【一〇《愛の証》】:二

 ここ最近では一番の大雨が降る土曜。俺は若干緊張していた。その緊張の理由は今日のデートの目的にある。

 今頃、栄次と赤城さんは俺達と同じように待ち合わせをして、水族館へレッツゴー、というところだろう。


「おまたせ」

「いや、そんなに――待って、ない……」


 いつも通りの明るい声で現れた凛恋は、いつも通りじゃなかった。


 膝丈より少し長い白のフレアスカートに、爽やかな青色のチェック柄をしたシャツの上にベージュのカーディガンを羽織っている。濃い目のタイツを穿いたスラリとした足の先には、女の子らしいパンプスを履いている。


 凛恋はいつもTシャツにミニスカートと言うような、カジュアルというか活動的な服装をしている。

 しかし、今回は大人しいというか、女の子らしい服装をしている。


「やった! 驚いてる驚いてる」


 ニヤニヤっと笑った凛恋は、傘を閉じて俺のすぐ目の前に立つ。

「……凛恋、凄く似合ってる」

「ありがと! たまにはこういう服も良いかなって思って、希とちょくちょく見に行ってたの。可愛い?」

「めちゃくちゃ可愛い」

「ヤバ、チョー顔熱い!」


 両手で頬を触る凛恋は真っ赤な顔で自分の足元に視線を落とす。

 いつもの凛恋が可愛くないわけではない。でも、いつもとは少し違う服装というのは新鮮さを感じる。


「今日は記念の日だし、いつもより頑張ってみた」

「ありがとう、凛恋」


 記念の日、という言葉に緊張が高まる。

 今日のデートプランは凛恋の提案、そしてその内容は『ペアリング作り』だ。


 ペアリングというのは、文字通り二つ一組の指輪のことを言う。そしてペアリングというものは、普通男女がはめるものだ。

 そしてその男女は結婚しているか恋人同士である。


 今回、室内で尚且つ近場という要望しか出していなかった俺に凛恋が提示したのが、ペアリング作りが出来るアクセサリー工房だった。


 ペアリングというものは、お互いの愛を確かめ合うとか、お互いの愛の証としては十分過ぎる効果がある。しかし、その効果の絶大さ故に精神的なハードルが高い。

 俺と凛恋は付き合ってまだ一月も経っていない。その状況でペアリングというものはどうかと不安に思う。


 まあ、色々理由を考えてみたが、詰まるところ気恥ずかしいのだ。俺はおしゃれというものに無縁の人生を歩いてきた。

 そんな俺にいきなりペアリングというのは、登山初心者がエベレスト山へ登ろうとするようなものだ。精神的不安が拭えない。

 だが、凛恋が凄く嬉しそうにペアリング作りの紹介ページをスマートフォンで見せて来た時、そんな不安は口に出せなかった。


 俺も嬉しくないわけではないのだ。むしろ嬉しいと思うし、良かったとも思う。


 凛恋は付き合う前から社交的で友達も多く。性格もいいし見た目も可愛いから男に人気があったようだ。

