【三二《穏やかな日》】:二

「なんで反対なの?」

「だ、だって、凛恋が他の男に変な目で見られるのが嫌なんだ」

「…………そっかぁー。凡人、ヤキモチ焼いてくれてるんだー」


 ニコニコ笑う凛恋が俺の頭をヨシヨシと撫でながら優しく微笑む。


「私は調理係だから接客はしないわよ。ちなみに希も裏方。メイド服を着るのが恥ずかしいって言ってた」

「良かった……」

「でも、凡人が来てくれた時だけはメイド服、着ようかなー」

「行っていいのか!?」

「来てくれなきゃ拗ねるし」


 プクゥっと両頬を膨らませた後、凛恋はニッと笑ってはにかむ。


 凛恋が調理係なら、男に変な目で見られることはない。しかし、凛恋のメイド服姿が見られないのは少し……いや大分残念ではある。

 きっと凛恋が着ると、いつもとは違う雰囲気で可愛かったんだろうなと思った。


「凡人は文化祭どう?」

「俺はビラ作ってポスター作って、後はプロジェクターとスクリーンの使用許可と、暗幕の調達をしたな」

「それ、雑用じゃん! 私の彼氏に雑用させるなんて!」


 プリプリ怒る凛恋は唇を尖らせる。そのツンと尖った唇と怒った表情も、可愛い。


「栄次みたいに、表に担ぎ出されるよりよっぽどいい」

「確かに、凡人はそういうの好きじゃないけどさ。でもなんか嫌」

「俺は凛恋と文化祭が出来ただけで嬉しかったけど」

「それは私も! 短い映画だったし一日しかやってないけど、凡人と文化祭出来てチョー嬉しかった!」


 クスクス笑いながら、凛恋が俺の手を掴んで自分の太ももに添える。そして、俺に自分から体を寄せて、フゥーっと息を耳に掛けた。


「触っていいよ」

「……それ、めちゃくちゃドキドキするんだけど」

「ドキドキさせてるんですけどー。――キャッ! 凡人、それくすぐったい!」

「くすぐってるんですけどー」

 身をよじる凛恋の太ももを、俺は笑いながらくすぐる。すると、凛恋も負けじと俺の脇腹をくすぐって来る。

 二人でくすぐり合っていると、凛恋が俺の手首を掴んでニタァーっと笑う。


「かーずーとぉー? 今、スカートの中に、手、入れたでしょ?」

「何のことだ?」

 俺が真顔でそう答えると、凛恋はジトーっと俺の目を見てくる。

 その視線から目を逸らすと、目の前から凛恋のからかう声が聞こえてきた。


「お巡りさーん、ここに彼女のスカートに手を入れる変態が居まーす」

「彼女以外にやってないんだからいいだろ?」

「当然よ。私以外にやったら許さないし! てか、認めたわね」

「あっ……」

「凡人のエッチー」


 勝ち誇った顔で笑う凛恋は布団の中でバタバタとはしゃぐ。そして、俺の顔をジーッと下から見上げる凛恋は、ニコッと笑った。


「さて凡人に問題です。今日は何色でしょー」

「白」

「ブブー」

「シェルピンク」

「違いまーす!」

「バンビーノ」

「えっ?」

「ちょっと暗めの水色」

「最初から水色って言いなさいよ! でも水色も違いまーす」

「うーん……分からん。何色なんだ?」


 降参して尋ねると、凛恋がパチッとウィンクをしながら言う。


「今日は穿いてません」

「何ッ!?」


 俺は布団を片手で持ち上げ、開いている手で凛恋のスカートを捲る。

 すると、レモンイエローの可愛らしい下着が見えた。しかし、その下着を見た直後、頭のてっぺんに凛恋のチョップが落ちてきた。


「穿いてないわけないでしょーがっ!」

「男心を弄ぶとは酷い……」


 俺は凛恋の顔を見上げながら、手を凛恋の方に伸ばす。すると、凛恋がカッと顔を赤くして、伸ばした俺の手を掴もうとする。

 そんな凛恋の手から逃げながら、俺は凛恋にキスをしてニヤッと笑った。


「男心を弄ぶとどうなるか教えてやる」



 腕の中でスヤスヤと眠る凛恋の寝顔を見ながら、俺は凛恋を起こさないように凛恋の頭を撫でる。


「不安にさせてごめん」


 今日から田丸先輩が俺の家に住み始める。そのことで、凛恋に不安を抱かせてしまうことに、俺は今更、罪悪感に苛まれていた。

 でも、田丸先輩が家に住むのを認めた日も、同じように罪悪感に苛まれた。


 俺の決めたことは間違いではないと思う。でも、それが本当に正しいことだとも言い切れない。


 俺は、もし俺が田丸先輩の立場だった時のことを考えたように、俺が凛恋の立場だった時のことも考えた。

 それを考えたら、俺は凛恋のことが心配で心配で仕方なかった。


 もし凛恋が、凛恋のことを好きな男と一つ屋根の下に暮らしたらと考えると気が気じゃない。

 俺なんて、奇跡的に凛恋が好きになってくれたから、凛恋の彼氏で居られる。

