」


 脈絡のない委員長の質問に答えると、委員長は眉をひそめて俺を見る。


「八戸さんは派手な見た目の人だと思うのだけれど?」

「あー、凛恋は確かに見た目は派手だな。髪を染めてるし、服の好みも大人しめとは言えない。でも、凛恋は特別だな」


 初めて会った時は苦手だった。でも、接するうちに凛恋のことをいつの間にか好きになっていた。内面も外見も、凛恋の全てを。

 それが何故好きになったか、と問われても答えは出ない。気付いた時にはもう好きになっていたのだから。


「私も髪を染めてみようかと思ったのだけれど、止めようと思うわ」

「止めて懸命だ。綺麗な黒髪なんだからもったいない」


 委員長は真面目な性格通り、綺麗に真っ直ぐ伸びた黒髪をしている。同じ黒髪の希さんも綺麗な黒髪だが、長さは委員長の方が長い。そんな綺麗な髪をしているのに、染めるなんてもったいない。


「多野くん、これを先生に提出して来てもらえるかしら。それが終わったら、そのまま帰っていいわ」

「わ、分かった」


 書き終えた報告書を突き出す委員長は、なんだからさっきより態度がキツくなった気がする。

 視線は俺をキッと睨んでいるし、扱いも若干粗雑になっている。しかし、ここで変に突っ込んで目を付けられるより、そそくさと退散するのが吉だ。


「じゃあ先に帰らせてもらう」

「多野くん」

「ん?」


 立ち上がった俺の後ろから、委員長の呼び止める声が聞こえる。

 その声に振り返ると、委員長が遠慮がちに右手を挙げているのが見えた。


「お疲れ様」

「お疲れ」


 真顔でそう言われ、やっぱり何か怒っているのが分かる。俺は委員長に背を向けて教室を出た後、廊下で首を傾げた。


「何で委員長は怒ってるんだ?」



 俺は文化祭の準備で遅くなっている凛恋を刻雨まで迎えに行って、それから凛恋を家まで届けた。そして、すっかり暗くなった夜空の下を歩いて家まで帰って来て玄関を開く。


「ただいま」

「お、おかえりなさい」

「…………ただいま、です」


 玄関に入った俺を、居間から出てきた田丸先輩が出迎える。やっぱり数日経っただけじゃ、この感じには慣れない。


「えっと……鞄、持とうか?」

「いや、大丈夫です。こっちは俺の部屋に持ってくので」

「そ、そっか。うん、じゃあスポーツバッグの方を持っていくね」

「あっ、大丈夫で――……」


 田丸先輩は俺のスポーツバッグを持って家の台所へ走っていく。

 爺ちゃんも婆ちゃんも居ないところを見ると、どうやら何処かへ出掛けているらしい。


 俺は教科書の入った通学鞄を持って庭の奥にある俺の部屋に入る。最近肌寒くなってきて、暖房を効かせていないプレハブ小屋は寒い。


「あの……凡人くん。お爺さんとお婆さん、今日はお友達と泊まりになるみたい」


 プレハブ小屋の中に入って鞄を置いたすぐ後に、田丸先輩がそう言いながら入ってくる。

 田丸先輩は右手で髪を耳に掛けた後、俯いて体の前で手を弄る。


 着ている服が制服のままということはまだ風呂に入ってないようだ。

 それに爺ちゃんと婆ちゃんが居ないということは、夕飯もまだかも知れない。


「夕飯、食べました?」

「えっ? ま、まだ……かな?」


 聞き返されても困るのだが、食べてないらしい。


「もしかして、俺のことを待ってました?」

「う、うん。どうすればいいのか、よく分からなくて」


 田丸先輩には爺ちゃんから、小遣いをもらっているはずだ。その時に、夕飯を自分で食べる時があるから、多めに渡しているということも聞いているはず。しかし、食べてないということは遠慮しているということなのだろう。


