【九《悲しいの代わりに》】:二

「ぬあー、勝てたー」

「疲れた……」


 二人揃って畳の上に寝転がる。あの後何戦かしてボスを倒せ、その達成感で良い感じのスッキリ感が体にある。


「あ、そう言えば何回やられたっけ」

「 数えてないな」

「じゃあ公平にお互い一回ずつね!」


 ボスの決戦に集中するために、語尾の罰ゲームはお互いに終了させた。

 その流れで罰ゲームの件は終了したと思ったが、まだ生きていたらしい。


「じゃあ、まず凡人が先ね」

「はいはい」


 凛恋がスマートフォンの画面を俺に向ける。

 俺が疲れた手を持ち上げて画面をタッチすると『五秒間隣の人をハグ』と書かれていた。俺にとっては罰ゲームというよりもご褒美だ。


「罰ゲームって感じがしないな」

「やった! 私的にご褒美なんだけど! 五秒じゃなくて一時間くらいギュッとしてていいわよ」

「流石に一時間は長い」

「えー――キャッ!」


 寝転がった状態で凛恋を抱き寄せ、心の中で五秒を数える。少しズルをして、大分ゆっくりと五秒を数えた。

 そして、ゆっくり体を離すと、目の前で凛恋が名残惜しそうに「あっ……」と声を漏らした。


「まあいいわよ。後でまたギュッてしてもらえばいいんだし。次は私ね」


 凛恋がスマートフォンの画面をタッチして、すぐに俺に画面を向けた。


「キス顔を隣の人に五秒間披露。嫌ならやらなくていいぞ。流石にこれは恥ずかしいだろ」

「ちょっ、ちょっと待って! 心の準備するからっ!」

「いや、無理にやらなくても――」

「凡人、ちゃんと数えててね」


 両目を閉じて、凛恋が遠慮しがちに唇をすぼめて突き出す。日頃は明るいし、今時の女子高生らしい凛恋。でも、その時の凛恋はいつもより少し幼く見えた。

 閉じている凛恋の目はまつ毛が揃い、肌は化粧の必要が無いくらい綺麗に見える。すぼめて突き出した唇は瑞々しい照りがあり、その唇に目を奪われてしまう。


 そして、気が付いたら……凛恋の唇に自分の唇を当てていた。


「んっ? ――ンンッ!?」

「――ッ!? ご、ごめっ――!」


 完全に焦った。

 しまったと思った。


 俺と凛恋が付き合い始めたのは昨日だ。

 俺と凛恋は付き合い始めた日に抱き締め合った。でも俺達はまだ手も繋いでいない。

 それなのに、俺は凛恋にキスをしてしまった。


 サッと血の気が引いて体を離そうとした。付き合って二日目でキスをするなんて軽蔑されても仕方がない。


「離れるなっ!」

「えっ?」


 凛恋にワイシャツの襟元を掴まれ、体を離すために逸らそうとした体を引き止められる。そして、気付いた時には、凛恋の唇が俺の唇に触れていた。


 柔らかく弾力のあるプルプルとした唇。目の前には目を閉じた、可愛らしい凛恋の顔があり、背中から一気に全身がカッと熱くなるのを感じる。


 凛恋が、俺に、キス……してる?


 ゆっくりと離れた凛恋の唇はツンっと尖り、不満そうな顔をする。


「初チューだったのに、ビックリし過ぎて感触全然分かんなかったし」


 不満そうに言うものの、凛恋は顔を真っ赤にして俺の目をジッと見る。


「もう一回」

「凛恋」

「だから、もう一回して。やり直――んっ……」


 畳の上で横になったまま、俺と凛恋は三回目のキスをする。

 一回目は感触なんて感じる余裕がなかった。

 二回目は凛恋の唇の柔らかさを感じた。

 そして三回目には、凛恋の愛情を感じた。


 ワイシャツの襟を引っ張っていた凛恋の手は離れ、自然と俺の右手を握っている。

 俺は左手を凛恋の細い腰に回して凛恋の体を引き寄せる。

 唇は、お互いドキドキして息が上がっていたせいですぐに離れた。でも、寄せ合った俺も凛恋も離そうとしない。


「付き合って二日目なのに、ご――」

「謝るなっての。……めっちゃ嬉しかったし」

「凛恋……」

「まっ、チョードキドキはしたけど、嬉しいドキドキだし。それに、さ……最高の初キスだったよ。ありがと、凡人」


 凛恋は真っ赤な顔で微笑み俺の胸に額を押し当てる。体全体を包み込む凛恋に、俺は少し怖くなった。

 俺は人から抱き締められることを知ってしまった。

 人から、凛恋から抱き締められることで自分が安心出来ることを知ってしまった。

 凛恋から抱き締められることで、凛恋の愛情を感じられることを知ってしまった。

 だから、それが……幸せであることが怖くなった。


 何故、幸せが怖いのか。それを考えて、その答えはすぐに出た。でも、その出た答えは考えたくない、考えてはいけない答えだった。凛恋の目の前でなら尚更だ。


「なーに震えてんの?」

「いや、何でもな――」

「彼女に嘘を吐かない」

「……凛恋に抱き締められてるのが幸せでさ。その幸せが怖くなった」


 俺の言葉を聞いた凛恋は、体を離して下から俺の顔を真っ直ぐ見上げる。そして、曇りの無いキラキラとした瞳で俺の目に視線を合わせる。


「どうして、幸せなのが怖いの?」


 凛恋の芯の通った揺れの無い声。そのしっかりとした声で尋ねられ、元々はぐらかせるとは思っていないが、正直に言葉にするしかなかった。


「幸せには終わ――」

「終わらせないし、絶対に。ぜーったい終わらせないから! ……だから、安心して幸せ感じてよ。大丈夫、凡人が言うの渋った理由も分かってる。幸せに終わりがあるって言うと、私と付き合ってることも終わりがあるとか言ってるみたいで嫌だったんでしょ?」

