【二〇《特別じゃない人》】:三
「お父さんとお母さんが、凛恋の彼氏は気が利くって褒めてた。全く、うちのバカにも言っとかないと」
「いや、俺は」
どうやら彼女が溝辺さんで間違いないらしい。ここで覚えておかないと、凛恋の友達に失礼なことをしかねない。
「多野くんごめんね。知らない人ばっかりで大変だよね」
「えっ?」
俺が驚いて聞き返すと、溝辺さんは困ったように力なく笑った。
「多野くんが人付き合い苦手ってのは、何となく分かってたの。ほら、何処にでも居るじゃん? 教室の隅で読書してる子とか何もしなくても一人で居る人とか。あんな雰囲気、多野くんにあるなって」
「そうか。でも気にしないでくれ。俺は俺で上手くやる。溝辺さんは友達と彼氏とキャンプを楽しめばいい」
「友達と彼氏か……うん! 一緒に楽しもうね。荷物を持ってくれたのとテントを運んでくれたのありがとう」
溝辺さんがそう言って両親と彼氏の元へ駆けて行く。それを見送って、俺はテントの袋を持ち直した。
「凡人! こっちこっち!」
手を振る凛恋の元に行くと、凛恋と栄次と赤城さんの三人が固まって話していた。
「この辺りにしよう。ここなら防砂林の影だし、海風も直接当たらないだろうし」
「分かった。じゃあさっさと張るか」
袋からポールと布を出して説明書を見ながらポールを布に通して形を作っていく。
「凡人、私も手伝う!」
「じゃあ、このポールをそっちに通してくれ」
凛恋にポールを手渡すと、凛恋がポールではなく俺の手をギュッと握る。俺はその手をジーッと見て、首を傾げた。
「さっき里奈のお母さんに挨拶した時さ。凛恋ちゃんの彼氏は素敵な人ねって褒められちゃった」
ニコッとはにかむ凛恋は、俺からポールを受け取って布に通しながら、またニコッとはにかむ。
「もー、私の友達のお母さんに気に入られてどうする気よ」
「別に気に入られるつもりは無かったんだけどな」
「分かってる。凡人がそういう自然に気を遣える人だから、本当に良い人は凡人の良さに気付いてくれるの。それで、そうやって凡人が素敵だって良い人だって言われてるの聞くと、私チョー嬉しい」
ポールを通し終わった凛恋が顔を赤くしながら「次は何すればいい?」と尋ねてくる。
そんな凛恋の嬉しそうな様子を見られただけで、俺は今回のキャンプに来て良かった。単純にも、そう思えた。
テントを張り終えると、凛恋達は海で遊ぶために早速着替えを始める。俺は凛恋が着替えているテントの出入り口を塞ぐように立つ。
ここは人が少ないとは言っても、思っていた以上に少ないだけでそれなりに人は居る。その中に凛恋の着替えを覗こうとする不届き者が居るかもしれない。
「凡人、ちょっと入ってきて」
「ん? どうし――」
テントの出入り口から中に入って、俺は目の前の光景を目の当たりにして、すぐ行動に移した。
まずテントの出入り口をしっかり閉めて外から絶対に覗けないようにする。更に近くにあった、俺の替えのTシャツを凛恋に差し出す。
「今すぐにこれを着て隠せ!」
「な、なんでよ!」
「そんな格好で外に出たら男に見られるだろうが!」
黒のフレアトップビキニ。ブラにはボリュームのあるフリルが使われていて、ただでも女性らしい凛恋の胸が更に強調されている。
更に、パンツはキュッと締まっていて、お尻の形も当然ハッキリと分かってしまう。こんな挑発的な格好で出歩かれたら、俺の精神が保たない。
「可愛い?」
「可愛いし魅力的過ぎる。どうしてそんな男が寄り集まるような水着にしたんだ。もっとこう、露出が少ないのでも――」
「凡人に見せたいなーって思って。それに大丈夫よ。海には女の子なんていっぱい居るんだし」
パンツの食い込みを指で直しながら、凛恋は自分の体を見て、ニッとはにかむ。その顔は少し赤かった。
「私もちょっとやり過ぎたかなって思うんだけど、やっぱり凡人に可愛いところ見せたいし」
凛恋は俺から受け取ったTシャツを元の場所に畳んで置く。
