【一〇《愛の証》】:一

【愛の証】


 梅雨というと、大抵の人は嫌な印象を抱くらしい。ジメジメとしていてスッキリしない天気。それが大抵の人が抱く梅雨の印象。


 俺は雨が好きだ。もちろん春雨の時と同じように、梅雨も例外じゃない。梅雨は五月雨という呼ばれ方もする通り、通常五月から七月あたりにある長い雨季のことを言う。


 雨が降ると、外での体育は当然出来なくなる。だから、体育館でやらなければいけない。

 刻季高校の体育の授業は、二クラスで一緒に行う。そして、通常は女子が体育館で男子がグラウンドなのだが、雨の時は男女合同で授業を行うことになる。


 今日の授業はバスケットボールらしく、視線の先ではゴム製のザラザラとしてそうなボールを使って楽しそうに女子がバスケットボールを楽しんでいる。

 そしてその向こう側のコートでは、男子が真剣な表情でバスケットボールを楽しんでいる。


 日頃、下心丸出しの男子高校生も、体育の授業ではあまり女子の目は気にしない。特に、積極的にバスケットボールをやっている連中は、本当にバスケットボールを楽しんでいる。

 下心のある奴は、俺みたいに端に座り込んで女子を物色するものだ。俺は単に体育をやりたくないだけだが。


 雨の日の体育は、一箇所に多数の人間を集めるため、一人二人サボっていても見付からない。特に、日頃からも空気な俺は見付かるわけがない。


「こらー、多野。サボるなー」

「……栄次か。栄次も同じようなものだろ」

「俺はちゃんと二ゲームやって来た。今は休憩だ」


 ハーフパンツに半袖のシャツというスタイルでニッと笑う栄次に顔をしかめる。目立つ奴が来てしまった。


「授業サボって女子を見てるって聞いたら、八戸さんが悲しむぞー」

「見てない。視界に居るだけだ」

「まあ、でも運動する女子を目に入れたくなる気持ちは分かる。制服より、露出が多いからな」

「栄次の方こそ、赤城さんが悲しむぞ」


 隣に座った栄次にそう言い返すと、栄次は体育館の壁に背を付けて爽やかに笑った。なんとまあ、女子が好きそうな笑顔だこと。


「カズと八戸さんが付き合って本当に嬉しい」

「……そうか」

「俺と希が付き合い始める前から相談に乗っててさ。会う度に凹んでて、結構見てる方も辛かった」

「……なるほどな」

「俺からそれとなく、カズと八戸さんを関わらせようとしてるのにカズはスルーするし、協力するって言った手前焦った」

「……大変だったな」

「他人事みたいに言うなよ」

「どう言えば満足なんだよ」


 栄次が俺をからかおうとしてるのは分かっている。変に反応して栄次がからかう燃料を与えるわけにはいかない。


 俺と凛恋が付き合い始めてから、栄次と赤城さんの四人で出掛けることが前より多くなった。俺は「休みの日は家でゆっくりするものだ」と訴えるのだが、凛恋と赤城さんに説得されていつも連れ出される。


 行く場所なんてカラオケかファストフード店かファミレスくらい。後は俺の家か……。

 どこに行っても、学校で何があったとか、そんな話をするだけで特別なものではない。

 もちろん最初は特別な感じがして変に緊張していた。でも慣れというものは誰にでもあるもので、いつの間にかそれが繰り返されることに慣れてしまっている。


「希、今何やってんのかなー」

「学校に行ってるだろ」

「そりゃあそうだろうけど、俺達みたいに体育やってんのかなって。あー希の体育着姿見たいな」

「随分マニアックな趣味だな」


 目の前を横切る女子を見た後に、ハアっとため息を吐きながら栄次は頭をカクンと下げる。


「カズは八戸さんと同じ学校だったらって思わないのか?」

「いや、俺は別の高校で良かったと思う。同じ高校だったら、多分凛恋は俺に気を遣って疲れる」

「……八戸さんは――」

「凛恋は気を遣ってるなんて思わないだろうな。でも実際はそうじゃない。凛恋が仲良くするような人達が、必ずしも俺に好意的だとは限らない。大抵の人間が俺のことが嫌いだろう」


