【六《友達のための身の振り方》】:一

【友達のための身の振り方】


「つまんない!」


 八戸がゲームのコントローラーを持ったまま後ろに倒れて、そう不満の声を漏らす。


「ちょっとは手加減してよ!」


 バッと上体を勢い良く上げた八戸は、その勢いをそのままに俺へ不満をぶつける。


「いや、手加減してるんだが……」

「何よ! 私が下手くそだって言いたいの?」

「まあ、俺よりは下手だろうな」

「ムカーッ! 悔しーッ!」

「バカ! スカート!」


 また八戸が後ろに倒れた拍子に、スカートが捲れ上がる。それを俺はとっさに顔を逸らして視界から外す。


 ここ最近、いや……あの八戸の家に行った日から連日、八戸は俺の家に放課後入り浸っている。


 放課後は、八戸が通う刻雨高校の方が若干終わるのが早いからか、八戸が赤城さんとうちの高校に来る。

 そして、栄次と赤城さんがデートに行くのを見送った後、八戸が家に付いてくるのだ。


 そんな日が続いて、俺の家で遊ぶ物と言えばゲーム機しかないわけで、必然的にそれで遊ぶことになる。

 二人で遊ぶとなると、ゲームのジャンルは対戦系の物になる。そして、俺の持っているゲームだから、やっぱり俺の方が強い。


「女の子のパンツは見るし、手加減しないし、酷くない?」

「見てないし、手加減もしてる」

「私の家に来た時見たでしょーが」

「あれは見たくて見たんじゃない。事故だ」

「何よ! 私のパンツに見る価値ないってこと?」

「どうしてそうなるんだよ!」

「じゃあ見たいの?」

「どうしてそうなる……」


 もう段々頭が痛くなってきた。

 友達になってから、八戸は遠慮がない。遠慮がないのは嬉しいと思う反面、困ることもある。


 八戸は見た目は女の子らしい。性格も女の子らしいと言えなくはないが、大分思い切りの良い性格……いや、多少ガサツな所が多々ある。

 しかし、栄次と話す時は丁寧だし、ガサツ加減は微塵も表に出さない。俺には遠慮無しに接してくれてると取るべきか、それとも俺には適当で良いと思われてると取るべきか、迷うところだ。


「多野、明日休みじゃん?」

「そうだな」

「希と喜川くんがカラオ――」

「パス」

「させない!」

「…………何でそんなカラオケに行きたがるんだよ」


 モニターに映るゲームの待機画面から視線を八戸に移すと、畳の上に寝転がって、ウーンと背伸びをする八戸が視界に入った。

 スカートの裾は直しているが、八戸を好きな男子が見たらどう思うのだろう、この状況は。こんな子じゃなかったと幻滅するのか、それともドキドキするのか。

 俺の場合は、寝始めるのはやめてほしい、だが。


 八戸が家に来るようになってしばらくして、疲れた八戸が部屋で寝始めたことがあった。

 男の家で寝始めたことがそもそも大問題なのだが、それに加えて更に問題があった。それは寝相が激しいとか、寝言がうるさいというわけではない。


 一旦寝たら、八戸はなかなか起きないのだ。


 揺すっても声を掛けてもなかなか起きず、俺は途方に暮れて赤城さんに電話して助けを求めた。しかし、赤城さんには「凛恋って一度寝ちゃうとなかなか起きないからね。でも、耳に息を掛けるとビックリして起きるよ」と言われてしまった。


