【二〇《特別じゃない人》】:二
電車から降りると、体を撫でる潮風が吹き、日陰になったホームは涼しかった。
「栄次、後で覚えとけよ」
「何の話だ?」
隣に立つ栄次に視線を向けて言うと、栄次はニッと笑って歩き出す。
その後ろから歩き出した赤城さんと目が合い、さっと視線を逸らされる。しばらくはあの調子が続きそうだ。
「凡人、罰ゲームの件、忘れないでよ」
後ろから凛恋が俺の手を引ったくり歩き出す。
「ほら、二人に置いて行かれるよ」
ホームの階段を上がり駅舎に入ってホームを抜ける。前方には並んで歩く栄次と赤城さんの後ろ姿が見える。
駅舎の中に居る人は、街中の駅と比べると疎らだった。でも、寂しさや物悲しさは感じなかった。それに、街中の駅舎よりも結構古臭い。
この雰囲気を寂れてると感じる訳では無く、穏やかだとか情緒があるなんて思ってしまう今の俺は、相当眠いのかも知れない。
改札を抜けて駅舎の外に出ると、隣に居る凛恋がウーンっと手を天に伸ばして背伸びをする。
フレアミニスカートに半袖のシャツという夏らしい服装の凛恋が背伸びをすると、凛恋の着ているシャツの胸元が内側からグッと押されて膨らむ。
それを見て、俺は周囲に視線を向けた。しかし、幸い誰も凛恋の方に目を向けていない。
夏は暑い。だから当然、人は暑さを和らげたり避けたりしようとする。
冷房の効いた部屋に入るのも、冷たい食べ物を食べたくなるのもそうだ。そして、夏はみんな薄着になる。
もちろん俺も下はジーパンで上は半袖のTシャツだから、十分薄着と言える。ただ、男の薄着はさして問題じゃ無い。
問題なのは、女子の……いや、凛恋の薄着だ。
凛恋は日頃から丈の短いミニスカートが好みのようで、よくミニスカートを穿いている。
実際似合っているし、俺も凛恋のそういう姿を見られるのは嬉しいと思う。ただ、それは俺以外の全ての人間に例外なく見せられているということだ。
隣に並んでいるのが栄次くらいのイケメンなら問題視することはないのだが、隣に居るのが俺ということで懸念しなければならないことがある。
「こんにちは。君も泳ぎに来たの?」
ダラッとした服装のいかにもチャラそうな男が、照りつける太陽よりもイライラとする笑顔を向けている。もちろん俺では無く凛恋にだ。
「凡人行こー」
凛恋が俺の腕を抱いて歩き出す。後ろから「マジかよ。あいつ、あの子の彼氏か」という苦々しい声が聞こえてくる。
「あのチャラ男の目は節穴ね。こーんなに凡人は格好良いのに」
「いや、あの反応は普通だ」
「そんなことないわよ」
「まあ、凛恋にそう思ってもらえてるだけで俺は十分だしな。それに、俺は男に好かれたくはない」
凛恋と一緒に先に歩いて行った栄次達を追い掛ける。
駅のすぐ側が海ということもあって、駅周辺にはサーフィン用品を扱う店や釣り具店といった海関連の店が多い。
もちろん海鮮料理を扱うお店もあり『冷やし中華はじめました』という張り紙や『氷』というお馴染みのかき氷を示す幟が掲げられていたりもする。
そして、通り過ぎた店の軒先に掛けられていた風鈴が、潮風に揺られてチリンと涼しげな音色を響かせる。
そんな夏らしい風景に、自分が今、夏を感じてるのだと実感する。
夏休みと言えばゲームを消化する期間。そういう頭しか俺には無い。
昼前に起きてダラダラとゲームの電源を入れる。
それから遅めの朝食と昼飯を兼用した食事を食べながらゲームをする。
そして、晩飯までゲームをして、晩飯と風呂が終わったら眠くなるまでゲームをする。
それが、俺の夏休みだ。そんな生活を四〇日弱続けるのだ。
夏らしくない夏休み、それが俺にとって普通の夏休みで、それ以外の夏休みは知らない。
そんな俺が、夏休みに彼女と友達と一緒に海辺のキャンプ場でキャンプをする。
そのとんでもなく夏らしい夏休みに俺らしくなさを感じて、なんとなくちぐはぐに思える。
彼女と一緒にキャンプ。夏らしい上にいかにもリア充らしい夏のイベント。
それをスクールカースト最下位、学校で最底辺の人間の俺が今からやろうとしているのだ。上手く現実として噛み合わなくても仕方がない。
でも、隣でニコニコ笑っている凛恋も、直接肌が触れ合って感じる凛恋も現実なのだ。
そのたった一つで揺るがない確たる存在が、俺を現実離れした現実に結びつけてくれている。
「凛恋! 希!」
駅からしばらく歩いて、キャンプ場の看板が見えてきた時、キャンプ場の看板の下で手を振る女子が居た。