 いきなり他人の家に住み始めて、小遣い渡されて、好きにしなさい。

 そんな感じで放り出されても、どうすればいいのか分からなくて当然と言える。

 それに爺ちゃんと婆ちゃんも酷い。

 自分達が積極的に引き取ると言い出したのだから、その辺の気遣いをしてあげないと生活し辛いに決まっている。


「えーっと、爺ちゃん婆ちゃんはよく温泉に泊まりがけで行きます。大抵は土日とかですけど、今日みたいにいきなり平日に行くこともあります。そういう時は、もらった小遣いで適当に食事を取ります」

「で、でも、お金をもらうなんて悪いし」

「渡したくなかったらそもそも渡しません。爺ちゃんは元警察官ですし、悪いことで得たお金じゃないので安心して使って下さい」

「でも……」

「それにこの生活に慣れないと飢え死にしますよ。とりあえず出前にしましょう。何か食べたい物はありますか?」

「な、何でも――」


 相変わらず遠慮し続ける田丸先輩に、俺は小さなため息を吐いて両腕を組む。

 俺はそもそもコミュニケーションというものからほど遠い生き物だ。

 これ以上どうすればいいか分からない。


「分かりました。夕飯は俺が決めます。その間に風呂にしましょう」

 俺は煮え切らない田丸先輩を諦めて、風呂を入れに行く。

 その途中、台所で出前のチラシを纏めたファイルを取り、適当に捲って出来るだけメニューの多い店のチラシを抜き取った。


「この中から選んで下さい」

「えっ、えっと……鯖の味噌――」

「自分のお金なんだから遠慮する必要ないんじゃ無いですか? 俺は鶏天定食にします」

「じゃ、じゃあ……ハンバーグ定食にする」


 何故か真っ赤な顔をして俺をチラリと見た田丸先輩は、メニューの一点を指さして俺の顔色を窺う。

 何で俺が顔色を窺われるのかは分からない。


 俺が電話をして注文を終えると風呂が沸き、一番風呂を遠慮する田丸先輩を無理矢理風呂に入れて、俺はやっと自分の部屋でベッドの上に座り込んだ。


 俺はスマートフォンを手に持って、凛恋と撮った写真を表示する。

 画面の中でニコニコ笑う凛恋を見ていると、体の疲れが抜けて緊張が緩む。


「凛恋……」


 ついさっき会っていたのに凛恋の声が聞きたくなって、そう凛恋の名前を呟く。

 すると、着信画面が表示され、電話の発信相手である凛恋の名前も表示される。

 一瞬、慌てて電話を取りそうになり、俺は一度深呼吸をしてから電話を受ける。


「もしもし? 凛恋?」

『もしもし、凡人』

「何かあったのか?」

『えっとね……凡人と撮った写真を見てたら、凡人の声を聞きたくなって』

「……俺も今、凛恋と撮った写真を見て同じこと考えてた」

『えっ!? ホントに!?』

「ああ」


 最初は恐る恐るという感じだった凛恋の声が、パッと明るい声になる。


『そっかぁ、凡人も私の声、聞きたかったんだ』

「お互い文化祭の準備で会える時間が短いし、今度の土曜は刻季の文化祭だしな」

『日曜はお互い何も無いし、それに刻季の文化祭にも行くし』

「そうだけど、土曜が潰れるのが嫌だ」


 凛恋の明るく可愛い声が聞けて、ホッと安心する。


『凡人』

「ん?」

『明日、学校が終わったら刻雨に来てくれない? それで、着いたら私に電話して』

「いいけど、文化祭の準備があるんだろ?」

『うん、その文化祭の準備にちょっと協力してほしいの』


 凛恋の申し出にいまいちピンと来ないが、凛恋と会えるなら深く考える必要もない。


「凛恋に協力出来るなら喜んで行く。明日、学校が終わったらすぐ行くから」

『うん。待ってる!』


 しばらく凛恋と話をして、それから互いに名残惜しさを感じながら電話を切る。そして、スマートフォンをテーブルの上に置くと、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「凡人くん、お風呂ありがとう」