 だから、凛恋が俺のことを好きで、凛恋が俺の彼女であるという証明になるペアリングは、俺にとって安心出来る良い物だ。


 学校ではめることは出来ないだろうが、外出時にはめていれば、よっぽど自分に自信のある奴でなければ、凛恋に近付く男は居ないだろう。

 だから、俺は賛成なのだ。しかし、やっぱりハードルが高い。

 それにそもそも俺は指輪なんて作ったことが無いんだから上手く出来るか不安だ。


 今日のペアリング作り、ただ指輪を作るというだけではなく、お互いの指輪を作ることになっている。だから、凛恋がはめる指輪を作る以上、下手な物は作れない。


「凡人、傘差して」

「お、おう」


 傘を広げると、凛恋がニッコリ笑って俺の腕に抱きつく。柔らかい凛恋の腕が絡みつき、腕の先にある手はがっちり握られていた。


「さっ、行くわよー」


 腕をグイッと引っ張って歩く凛恋が雨に濡れないように傘の位置を調整しながら歩き出すと、隣から凛恋の顔が俺の前に出てきた。


「そういえば、どの指のリング作ろっか」

「あー、はめる指で意味があるんだっけか」


 指輪というと、左手の薬指にはめるのが婚約指輪とか結婚指輪くらいしか知らない。


「あのさ……私、左手の薬指がいいな」

「左手の薬指? でも左手の薬指は結婚指輪とか婚約指輪を嵌める指だろ?」

「確かにそうなんだけど、意味では『愛の証』って意味なの。だからさ、そういうの……欲しいな」

「じゃあ、左手の薬指にしよう」

「ホント!? やった!」


 ムギュッと抱き締められる腕に伝わる感触にドキッとしながら、フッと笑みが溢れる。こんなに真剣に可愛く頼まれたら、断るなんて出来るわけ無いだろう。


「私さ、彼氏が出来たらペアリングを付けるの夢だったんだ。漫画とかドラマとか、それこそ身近に居る友達とかが付けてるの見てさ、チョー羨ましかったの」

「そうか。俺はあまりペアリングとかピンと来なかったな。そもそもアクセサリー自体が初めてだし」

「私はブレスとか付けてるけど、指輪は初めて。そういうのはさ……ちゃんと大好きな彼氏出来てからって決めてたから」


 ニッと笑う凛恋は顔を赤らめる。握られた手の指もギュッと組まれ熱くなった凛恋の手の温度を感じた。

 雨が容赦なく打ち付ける街の中、俺と凛恋は騒がしい音を響かせる店の前を通り、濡れたタイルに視線を向ける。


「凛恋、足元に気を付けろよ。滑りやすいから」

「ありがと。……学校でさ、今みたいに凡人が気を遣ってくれること話すと、みんなに惚気かって冷やかされるの。でもさ、みんなにいいなー、羨ましいって言われる。それがチョー嬉しい」

「そうか? 誰だって好きな彼女にはするだろ」

「でも、絶対に車道側を歩かせないとか、どんな些細な荷物だって持たせないのは、凡人だけみたい。それが嬉しくってさ、別に友達の彼氏と比べるわけじゃないんだけど、凡人のことを褒められると嬉しくて」