その女子の隣には俺と同い年くらいの男子が立っていて、その後ろには中年の男女と、その他大勢の男女が立っている。
おそらく、後ろに居る中年の男女は保護者として来てくれた、凛恋の友達の両親で、手を振っているのは凛恋の友達だろう。
「保護者の人達を会わせて一六人……多いな」
凛恋と赤城さんの名前を呼んで手を振っている女子に向かって歩きながら、その女子の周辺に居る人数をザッと数える。
一六人も人がひしめいている空間で俺は二日も寝泊まりしないといけないのか……。
実は、俺は今回のキャンプを一度断っている。その理由は凛恋の友達が一緒だということだ。
俺は栄次のようにいきなり会った人間と馴染める人間じゃない。だが、それよりも俺が『多くの人から好かれない人間』であることが問題なのだ。
凛恋の友達は、俺品評会の時も俺へ悪い印象を持っているようではなかった。
それは凛恋や赤城さんの友達だから良い人が集まったのだろう。そう俺は思う。でも、今回のキャンプには凛恋の友達の彼氏達も来るのだ。
良い人の友達が良い人とは限らない。でも、凛恋と赤城さんの友達は良い人が集まった。だから、きっと良い人の彼氏は良い人ばかりなのだろう。でも、それが俺に良い人かは分からない。
そういう不安は杞憂なのかもしれない。でも、俺はその二つの懸念で上手くやる自信が無かった。
もし俺が上手くやれなくて、キャンプに参加した人達に不快感を抱かせてしまったら、そのしわ寄せが凛恋に行ってしまうかもしれない。
それが嫌だった。だから、俺は行かないつもりだった。
でも……凛恋が、俺と一緒に行きたいと言ってくれた。
凛恋にそう言われては、断ることなんて出来る訳がなかった。
「よーし、全員揃ったね! じゃあ行こ!」
先頭に立って歩き出す女子にゾロゾロとみんながついていく。それを見送りながら、俺は凛恋の友達のお母さんに近付いた。
「荷物を持たせてください」
「えっ? ありがとう」
一瞬驚いた表情をしたが、凛恋の友達のお母さんは手に持っていたビニール袋を差し出す。
「あなたは?」
「初めまして、多野凡人と言います」
「ああ、凛恋ちゃんの。私は溝辺里奈(みぞべりな)の母です」
穏やかな笑顔で自己紹介をしてくれたが、そもそもその溝辺里奈さんと面識が無い。多分、あの先頭に立っている賑やかな人だろう。
「今回はご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
俺がそう頭を下げると、溝辺さんのお母さんはフッと笑みを溢した。
「とても礼儀正しいわね。里奈も見習ってほしいわ」
「いえ、そんなことは」
溝辺さんのお母さんは前を歩くみんなの背中を見た後、俺に視線を戻した。
「多野くんはみんなと一緒に居なくて大丈夫なの?」
「いえ、知ってるのは赤城さんとその彼氏と凛恋だけなので。すみません、溝辺さんともまともに話したことのない俺なんかも混ざってしまって」
「大丈夫よ。大勢の方が賑やかだから」
俺の雰囲気で察したのか、溝辺さんのお母さんはそれ以上みんなの中に加わるように勧めては来なかった。
それはやはり、大人だからだろうか。色んな経験をしてきている大人だから、そうやって放っておく優しさが持てるのかもしれない。
溝辺さんのお父さんがキャンプ場の受付で何やら話をしている。
俺がそれを遠巻きに見ながらボケっとしていると、前から凛恋が歩いて来てジトっと俺の目を見た。
「気が付いたら隣に居ないから、どこに行ったのかと思って探したらこんな後ろに」
「友達の中に走って行ったのは凛恋の方だろ」
凛恋にそう答えると、凛恋はニコッと微笑んで溝辺さんのお母さんに丁寧に頭を下げた。
「お世話になります」
「いえいえ、ねえねえ凛恋ちゃん」
「はい?」
凛恋が呼び寄せられ、何やら耳打ちされている。俺からは何を話しているか聞こえないが、凛恋が驚いて顔を真っ赤にしたり照れ笑いを浮かべたりしている。
溝辺さんのお父さんが受付を終えて、予め全員から集めていた費用を纏めて払う。
このキャンプ場は、ぶっちゃけると着替えと食材さえあれば他に荷物は必要ない。
このキャンプ場はテントからバーベキューセットまで、キャンプに必要になるであろう物を貸し出してくれる。
今回は事前に人数を把握した溝辺さんの両親が、宿泊の予約をしてくれた。そのお陰で、一六人の大所帯で来たのにスムーズに進んだのだろう。
