【七《三度目に止まった時》】:一

【三度目に止まった時】


 まだ春の香りが残る風。風薫る、と言ってしまうと夏になる。だから風香ると言うことにしよう。


 数日前まで降っていた雨は止み。雨を境に空気がガラリと変わる。冬の寒さが時々顔を出していた空気が、完全に春の穏やかな顔に変わり、気が早いか夏の陽気も見せている。


「カズ、聞いてるのか?」

「えっ?」

「えっ? じゃないだろ。八戸さん、今度友達と遊びに行くらしいぞ」

「……それがどうしたんだよ」

「その遊び、男が一緒らしい」


 渡り廊下で春の風を全身に浴びていると、隣に立っている栄次がそんなことを深刻な表情で言う。しかし、何で深刻そうに言っているのか意味が分からん。


「八戸は俺と違って友達が多いだろうからな。そりゃ、誘われもするだろ」

「前にも言わなかったか? 八戸さんには好きな人が居て、男と一緒の遊びは断ってたって」

「聞いた聞いた」

「今回の遊び、断り切れずに仕方なく行くみたいだ」

「あーそれは気の毒だな。俺なら絶対に嫌だ」

「だったら止めて――」

「でも、八戸には八戸の友達関係があるからな。俺は御免だが、友達付き合いってのもあるだろ」

「それは、そうだけど……」


 俺には友達付き合いは無縁だ。何しろ友達が三人しか居ない。そんな俺からすると、人付き合いで外を出歩かないといけないのはとんでもなくシンドそうに思える。


「一緒に行く奴に好きな人が混ざってるかもしれないだろ。それに八戸のプライベートに口を出す権限は俺にはない。権限があっても口出す気はないけどな。いくら友達でも、越えちゃいけないラインってのがあるだろ」