 俺はその方法を試したか? いや、試せるわけがない。女子の耳に息を吹き掛けるなんて訴訟ものだ。

 だったら俺はどうしたか。答えは簡単だ。八戸を背負って家まで送ったのだ。


 よくテレビドラマ等で、酔っ払った人を背負って家まで送る。というシーンが登場する。まさにあんな感じだ。

 だが、うちから徒歩で行ける距離だとしても、人一人背負って歩くのはしんどい距離だ。あんな思いを二度としたくない。


「八戸、寝るなよ」

「分かってるわよー。でもちょっと休憩」

「はいはい」


 俺はゲーム機の電源を落として、モニターを消す。そして、テーブルに置いたお茶を飲む。時間が経っているせいか温い。


 八戸は負けず嫌いで、一度や二度負けても諦めはしない。さっきはつまらないと言ってゲームを止めたが、あれはつまらなくなったというより、疲れて続かなくなったのだ。


「多野ってゲーム上手いわね」

「まあ一人でよくやってるからな」

「喜川くんとはしないの?」

「栄次とは時々するけど、栄次はあまりゲーム好きじゃないからな」

「そうなんだ。男の子ってみんなゲーム好きなのかと思ってた」


 体を起こした八戸は、自分のコップを手に取ってゴクッと一口お茶を飲む。もう大分時間が経っているから、八戸のも冷茶から温茶になっているはずだ。


「新しいお茶に――」

「勿体無いからいいわよ。それにそんな気を遣う関係でもないでしょ? それにちょっと温い方が落ち着く」

「そうか」

「それで、明日のカラオケなんだけどさ!」


 せっかく話題を逸らせていたと思ったら、忘れていなかったらしい。全く、抜け目のない奴だ。



 家を出て、薄暗くなった空を見上げると、隣から楽しそうな鼻歌が聞こえる。


「明日は久しぶりのカラオケね!」


 結局、有無を言わさない強固とした態度を貫いた八戸に根負けし、明日はカラオケに行くことになった。

 まあ、そもそもの話、栄次と赤城さんも一枚噛んでる時点で俺に拒否権はない。


「ねー多野」

「なんだ?」

「ありがとね」

「それは何についてのありがとうだ?」

「色々」

「その漠然とした答えは何なんだ」


 刻雨の制服姿で隣を歩く八戸は、ニコッとはにかんで俺の方を見る。


「特別な何かをしてるわけじゃないんだけど、毎日が楽しくてさ。毎日、学校が終わるの待ち遠しいの。毎日負けてばかりだけどね」

「今度は協力系のゲームにするか」

「えっ? そんなの持ってんの?」

「ああ、基本一人でやるゲームだけど二人で出来るやつが――」

「それを早く教えなさいよ! もしかして、私を負かせて楽しんでた訳じゃないでしょーね!」

「い、いやぁ、そんなことはないぞ」

「白々しー」


 ジトーっとした目を向けていた八戸がニコッと嬉しそうに笑い、肘で俺の脇腹を突く。


「じゃあ、次はその協力出来るやつね」

「分かった」


 隣に八戸が歩くのを感じながら、俺はまっすぐ伸びた歩道の先を見詰める。


 八戸と初めて会った時は、八戸と一緒に家に帰って、俺の家でゲームをして、そして八戸を送る。なんて日々は予想も出来なかった。

 初めて会った時は、大勢居る女子の一人でしかなかった。それが今は仲の良い友達で、結構言いたいことを言い合える友達になっている。


 俺は友達が出来ない人間だと思っていた。それは俺と友達になってくれるような人が居ないと思っていたのもそうだが、俺が友達を作ろうとしていなかったからだ。


 誰かと友達になろうと、仲良くなろうとしなければ友達が出来るわけがない。

 八戸や赤城さんみたいに、自分から友達になろうとしてくれる人が珍しいのだ。

 それはやっぱり、八戸も赤城さんも良い人であるからだと思う。


「今日もご苦労ご苦労!」


 八戸の家の前に着くと、八戸が少し前屈みになって敬礼をする。それを見届けると、八戸は家の門を潜りくるりと振り返る。


「じゃあ、また明日ね」

「ああ、また明日」


 小さく手を振って家の中に入っていく八戸を見送って、俺は来た道を引き返す。


 帰り道は何処か物悲しい。賑やかな八戸が居なくなって、急に静かになるからだ。

 そんなことを考える自分を笑う。一人であることを寂しいと感じるなんて、自分が思うとは思わなかった。


 俺は何時だって一人を楽しんで来た。一人であることが気楽であるとさえ感じていた。