 凛恋がもし刻季の生徒だったら、相当生き辛い環境になったはずだ。

 彼氏が大抵の人に忌み嫌われているなんて、やりにくくて仕方がないはずだ。


 凛恋と友達になる人は、赤城さんのように良い人ばかりかもしれない。でも友達の友達や、友達とまではいかなくてもよく話す人が全て良い人なんてあり得ない。

 もしそんな世界だったら、そもそも俺のように忌み嫌われる人間は存在しない。

 そんな楽しくない環境に凛恋が置かれるのは、俺は絶対に嫌だ。


「でも、八戸さんの体育着姿見たくないのか?」

「体育着姿? まあ、うちの体育着よりはおしゃれではあったな」

「何ッ!?」


 突然、隣で栄次が叫び出し、周囲の視線が集まる。ただでも視線を集めるのに大声出すなんて何を考えてるんだ、アホ栄次は。


「栄次うるさい」

「いや、おしゃれって、見たのかよ。刻雨の体育着」

「着てるのは見てないぞ。俺の部屋で鞄の中を整理してた時に畳まれたやつを見ただけだ」

「そうか。一瞬、もうそんなに仲良くなったのかと思った」


 息をフッと吐いた栄次は、またハアっとため息を吐いてボーッと前を見詰めていた。



「ということがあった」


 放課後、いつも通り俺の家に来た凛恋に、その日にあったことを話す。

 そして、凛恋はクスッと笑って俺に視線を向けた。


「喜川くんも男の子ねー。明日、希に話してからかおっと」

「それで栄次に怒られるのは俺なんだぞ」

「凡人なら大丈夫」

「何を根拠にそう断言出来るのか教えてほしいな」


 ケタケタと明るい笑い声を上げる。凛恋はテーブルに置いたコップからお茶を飲んでジーッと俺の目を見る。

 見詰めるというよりも、若干睨まれているような気がする。


「そういえば、喜川くんが体育着の女子を見てたってことは、凡人も見てたってことよね?」

「まあ、座ってたら視界には入るからな」

「や、やっぱりドキドキするもの?」


 探るように聞いてくる凛恋に、俺は内心ため息を吐く。


「他の男はどうか知らんけど、俺は自分をボロクソにこき下ろしてる女子見てドキドキするような、おめでたい性格じゃない」

「そっか、でもさ……興味はあるわけでしょ? その……女の子の体、とかさ」

「…………さあ」

「あっ、ごまかした!」


 凛恋から視線を外して、やぶれまんじゅうを皿から一個取って噛み付く。そして、丁度良い甘さの餡と若干温くなったお茶が良い感じにほっこりする。


「こら、凡人。白状しなさい」

「俺は何の尋問を受けてるんだよ」


 横から体を揺すって来る凛恋に視線を向けると、プクゥーっと両頬を膨らませた凛恋が、勢い良く身を乗り出して、俺が手に持ったやぶれまんじゅうに食らい付いた。


「食べかけ食べなくても、皿の上にいっぱいあるだろ」

「話をごまかした天罰よ」


 食べかけのまんじゅうを食べられるという、恐ろしく軽い天罰を受け、俺は手に残ったまんじゅうの欠片を口に放り込む。


「でもさ、私は凡人と同じ学校だったら良かったって思うよ。凡人が心配してくれたのも嬉しいけど、やっぱ、彼氏と同じ学校で楽しいこといっぱいしたいしさ」

「そうか。まあ、赤城さんと凛恋が居たら、昼飯の時は楽そうだな。栄次は人を集めるし」

「喜川くん、やっぱりモテる?」

「嘘は吐けないから言うが、モテるな。赤城さんって彼女が出来て大分減ったが、まだしつこく話し掛けてくる女子は居る」

「そっか、それは希には言えないわね。きっと変に心配しちゃうだろうし」

「いや、でも栄次は遊びの誘いとかは断ってるからな。彼女が居るから、彼女を心配させるようなことは出来ないって」

「やっぱ、教えてあげよ」


 ニッと笑う凛恋は嬉しそうにコップを両手で握る。

 その嬉しそうな顔を見て、俺は心の中がフッと温まる感覚を抱いた。


 凛恋はコップをテーブルに置くと、俺のコップを俺から取り上げ、同じようにテーブルに置く。そして、俺が伸ばした足の上に乗ってきてジーッと俺の顔を見詰める。

 スッと顔が寄せられて、優しく唇が重なる。凛恋の唇の柔らかさとフワッと漂う、凛恋の甘い香りを感じて、一気に体がカッと熱くなる。


「どーだ」


 唇を離した凛恋は、ニヤッと笑って両手を腰に置いてそう言う。しかし、顔を真っ赤にしてるところが可愛い。


「いきなりとは卑怯だな」

「キャッ!」


 凛恋の体を引き寄せて、仕返しのキスをしてすぐに唇を離す。


「あっ……ハッ!」


 唇が離れた瞬間、凛恋は残念そうに呟き、そしてその呟きを発した自分に焦って手で口を塞ぐ。

 凛恋の顔は耳まで真っ赤になり、今にも火が出そうな、そんな様子だった。


「凡人って、そういうの上手い」

「そういうの?」

「そういうのされたら、もっとチューしたくなるじゃん」


 凛恋の唇が再び重なって、今度は背中に腕が回されて、さっきよりも長い間、唇が重なる。

 温かく体を凛恋に包まれ、凛恋を近くで感じて、凛恋で頭がいっぱいになって溢れそうになる寸前、ゆっくりと凛恋が離れた。


「凡人、大好き」

「ありがとう凛恋。俺も凛恋が大好きだ」


 唇は離れても抱き締める手は離さない。凛恋の体はフワッとしていて、柔らかくて落ち着く。


「チョー幸せ。放課後に凡人にギュッてしてもらえるから、毎日学校頑張れる。ホント、幸せー」


 身を委ねてきた凛恋の胸が俺の胸に押し当てられる。心の中でドキッと心臓が跳ね上がるが、必死に心を落ち着かせる。


「凡人。土曜日、希と喜川くんデートだって。水族館に行くって言ってた」

「そっか、俺達も何処か行くか?」

「良いの!?」


 一番近い友達、親友が休みの日に彼氏とデートだというのに、自分は彼氏の家でダラダラしてました。じゃ、凛恋も話し辛いだろう。

 それに、そういう話題を持ち出す時は、遠回しに自分も何処かに行きたいと言っている時だ。


「凛恋は何処か行きたい所あるか? ちなみに俺は無い」

「何処にしよー! チョー迷う!」

「あんまり遠い所は無しな。それと梅雨の時期だから屋内が良い」

「そっか、そうだよね! 雨だし室内で出来ることが良いよね!」


 凛恋はウキウキした様子でスマートフォンを取り出し調べ始める凛恋。

 その凛恋を横から眺めながら、俺は凛恋にさり気なく近付いてスマートフォンの画面を覗き込む。

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