テントに始まるキャンプ必需品からバーベキューセット等の付随品を全部自分で揃えたら相当な金額になるし、何より荷物になってかさばる。
そして、キャンプをそれなりの頻度でやらなければ勿体無い。
俺のように、用具を一切持っておらず、高一まで生きてきて初めてキャンプをするような人間には、数一〇〇〇円で手軽にキャンプが出来るこの手のキャンプ場はピッタリだと言える。
荷物を持って辿り着いたキャンプ場はだだっ広い、芝生の生えた広場という印象だった。
受付のあった建物から少し離れていて、海側には申し訳程度の防砂林がある。しかし、思ってた以上に客が少ない。夏休みだというのにだ。
もっと人がごみごみしていている様子しか想像していなかった。だが、それは俺にとって悪いことではない。
人が少ないということは、それだけ静かだと言うことだ。
人がうじゃうじゃごみごみして落ち着かない環境よりよっぽど良い。
「海だぁー!」
男子の中の一人が、青春真っ盛りという雰囲気通りの掛け声と共に、浜の近くまで走って行く。
周りに居た他の人達は、その行動に苦笑しながらも一緒になって走り出した。もちろん、俺はその青春真っ盛りな集団を遠巻きに眺めているだけだ。
溝辺さんの両親が場所の見当を付けて荷物を一箇所に集めている。その場所に歩いて行き、俺が持っていた荷物を置く。
「ありがとう」
「いえ」
溝辺さんのお母さんに労いの言葉を貰うと、近くに居た溝辺さんのお父さんが呆れたような、でも嬉しそうな顔をみんなに向けていた。
「子供らしいな」
「夏休みですからね。それに海は開放的ですし、羽を伸ばしたくなるのかもしれません。すみません、申し遅れました。多野凡人です」
「おお、君が八戸さんの彼氏か!」
溝辺さんのお父さんが何やらニコニコして俺を見定めるように目を向ける。しかし、溝辺さんのお母さんもお父さんも俺のことを聞いているような反応をする。
「あの、凛恋から何か私のことを?」
人付き合いしなれないなりに、遠回しに尋ねてみる。すると、溝辺さんのお父さんがハッハッハと笑った。
「里奈が、遂に凛恋に彼氏が出来た! って騒いでたからな」
「そうですか。この度はご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「おお、ここには子供らしくない子供が居たか」
ニヤリと笑ってからかうように言う溝辺さんのお父さんが、まだ水着に着替えて無いのに砂浜に駆け出したみんなを眺めてから、体を吹き抜ける潮風のようにサラリと言う。
「子供は子供らしくないとな」
今回のキャンプは参加している全員が恋人と来ているというとんでもリア充集団だ。
やっぱりそのリア充集団に自分が居ることに違和感があるが、そのことは置いておくことにする。
事前の話し合いで、恋人同士で一張りのテントを使うことになっていた。そして、溝辺さんの両親は自前のテントがあるが、溝辺さんを含めた残りの一四人はテントを借りることになる。
俺はキャンプなんてよく分からなかったが、溝辺さんの両親はやっぱりキャンプによく行くようで、二人で使うのに適したテントを七張り予約してくれていた。
俺は溝辺さんのお父さんと一緒に、みんなが浜辺で青春してる間に何往復かしてテントを借りてきた。
「全く……こらー! 先にテントを張らないと! 荷物はどうする気だー!」
溝辺さんの怒鳴り声が響く。
その声にわらわらと戻ってきたみんなが、運んできたテントを見てざわざわと話し始める。
「自分達が使うテントだ。ちゃんと自分達で張るんだ。まあ、説明の紙は貰っておいた。分からないことがあったら聞きに来なさい」
「「「はい」」」
みんながそれぞれ折り畳まれたテントが入った袋を持ち上げて、思い思いの場所にバラけて行く。
「凛恋、俺達はどの辺りがいい?」
「希達と隣の場所にしよ! 希ー!」
赤城さんの所に駆け出した凛恋を見送ると、後ろから肩を叩かれる。振り向くと、そこには女子の先頭に立っていたあの賑やかな人が居た。
「多野くん、久しぶり」
「どうも」
久しぶり、と声を掛けられても記憶の中に彼女の記憶はない。だから無難な返答しか出来ない。恐らくこの人が溝辺さんだろうが、まだ確定したわけでもないし。
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