 パジャマ姿の田丸先輩は上からパーカーを羽織って俺の部屋を覗き込む。そして、俺と目が合うと慌てて部屋から視線を逸らした。


「ジロジロ見てごめんっ!」

「いや、見られて困る物は何もないので気にしないで下さい」


 ベッドから下り、気替えを持って風呂場に行くと、後ろから廊下を走る足音が聞こえる。

 振り返ると、真っ赤な顔をした田丸先輩が俺を追い抜いて風呂場に駆け込んで行く。

 そして、中からバタバタと激しい音が聞こえた後、両手を後ろに組んだ田丸先輩が出て来た。


「ご、ごめん。お風呂に忘れ物しちゃって!」

「別にいいですけど」


 両手を後ろに組んだまま、背中を壁に向けて横を通り抜ける田丸先輩を見送る。そして風呂場に足を向けた時、後ろからパサリという軽い音が聞こえる。

 再び振り返ると、薄暗い廊下の中央に白っぽい物体が落ちているのが見えた。

 さっき通った時はあんな物なかったから、おそらく田丸先輩が落としたのだろう。


「田丸先輩、何か落としましたよ」


 ちょっと大きめの声で、自分の部屋の方向へ行ってしまった田丸先輩にそう声を掛ける。そして、体を曲げて廊下に落ちていた物を拾い上げた。


 手触りは柔らかくほのかに温かいそれが、布製品であるのが分かる。俺はその布製品を何も考えず手に持って広げてみた。


 その布製品の形は三角形というには鋭角ではない。分かりやすく言えば、三角おにぎりのように丸みを帯びた三角形に近い。そして、俺はその三角形の頂点の二点を右手と左手の指で摘み、ボケーッと眺める。

 逆三角おにぎりの形をしたそれは、明らかにハンカチなわけがない。しかし、控えめなフリル装飾が施されている点だけではハンカチじゃ無いとは言い切れない。

 色は暗い廊下でも分かる純白。これもハンカチで無い理由とはなら――。


「キャアッ!」


 いきなり田丸先輩の悲鳴が聞こえ、その直後に俺が手で摘んでいた布製品が田丸先輩に引ったくられる。

 布製品が無くなって見えた田丸先輩の顔は、さっきよりも真っ赤に染まっていた。


「もしかして今のは、パ――」

「み、見なかったことにしてッ!」


 そう言った田丸先輩は、振り返って逃げるように走り去っていく。

 どうやら、俺はとんでもない物を拾った上に広げて見てしまったらしい。

 俺が手に取って広げて眺めていたのは、田丸先輩がパンツだったらしい。

 いや、でも、今までそんなものがこの家に存在していなかったのだから、それが廊下に落ちている何て思うわけがない。普通に、何のやましい気持ちもない無意識の行動だったのだ。


「……ど、どうしよう。手に感触が残ってる」


 こんなことが凛恋に知れたら激怒どころの話ではなくなってくる。だから、この件は忘れるしかない。


 俺は足早に風呂場に向かい、田丸先輩に失礼だとは思うものの、とりあえず手を洗う。

 女性のパンツを触った手で自分の体を触るのは流石に抵抗があった。

 多分、田丸先輩だって手を洗ってもらった方が良かったはずだ。


 手を洗った後、冷たい水を顔に掛けて体を冷やす。そして、服を脱ごうとして、浴室の扉を開けて風呂ふたを持ち上げる。

 湯船にはホカホカと柔らかい湯気を上げているお湯が見えた。


 いつもは、田丸先輩が遠慮して最後に風呂に入る。その田丸先輩の前は俺が入り、俺が入った後はお湯を張り替えるのだが、俺の視線の先にあるお湯は張り替えた様子はない。


「今日はシャワーだな」


 出前の届く時間と湯を張り替える時間を考えて、張り替えてる時間が無いと判断した俺は、湯船の栓を抜いてお湯を抜きながら、シャワーヘッドからお湯を出す。

 流石に、田丸先輩の使った後のお湯に浸かれる精神力を、俺は持ち合わせていない。

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