「まあ……カズの言う通りだな」

「それに、好きな人じゃなくても良いじゃないか。友達が増えるかもしれないしな。それは八戸にとってはプラスだと思うし」

「でも、もしかしたら、カズと遊ぶ時間が無くなるかもしれないぞ」

「…………まあ、そうなったらそうなっただ」


 八戸が俺と遊ぶより楽しいことが見付かれば、それは八戸にとって良いことだ。俺にとっては寂しいし、強がりでも俺にとって良いことだとは言えない。

 でも数少ない友達が幸せなら、それでいい。


「今のカズ、物凄く良い奴の顔をしてるな」

「良い奴の顔ってどんな顔だよ」


 栄次の意味の分からない感想に眉をひそめる。

 自分でも自分を良い奴だとは思わないが、なんか俺が日頃悪い奴だと言われている気がする。


「でも、希が心配してた」

「赤城さんが? そういえば、赤城さんは一緒に行かないんだな」

「ああ、彼氏が居るから男の子と一緒はって断ってくれたらしい」

「まーた惚気か」

「良いだろ? 彼女持ちの特権だ」


 ニヤッと笑う栄次は、嬉しそうだった。

 まあ、彼氏に心配を掛けたくないからという理由で断るということは、彼氏のことを大切に思っているという表れだ。

 そういう愛情を見せられた彼氏の方は、凄く嬉しいのかもしれない。まあ、彼女の居ない俺には一生分からないだろうが。


「で? 赤城さんが心配してるって話は?」

「ああ、その遊びに来る男なんだけど、あまり良い噂を聞かないらしい」

「良い噂を聞かない?」

「ああ、結構女癖が悪いって評判みたいだ」

「なんでまたそんな悪い奴だって分かってる奴と一緒に遊ぶことになったんだ?」


 赤城さんが知っているということは、八戸もそれを知っている可能性が高い。いや、当然知ってるだろう。

 仮に知らなかったとしても、友達思いの赤城さんが注意を促さないはずがない。


「それが、最初は女子だけって話だったのに、急に男子もって話になったらしい」


 その言葉を聞いて、一気にきな臭さを感じる。まるで、男子が一緒なのを隠していて、後から話したという風に取れる。


「なんか、騙し討ちみたいだな」

「だろ? それに希が心配してた一番の理由が、八戸さん結構しつこく誘われたみたいなんだ。それで断れなかったって」

「なるほど。女癖の悪い男。しつこく誘われた八戸。…………無関係には思えないな」


 俺の考え過ぎなのかもしれない。でも、もしもということもある。


「今日、八戸に聞いてみる。大丈夫かって」

「ああ。希も心配してたし助かる」



 俺と栄次が八戸について話してから初めての土曜日。

 俺は、目の前に居る栄次と赤城さんに隠れてため息を吐いた。


 重いボウリングボールがゴロゴロと転がり、二〇メートルほど先に並べられたピンを弾き飛ばす高い音が幾つも響く。

 そして、名前も知らない軽快な音楽がズンチャカズンチャカと、天井に吊り下げられたスピーカーから鳴り響いている。


 そうここは何を隠そうボウリング場。

 玉を転がしてピンを倒すボウリングというスポーツを楽しむ人達の憩いの場。

 そんなボウリングをする人のためのボウリング場で、俺はボウリングもせずにジュースを飲んでいる。


 このボウリング場は、ゲームセンターが併設されていて、ボウリングスペースとゲームスペースの間には自販機の置かれた休憩スペースがある。

 俺はそこの椅子に座っているのだ、ボウリングもせずに。

 そして、前に座っている二人も同じくジュースを飲んでいる、ボウリングもせずに。


「カズ、ちゃんと見とかないと」

「俺が見てなくても赤城さんと栄次が見てるだろ」


 栄次の隣に座る赤城さんは、ボウリングスペースの方にジッと視線を向けている。そしてその赤城さんの視線の先には、ボウリングスペースでボウリングを楽しむ八戸が居る。


「なんか、テンション低いな」

「なんか跡をつけてるみたいで嫌なんだよ」

「でも、八戸さんに頼まれたんだろ? ついてきてくれって」

「それはそうなんだが……」


 俺は、栄次から八戸が遊びに行く相手がきな臭いと思った日、八戸にそれとなく注意を促した。

 すると、何故か八戸はニヤニヤしながら「へぇー、心配してくれるんだ」とか何とか他人事のように言い「じゃあ、付いて来てよ」と言われてしまった。


 今回の遊びの件、元々八戸は乗り気じゃなかったことに加え、やっぱり例の男の良くない噂も知っていたらしい。

 しかし、一度行くと言ってしまった以上、行かないわけにもいかないらしい。

 そいつや首謀者以外に八戸の友達も居るから「ドタキャンはあり得ない」と言っていた。


 情に厚いというかお人好しというか、そういう所が八戸の良い所なのだが……。


 それにしても、今の俺の状況は完全なる巻き込まれ事故だ。人の後をつけ回すなんて、気持ちの良いものではない。

 だけど、八戸のことが心配であるのは確かであって……。つまり、複雑な気持ちだ。


 チラリと視線を向けた八戸は、実に楽しそうにボウリングをしている。そして八戸の隣には、ツンツンと髪を立てた男が座ってる。


「あの隣に座ってる男子が、例の人」

「あの男子か。まあ、見た目は悪くないな。爽やか系って言うのかな?」