「でも、凡人が焦るくらい可愛いって思ってくれたのは嬉しい」
「り、凛恋、その格好で抱きつかれると……」
「いつももっとヤバい格好で抱き合ってるじゃん。……凡人、来てくれてありがと」
水着姿の凛恋が正面から抱きつくのに戸惑いながら視線を逸らすと、俺をからかった後、凛恋が落ち着いた優しい声で言う。
「凡人は人がいっぱい居る場所が苦手なのに、私のわがまま聞いてくれた。このキャンプ、凡人とどうしても行きたかったの」
「いや、凛恋が楽しそうにしてるから来てよかった」
「凡人が居るからだからね。凡人が一緒だからチョー楽しいの。もーめちゃくちゃ楽しい!」
体を離した凛恋は、俺の手を引いてテントの外に出る。そして、ニコニコっと太陽のように明るく眩しい綺麗な笑みを浮かべた。
「いっぱい遊ぼ!」
砂浜にビニールシートを敷き、大きなビーチパラソルを立てて日陰を作る。そして俺はそこで横になった。
視線の先では、相変わらず有り余る元気をフル活用して遊んでいる集団が見える。本当に、若いって凄い。
ビニールシートの上で、荷物の番という体のいい役割を確保し、俺はダラダラと俺なりの青春を楽しむ。
「多野くん、荷物ありがとう」
「おお、赤城さん。休憩か?」
「うん」
赤城さんはパーカーを羽織っていて、中に着ている水着は見えない。それを見て俺は思わず呟く。
「凛恋もそのパーカー、着てくれないかな……」
「え?」
「その赤城さんが着てるパーカー。それ着てたら、凛恋の水着姿を隠せるから」
遠くで楽しそうにビーチボールで遊ぶ凛恋に視線を移すと、隣から赤城さんのクスクスとした笑いが聞こえる
「多野くん、凄く心配なんだね」
「だって、あの格好は刺激的過ぎるだろ」
笑われていることに不満を込めて視線を返すと、赤城さんもビーチボールで遊ぶ凛恋に視線を向けていた。
「凛恋もラッシュガードは持ってるよ。でも、女の子らしいところを多野くんに見てもらいたいって言ってた」
「凛恋は日頃から十分女の子らしいんだけどな」
なるほど、赤城さんの着ているおしゃれなパーカーはラッシュガードと言うらしい。今度はその単語を使おう。
「凛恋、結構気にしてるの。多野くんの前では遠慮なく素の自分を見せちゃうから、女の子じゃなくてガサツな奴だって思われてそうって」
確かに、凛恋はガサツというか結構奔放な性格ではある。
言葉遣いは、一般的に女の子らしいと言われる言葉遣いではない。それに怒った時なんか怒りがストレートに言葉遣いと表情に表れる。
でも、凛恋はちゃんと女の子らしい。
見た目の女の子らしさももちろんだが、ちゃんと目上の人には礼儀正しく出来るし、店員さんへの気配りも出来る。
料理も完璧で、普通の家庭料理からお菓子まで何でも出来る。
そもそも、俺に見せる凛恋は全部女の子らしい。
「凛恋は女の子らしい。じゃないと、俺は凛恋のことを可愛いと思わなかった」
「うん、凛恋は可愛い。でもやっぱり多野くんは違うね。凛恋の心の女の子らしさをちゃんと知ってくれてる」
赤城さんのその声は、もの凄く暗かった。透き通った青空や照り付ける明るい太陽でも、その暗さを隠すことが出来ていなかった。
「多野くんを不安にさせちゃうかもしれないけど、凛恋は凄く男の子にモテるの」
その言葉を聞いて、凛恋が魅力的だといことを考えればもちろんだろうとも思ったし、凛恋をいつの間にか奪い去られるようで怖いとも思った。
「でも、私が知ってる中で、凛恋の内面をちゃんと理解して好きになったのは多野くんだけ。みんな見た目が好みだから、軽そうで面倒くさくなさそうだからって人も居た。そういうの女子側って目線とかで分かるから、もちろん凛恋はいつもの感じで、サイアクとかマジあり得ないって言って断ってた」
手にミネラルウォーターのペットボトルを持った赤城さんは、両手でそのペットボトルを握り締める。そして、キュッと唇を噛んだ。
「そういうのを見てきたし、私も大人しいから文句言わなそうとか、何でも言うこと聞きそうとか言われてるから、そういうの知ってるから……私は男の人が苦手……ううん、嫌い、かな」