「……そうか」


 なんとコメントしていいやら分からん。素直にありがとうと言えば良いのだろうが、こんな時に限って気恥ずかしさが勝ってしまう。

 しばらく雨が打ち付ける道を歩いていると、凛恋が進行方向の先を指さす。


「あそこが予約したアクセサリー工房」

「なんか、おしゃれな外観だな」


 工房というから、油臭い工場のような場所を想像したが、外観はおしゃれな小物店のようで、まあアクセサリーを作る場所だから油臭い工場な訳無いのだが……。


 工房の中に入ると、店内には小さい音量で大人し目のジャズが流れ、いかにもおしゃれな店という雰囲気を放っている。とりあえず俺が場違いなのは間違いない。


「すみません、今日予約してた八戸凛恋です」


 流石に腕を抱くのは羞恥心があったのか、腕を抱くのを止めて手を繋いだ凛恋が店員さんに声を掛ける。

 店員さんは優しそうな大人のお姉さんで、紺色のエプロンを着けて居る。店の外にあった看板と同じロゴが刺繍されているのを見ると、どうやらこの店の制服らしい。


「はい。ではまずこちらのエプロンを着けて奥の作業場へ」


 店員さんにエプロンを手渡され、俺はサッとエプロンを着用する。隣で凛恋がエプロンを着けるのを見ながら、俺は声を掛けた。


「凛恋、エプロン着け慣れてるな」

「家で毎日着けるし。あー、凡人後ろ結び方が変よ」


 凛恋が俺の後ろに回って紐を解き結び直してくれる。

 そういえば、凛恋は家で家事全般の手伝いをしているらしい。もちろん家庭の事情というわけではなく、好きだからやっているらしい。

 特に、料理はかなり好きだそうだ。


 金髪の今時女子高生という雰囲気の凛恋が、実は家庭的というのは、やっぱり男子の人気を集める要因にもなっているらしい。

 栄次経由で聞いた赤城さんの話では、家庭科の授業でクッキーを焼いた時は男子の壮絶な取り合いが起きたらしい。

 俺も凛恋にクッキーを貰ったが、確かにあれは美味しかった。


「あれだけ美味かったらモテるよな、そりゃぁ」

「えっ?」

「……何でもな――」

「白状する」


 つい口走ってしまい、俺はごまかすために工房へ歩き始める。しかし、隣には当然ピッタリ凛恋が付いて歩き、横から鋭い視線を向けてくる。


「かーずーとー、なーに考えてたのよ」

「いや、まあその……あんだけ美味いクッキーが作れたら、取り合いにもなるだろうなと」

「まーた希が余計なこと言って、それで喜川くんにからかわれたのね。家庭科で作ったのと凡人にあげたのは別物よ。…………だって、凡人の方にはいっぱい愛情入れたし」


 後半をボソッと呟くように言った凛恋だったが、はっきりと聞こえた。


「また食べたい?」

「えっ? 作ってくれるのか?」

「凡人が喜ぶならいくらでも作る! あっ! 今度一緒に作るのもいいわね! 凡人とお菓子作りってのも楽しそう」

「俺、料理は全然ダメだぞ?」


 うちの台所は婆ちゃんの領域だ。だからあそこで包丁を持つことが許されているのは婆ちゃんだけだ。

 そんな聖域で俺が何か作れるわけもない。しかし、婆ちゃんは凛恋に食材の場所を教えてるみたいだし、その聖域も少し開放されてきているのかもしれない。


「そういえば凡人のお婆ちゃん言ってたわ。一度凡人が勝手にご飯作ったらとんでもないもの作ったから、凡人には二度とご飯を作らせないって。一体何作ったのよ」


 ジトっとした目を向けられるが、俺は別に変なものなんて作っていない。


「冷や飯に醤油とバターと卵入れて炒めたやつだ。ベーコン入れる前に怒鳴り散らされた」

「まあ美味しそうではあるけど、お婆ちゃんはちょっと怒るかもね。凡人のお婆ちゃん、結構きちんとした料理を作る人だし」

「食えれば何でも良いのに、婆ちゃんケチだからな……」

「じゃあ、お婆ちゃんが怒らない程度の料理を教えてあげる」

「…………ハードル高そうだな」


 絶対に、ペアリングのハードルよりも遥かに高い気がする。でも、凛恋が嬉しそうに笑っているのを見ていたら、一緒に料理をしてみたいと思った。



 工房に通されてすぐに、さっきのお姉さんと一緒にデザインの検討に入る。

 しかし、デザインの検討と言っても、素人の俺達に手の込んだ物が作れるわけがないから、シンプルなデザインに落ち着いた。


「お二人とも仲が良いですね」

「ありがとうございます」

「うちは比較的低価格だから大学生の方も来られるんですが、高校生の方はお二人が初めてです」


 早速、コミュニケーション能力の差が浮き彫りになる。凛恋はお姉さんと楽しく会話をしながら木槌でコツコツと叩いてリングの成形をしているが、俺は黙々と木槌をリングに打ち付ける。


 リングは予め用意されていた金属の細い平板を、はめる指のサイズを測った後にそのサイズに合うように切る。そして、その切った平板を芯金(しんがね)と呼ばれる円柱の棒に巻きつけるように木槌で叩いていく。