「男子にはノリが良くて好かれてるけど、やっぱり女子は悪い噂ばっかり聞くから、私のグループの子達は警戒してたの。あの男子に泣かされた子、結構居るし……」


 赤城さんの言葉が重い。何があったかというのは聞けない雰囲気だ。

 俺はボーッと、八戸と話す男の方を見る。そして俺は男から赤城さんに視線を向ける。


「赤城さん、あいつと八戸、絶対に二人きりにしちゃダメだ」

「えっ?」

「あいつ、八戸の顔を見てない」


 人は誰かと会話する時、人の顔を見て話す。だからあの男の視線は八戸の顔を見ていなければいけない。

 でも、あの男の視線は、時々八戸の顔を見ているものの、八戸の首から下を往復している。

 あの目線の動きは、下心だけで相手を見ている目の動きだ。


 赤城さんが重い言葉だったのはこれが理由だ。あの男は女子を体目的で狙っている。


 ふざけるな。


 あの男の思惑を察した瞬間、すぐにその言葉が出てきた。


 俺の友達を軽く見やがって。八戸は、あんなふざけた野郎が、下卑た目で見ていい奴じゃない。


 八戸は見た目こそ今時の派手目の女子高生だ。でも、今時の女子高生らしくなく優しくて礼儀正しい。

 爺ちゃんも、八戸のことを良く出来た子だと褒めてた。

 警察官として色んな人間を見てきた爺ちゃんが褒めたんだ、間違いない。

 それに婆ちゃんだって八戸の礼儀正しさを褒めていた。

 何より八戸には、八戸が好きになった人が居る。そんな八戸にちょっかいを出そうなんて絶対にさせるものか。


「ちょっ、カ、カズ!」

「なんだよ」

「スチール缶、潰れてるぞ……」


 栄次が顔を引きつらせて俺の右手を指さす。俺は視線を自分の右手に向けると、持っていた空のコーヒー缶がくの字に折れ曲がっていた。


「無意識にスチール缶潰す奴初めて見た」

「とにかくこれ以上、八戸をあの男と一緒に居させるわけにはいかない」


 半ばやけくそにスマートフォンを取り出し、八戸のスマートフォンへ電話を掛ける。視線は絶対にあの男から外さない。

 妙な動きを見せたら、すぐに飛び出して止める。


 八戸が仲間から離れてスマートフォンを耳に当てる。


『もしもし多野?』

「八戸、帰るぞ」

『えっ? い、いや、流石にそれはマズイって。まだボウリング始まったばかりだし』

「あの男、体目的でしか八戸を見てない。とにかく危ない!」

『声が大きい。そんなの知ってるわよ。だから希以外にもみんなに気を付けてって言われたし』

「でも!」

『じゃあ、ボウリングが終わったら迎えに来てよ。友達と遊ぶ約束あるって言うから』


 途中で抜けるのは雰囲気を悪くするから出来ない。そういう奴なのは分かっているが、どうしても納得出来ない。


 電話をしながら首を動かしていた八戸と目が合う。その時、いつか感じた時の停止を、また感じた。


 俺と視線が合った八戸が、ニッコリと微笑んだのだ。


『多野が見てくれてるんでしょ? だったら大丈夫』


 スマートフォンから聞こえたその声に、俺はふと我に返る。


『じゃあ、ちゃんと見ててよね』


 八戸が電話を切り、俺の方に手を軽く振った後、仲間の元に戻って行った。


「八戸さん、なんだって?」

「ボウリングが終わったら、俺達と用事あるからって抜けるって言うって」

「そうか。全く……今すぐにでも飛び出しそうな勢いでちょっと焦ったぞ」


 栄次にそう言われて軽く肩を叩かれる。でも、その手に、その声に反応することは出来なかった。


 なんだ……今の感覚は……。


 時が止まった感覚はこれで二回目。でも今回は息が苦しい。もしかしたら、時が止まった感覚があった間、俺は息を止めて居たのかもしれない。

 確かに、ハッとしてから息をした感覚はない。

 それに、あの男の危険性に気付いたせいで肝を冷やし、背中にべっとりと汗を掻いているのが分かる。


 いつの間にか立ち上がっていた俺は、椅子に腰を下ろして長く息を吐いた。

 なんだろう、久しぶりに焦ったというか、久しぶりに怒った感じだ。


「多野くん、ありがとう」

「えっ?」


 急に赤城さんにお礼を言われて戸惑う。何か、赤城さんに感謝されるようなことをした覚えはない。

 赤城さんは胸の前でギュッと両手を握って微笑む。


「あの男子が危ない人かもって思った時、多野くん、凄く凛恋のことを心配してくれた。すぐにでも凛恋を遠ざけなきゃ、凛恋を守らなきゃってしてくれた。本当に嬉しい。もちろん、凛恋も嬉しかったと思う」

「いや、俺は……」

「多分、凛恋も本当に危ないって思ったらすぐにでも帰ろうとすると思う。だから、ボウリングが終わるまで待とう。私も心配だけど、凛恋がボウリングが終わるまでって言うなら待つ。もちろん、ちゃんと見張ってるけど」

「……そうだな。それに、八戸ならあんな男、軽く躱しそうだしな」


 赤城さんの言葉に、俺はそう言って答える。そして、赤城さんは満面の笑みで俺に言った。


「それに、多野くんが居るなら、何が起きても、絶対に凛恋のことを守ってくれるから」

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