「でも、栄次のことは好きなんだろう。俺は本当に好きな奴だけ好きになれてれば良いと思うぞ。俺なんか男に限らず人間が苦手だからな」
「うん、もちろん好き。栄次も多野くんも」
赤城さんはニコッと笑って凛恋達の輪に上手く交ざっている栄次に視線を向けた。そして頬を赤くしてニコッと微笑む。
「栄次は凄く格好良くて女の子に凄くモテて。正直、好きですって告白してくれた時、えっ? 嘘でしょ? って思った。栄次が告白してくれた日は、私も栄次に告白しようって思ってた日だったから」
「まあ、相思相愛なのは恋愛経験皆無の俺でも分かってたから、付き合うとは思ってた」
そう言うと、赤城さんはプッと吹き出して笑う。
「それ、凛恋にも言われた。いつ付き合い始めるんだろって思ってたよって。その時に言ったの。凛恋は多野くんといつ付き合うの? って」
その言葉を聞いてドキリとする。それは恥ずかしいような決まりが悪いような、要するに複雑なドキリだった。
「そしたら凛恋、しょんぼりした顔で言うの。多野みたいな格好良い人が、私なんかと付き合ってくれるかなって」
「……どうやったらそういう思考結果になるんだ。それを言うのは俺の方だと思うが」
「その人のことが好きで好きで、大好きで堪らなくなると、心に溜めて置けなくて溢れた好きは不安になっちゃうの。大好きだけど私は好かれてるのかな? 私も大好きだけど他にも彼を好きな人はいっぱい居るよね、って」
「そういうものなのか」
そう、こともなさげに返すが、心の中にはチクチクと刺すものがある。赤城さんが言ったその不安は、俺が今持っている不安と同じだ。
凛恋のことが好きで、その気持ちが仕舞っておけないほどに溢れて、不安に変換されている。だから、凛恋の水着姿を隠したいと思ったのだ。
「私ね、今でも思うんだ。栄次のこと、好きになって良かったなって。栄次のことを好きになったから男の人のイメージが変わったから。でもそれは絶対に栄次だけのおかげじゃないの。多野くんのおかげもあるんだよ?」
「俺? 俺は何も――」
「私の初めての彼氏は栄次。でも、初めての男友達は多野くんなの」
「初めての、男友達?」
俺がそう聞き返すと、赤城さんはニコッと笑って深く頷く。
「うん、彼氏の栄次は凄く特別な男の人。でも多野くんは……うーん、特別じゃない男の人?」
「…………それって褒められてるのか?」
特別じゃないと言うことは、普通だということだ。ということは、その他大勢の普通の男達と同じカテゴリーだと言える。
「栄次は特別大好きな男の人で、他の男子は特別嫌いな男の人。でも多野くんは普通」
「もはや特別という単語も無くなったな」
「フッ、ごめん」
赤城さんが笑いながら謝る。でも、赤城さんの補足で、赤城さんの言ったことが決してネガティブな話ではないのは分かった。
「凛恋ほどじゃないけど、多野くんには全然無理しないんだ。好かれようとかこの人は嫌な人だとか、特別な何かを考えなくても普通に出来る。初めて四人で会った時に初めてそれが分かった。私、多野くんには普通に話し掛けられてたから」
空に視線を上げて言う赤城さんは、ハアっと何故か大きなため息を吐く。そしてその視線は遊ぶ凛恋達に向けられる。
「みんなの彼氏が多野くんだったら良かったのに……」
「どうしてそんな気味の悪い話になるんだ」
「だって、やっぱり男の人苦手だから疲れちゃって。多野くん相手なら全然無理しなくていいし」
赤城さんはアハハと乾いた笑いを浮かべる。もしかしたら、運動疲れではなく気疲れで休憩しに来たのかもしれない。
「あー!」
ビーチパラソルの下で話す俺達を見た凛恋が砂浜を駆けて来る。それを眺めながら、隣に居た赤城さんが小さく何かを呟いた。
でも、急に吹いた潮風がその音をいとも簡単に掻き消した。
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