「なんでそれを……」

「なんでって、それ分かるようになるくらい、私……凡人のこと毎日見てたし」


 胸にコツンと凛恋の軽く握った拳が当たる。そして、もう一度コツンと拳が俺の胸を叩いた。


「マジ、ふざけんな」

「ごめん……」

「いや、このふざけんなは、凡人にこんなこと考えさせた私と、幸せを不安に感じるように凡人をした奴等によ。もうちょっと息続いてキス出来てたら安心させられたかもしれないし」

「い、いや、凛恋は何も悪くない!」

「よかった。じゃあ、悪いのは凡人をそんなにした奴等ね。ホント、私の大切な彼氏に酷いことしてくれちゃって。マジふざけんなっての」


 凛恋はプリプリと怒って、そしてフッと微笑んだ。

 柔らかい凛恋の笑顔に、ついさっきまで心の中を支配していた不安がスッと姿を消す。

 そして、当然のように安心で心がいっぱいになった。


「刻雨の男ってろくな奴が居なくってさ。特に彼女が居ない男ってダメダメなのよ。下心丸見えの奴ばっか。凡人みたいに、自然に女の子に優しく出来ないの。凡人って見返りなんて求めないじゃん? 刻雨の――いや、私が会ってきた男はそんな男ばっかよ。でも、凡人は全然違う」


 人差し指を伸ばしてワイシャツ越しに俺の鎖骨をなぞる。


「こーんな良い男が居るのに、刻季の女の子、全然凡人のこと気付いてないんでしょ?」

「いや、気付いてないわけじゃない。嫌な奴だとは思われてる」

「ホント、こんなに良い男に気付かないって、どこ見て歩いてんのかしらねー」


 俺の言葉を聞いた凛恋はニコッと笑う。その笑う凛恋の手を、俺は自然と取ってギュッと握る。手を握った瞬間、凛恋は目を見開いて驚き、そして今度はクシャッと笑った。


「あーあ、手まで繋いじゃったし」

「抱き締めたしキスもした。だから手を握ってもいいだろ?」

「凡人って、結構積極的よね」


 握った凛恋の手は、俺の手の指の隙間をこじ開け、俺と手を組む。


「凡人がさ、どんな人生を歩いてきたかって、私は完璧に理解するなんて出来ないと思う。ホントは、凡人のこと何でも知りたいって思うわよ? でもさ、超えちゃいけないラインってあるし。いくら彼女になれたとしても、さ……。でももし、凡人が悲しいこととかどうしても考えちゃうなら、ほんの少しだけで良いから、それの中に……私のこと考えて。それで……幸せな気持ちを感じてくれたら嬉しいなって、思う」


 凛恋は笑顔とも泣き顔とも取れない複雑な表情を浮かべ、最後には笑みを浮かべた。でも、それは頑張った笑みだった。


「別に喜川くんや希とのことでもいいの。…………やっぱ今の無し。私以外のことで凡人が幸せになったら、結構嫉妬しちゃいそうだから、出来るだけ私で幸せになって。毎日遊んだこととか、時々一緒に出掛けたこととか、後は……付き合ってることとか、抱き締め合ったこととか、手を繋いだこととか……それから、キスしたこととかさ。パンツ見たことも、ちょっと恥ずかしいけど凡人ならいいから。だから出来るだけ、悲しいの代わりに嬉しいを考えてほしい、って思うんだけど、どう?」

「ありがとう」


 言葉はそれ以外出なかった。だから、俺は凛恋の体をギュウっと抱き締めた。

 強く、強く、凛恋の体を逃がさないように、手放さないように、誰かに取られないように、強く。


「チョー幸せ」


 凛恋の言葉に体の中がじんわりと温かくなる。

 俺は強く抱き締めていた腕の力を抜いて、優しく凛恋を包み込むように変える。

 悲しいことの代わりに嬉しいを考えてほしい。その凛恋の言葉に、俺の心は激しく揺さぶられる。


 俺はどうしても悪い方悪い方に物事を考えてしまう。それはどうしようもなくて、もう長く俺の頭に染み付いてこびり付いたものだ。

 でもそのこびり付いたものを、凛恋はゴシゴシと擦り落としてくれる。


 優しくて、温かくて明るくて……そして可愛い。そんな凛恋が、未だに自分の彼女であることが嘘みたいだ。でも、抱き締めている俺の目の前には、ちゃんと凛恋が居る。

 しっかりした場所に、凛恋が居てくれている。


 凛恋と居れば何だって楽しい気がする。凛恋が居てくれれば、どんなことだって乗り越えられる気がする。

 だから、俺はこの手を離しちゃいけない。凛恋のことを大切にしなきゃいけない。

 だから俺は、悲しいの代わりに――。

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