 俺よりも格好良い奴と一緒に生活して、そいつの良さを知ったら……そう考えると、不安で仕方なかった。でも、俺は凛恋を信じることが出来ると思った。


「俺が凛恋を好きになって、凛恋も俺を好きで居てくれたって知った時、めちゃくちゃ嬉しかった。それで凛恋と付き合うことが出来て、俺が不安になっても、お互いがすれ違ってしまっても、凛恋はずっと俺を好きで居てくれた。そんな、俺のことを信じて好きで居てくれる凛恋を、俺は信じてる。凛恋を不安にさせてしまうけど、俺は凛恋だけが好きだから。離れに引っ越したら今まで以上に二人の時間を作れる。だから、もっと二人の時間を大切にしよう。これ以上近付けないっていうくらい近付こう。これ以上仲良くなれないっていうくらい仲良くなろう。想いが振り切れるくらい好きになろう」

「はい」


 寝ている凛恋の頭を撫でながら語りかけていると、寝顔の凛恋が口を動かしてそう返事をした。

 俺はそれに何も返せず、目を開いて微笑む凛恋を見て固まる。

 ……えっ? 聞かれてた?


「凡人可愛い。顔、真っ赤だよ」

「り、凛恋だって顔真っ赤だぞ」

「だって、嬉しかったんだもん」

「……ちなみに、どの辺から聞いてたんだ?」

「不安にさせてごめんって撫で始めるところから」


 ……それはもう最初からだ。


 恥ずかしい台詞を全部聞かれていたという状況に居た堪れなさを感じる。しかし、凛恋が両手を腰に回して俺の体をホールドしているから逃げることは出来ない。

 そして俺をホールドしている凛恋は目の前で嬉しそうに笑っていた。


「チョー嬉しい! ヤバいヤバいヤバいッ! 凡人大好き! 世界一愛してる!」


 凛恋が俺の体を痛いくらい抱き寄せて、俺の顔を見上げる。


「どうしよう……。好きなんだけど、どうやったら好きな気持ちを伝えられるのか分からない。ギュッてしてもキスしても、エッチしても伝えられる気がしない。いっぱい、凡人のことを大好きな気持ちがいっぱい溢れてるのに。私は凡人のおかげで凄く幸せになってるのに、それを凡人にどう伝えたら良いのか分からない」

「凛恋が俺のことを好きで居てくれることは、ちゃんと伝わってる。ありがとう、凛恋」

「ダメよ。ちゃんと凡人に伝えたい」

「じゃあ……このまま時間ギリギリまで、凛恋を抱き締めてても良いか?」

「それだけで良いの?」

「それが良い」


 凛恋の体を抱くと、凛恋も俺の力に合わせて抱き締めてくれる。この世の誰よりも、凛恋の近くに居られることが嬉しい。

 この世の誰でもなく、俺が凛恋に抱き締めてもらっているのが嬉しい。

 抱き締めてもらえることで安心出来て、幸せに包まれる。


「凡人……帰りたくない」

「俺だって、帰したくない」


 叶うなら、ずっと一緒に居たい。田丸先輩が、俺の家に住む人が、凛恋だったら良かったのにと、あり得ないことを思う。

 でも、少しだけ、ほんの少しだけ、俺の家に住む人が凛恋じゃなくて良かったことがある。


 俺は凛恋といつでも一緒に居られない。だから、一緒に居られない寂しさを知れる。

 俺は凛恋と一緒に居られない寂しさを知れるから、凛恋と一緒に居られる時に、こんなにも嬉しくて楽しくて幸せになれる。


 きっと、離れて居るからこそ見えるものもある。


 間近で見る凛恋は相変わらず可愛い。間近で見る凛恋の太ももや胸にはドキドキする。だけど、やっぱり――。

 少し引いた場所から見る、凛恋の全身はとても綺麗だ。



 凛恋が俺の腕を抱いて玄関に立つ。そしてその向かい側には、ボストンバッグを両手で体の前に持つ田丸先輩が居た。


「八戸さん、ごめんなさい」

「凡人が決めたことですから。彼女の私は彼氏の凡人を信じます」

「八戸さん」

「なんですか?」

「私は、凡人くんのことを諦めたわけじゃない。だけど、八戸さんから奪おうなんて思ってないから」


 それを聞いた凛恋は俺の腕から離れて、まっすぐ立って田丸先輩を黙って見詰める。

 田丸先輩は石の上にボストンバッグを置いてニッコリと微笑んだ。


「だって八戸さんから凡人くんのこと、奪える気全然しないんだもん。…………でも、凡人くんと八戸さんが別れたら、心置きなくアピールします」


 それを黙って聞いていた凛恋は、俺の肩に手を置いてつま先立ちをして、チュッと俺の頬にキスをした。そして嬉しそうな声で田丸先輩に言う。


「私はこれからもずっと凡人の彼女です。ぜーったいに別れてなんてあげません!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る