 正直、見た目は地味な作業だ。しかし、切った平板の両端がピッタリ合わないといけないらしく、それがまた難しい。


 切断時に平板の切断面に出来た凹凸を削りながら慎重に叩いて接合部がピッタリ合うようにする。


「彼氏さん、上手いですね」

「ど、どうも、ありがとうございます」


 突然、お姉さんに声を掛けられ、危うく木槌を振る手に力が入り過ぎるところだった。


「ホントだ、凡人ってこういうの得意なんだ」

「集中するような作業は得意かな」


 集中する作業。すなわち、周りを遮断出来る作業は得意だしかなり好きだ。工作とか読書とか、一人でやる作業は昔から好きだった。

 それだけに集中していれば良かったし、何よりその間だけは自分一人だけの世界に入れた。


「そういえば、お二人の出会いってどんな出会いだったんですか?」


 ニッコリと笑うお姉さんは俺と凛恋を交互に見る。別に不釣り合いだからという意味ではなく、純粋に世間話のつもりなのだろう。

 それにしても、出会いを説明しろと言われてもどうすればいいのか。


「友達同士でカラオケに行った時に初めて会ったんです」


 凛恋が笑顔でそう答える。まあそう答えるしかないのだが、それがパッと出てくるあたりが凄い。俺は困って話し出せなかった。

 こういう、初対面の人と話さなければいけない場面で、凛恋が居てくれるのはとても安心出来る。


「告白はどちらから?」

「えっと……私からです」

「そうなんですか。優しそうな彼氏さんですよね」

「そうなんです。凄く優しくて気が遣えて格好――」

「凛恋、手が止まってるぞ」


 隣で彼女に褒められるのは嬉しいことだが、恥ずかしいことでもある。だから、話に熱が入る前に凛恋を止めた。


「可愛い彼女さんですね」

「そうですね。優しいですし料理も上手いですし、それに凄く友達思いで。でも、何より性格も見た目も可愛いです」


 ニコッと笑って若干茶化し加減で来たお姉さんにそう答える。すると、お姉さんは一瞬目を丸くして、それから柔らかい笑みを浮かべた。


「凡人」

「ん?」

「ちょっと、言い過ぎ」


 隣でコツコツと木槌で叩く凛恋は、真っ赤な顔をリングに向けたまま呟く。その凛恋から視線を外して俺もリングに目を向ける。そして、最後に俺も呟いた。


「思ったことを言っただけだ」



 リングの制作は、接合面に蝋を塗ってバーナーでくっ付けた後、再び芯金に通して形を整え、それから綺麗にヤスリで磨いた後、お姉さんが別料金が掛かる刻印をサービスで入れてくれた。

 凛恋が作ってくれたリングには『RIKO to KAZUTO』で、俺が作ったリングには『KAZUTO to RIKO』という文字と共に、今日の日付が彫られていた。


 工房を出て出来上がったばかりの指輪をはめた凛恋は、自分の左手を広げ、薬指にはまったその指輪を嬉しそうに見詰める。


「凡人が作ってくれた指輪、凄く綺麗」

「凛恋が作ってくれた指輪も凄く綺麗に出来てる」


 凛恋の右手と握っている俺の左手の薬指には、凛恋が作ってくれた指輪がはまっている。


「何か、凄く距離が近くなれた気がする。ただの指輪じゃなくて、手作りだからかなー」


 左手を伸ばして指輪を見詰める凛恋は、フッとまた嬉しそうにはにかんだ。最初は精神的なハードルがあったが、やっぱり作って良かったと思う。


 指輪が含まれる装飾品の類いは、昔から外敵から身を守る魔除けの意味合いが強かった。凛恋に良からぬ男が近付かないように、というのもそうだが、凛恋に近付く悪いものを退けてほしいと思う。まあ、俺の作った指輪にそんな効果があるとは思えないが。


「凡人、ありがと。男の子ってこういうの恥ずかしかったよね。多分、無理させちゃうかなって思ったんだけど、どうしても凡人に付けてほしくって」

「ん? 俺に?」


 凛恋が欲しいから作ると言ったのだと思っていた。いや、今日も愛の証が欲しいとも言っていたし、間違いではないはずだ。


「うん、私も本当に欲しかった。でもそれと同じくらい、凡人に指輪を付けて欲しかったの。…………飼い犬にはさ、首輪が付いてるじゃん? あれ見れば、あっ、あの犬は誰かの犬なんだなって分かるでしょ? だからさ、凡人は私の凡人だって見せ付けられる物が欲しかったの」

「俺は飼い犬なのか」

「そーよ、だから他の女の子に尻尾振って付いてっちゃダメだからね」


 ニッと笑う凛恋がギュッと腕を抱く。


「絶対に、ダメだからねっ!」


 腕にぶら下がる凛恋を支えながら、ギュッと凛恋の手を握る。そして指輪のはまった薬指を凛恋の右手の薬指にそっと押し当てた。


「こんな可愛い飼い主が隣に居たら、見向きも出来ないって」

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