 だから、今まで寂しいなんて感じたことはなかった。


 この日々を日常化させてはいけない。そう俺は自分を戒める。


 今、八戸には好きな人が居るようだ。その好きな人と八戸が付き合うようになれば、栄次と赤城さんのように放課後は彼氏と過ごすようになるだろう。

 そうなれば、この騒がしい放課後は、また一人の放課後へ戻る。


 それに八戸の好きな人が、八戸や赤城さんのように、俺を肯定してくれる人とも限らない。八戸は良い奴だから良い奴を好きになるとは思う。

 でも、必ずしも俺に肯定的な人とは限らない。


 もし、八戸の好きな人が、彼氏になった人が俺を否定したら、俺は八戸と距離を置く。頭の中でそう決意する。

 友達の幸せのためだ。せっかく俺と友達になってくれた八戸の幸せを、俺が潰してしまう訳にはいかない。


 友達が二人も出来て、急に自分が弱くなった気がする。

 相変わらず八戸や赤城さん、それに栄次と一緒に居る時でも悪意を向ける奴は居るが、それも明るい八戸を筆頭に、赤城さんの優しい雰囲気が、栄次の落ち着いた態度が、俺に安心感をくれている。その安心感が取り払われた時、俺は一人で耐えられるだろうか。そんな不安が湧いてくる。


 白いガードレールのすぐ向こうを、軽自動車がサッと駆け抜ける。その軽自動車の影に、走行音に、俺の存在が隠れた一瞬、俺はクソっと歩道のアスファルトに悪態をつく。

 そして首を横に振り、いつの間にか俯いていた顔をまっすぐ前に向ける。


 彼女が出来ても栄次は友達だ。

 栄次と付き合っている赤城さんも友達だ。

 八戸だって誰かと付き合っても友達には変わりない。

 友達が栄次一人だった時のことを考えれば、それで十分過ぎる。


 歩道を歩く足が少し軽くなる。それを感じて、ついさっきまで重くなっていたことに気恥ずかしさを感じる。

 その気恥ずかしさを途切れさせるように、ポケットの中に入ったスマートフォンが震える。ポケットに手を突っ込んで画面を見ると『八戸凛恋』という名前が表示されている。

 さっき会ってたばかりなのに何の用だろう。


「何の用だ」

『ちょっ、もしもし? とかない訳?』

「もしもし、何の用だ」

『もー、まあいいわ。明日一〇時からフリータイムのラストまでね』

「話が纏まるのが早いな。フリータイムのラストと言うのは何時だ?」

『一九時』

「…………九時間歌うのか」


 俺と八戸、それから栄次と赤城さんの四人で行くはずだから、一人頭二時間一五分ということになる。

 そんなに歌い続けられるわけがない。


『半分くらいは話してるだけだから大丈夫よ』


 まあ俺はそれとなく端の方でジッとしてれば、勝手に八戸が歌っているだろう。


『めっちゃ楽しみー』


 電話の向こうから八戸の嬉しそうな声が聞こえる。

 前から四人で行きたいと言っていたから、よっぽど楽しみだったのだろう。


「良かったな」

『多野にいっぱい歌ってもらおっと』

「残念ながら、いっぱい歌えるほど歌は知らん」

『じゃあ、今日は徹夜でレパートリー増やしてきて』

「んな、無茶苦茶な……」

『ジョーダンジョーダン! 明日家に迎えに行くから逃げようと思っても無駄だからね!』

「分かった分かった」

『んじゃ』

「じゃあな」


 賑やかな電話が切れると、また周囲は静かになる。

 スマートフォンをポケットに仕舞い、歩き出してすぐにまた物悲しさが心を覆う。


 きっとこの賑やかな日々には終わりが来る。それが何時になるかは分からない。分からないが、絶対に来るのだ。

 でも、終わりが来ることが分かるというのは悪いことではない。


 終わりがあると知っていれば、その終わりまでに悔いを残さないよう、必死に毎日を楽しむことが出来る。



 八戸達と初めて会ったカラオケ店ではあったが、この前はだだっ広い部屋だったのに、今回は前よりも狭っ苦しい。

 向かい側には栄次と赤城さんが並んで座り、リモコンの画面を見て何を歌おうか考えている。

 二人の距離感が短い。もう体が触れ合いそうな程だ。あれが恋人の距離感というものだろうか。


「栄次、赤城さん。飲み物は何飲むんだ?」


 この店のソフトドリンクは自分で注ぎに行くタイプではなく、その都度注文するタイプになる。


「俺はコーラ」

「私はオレンジジュース」

「なんで私には聞かないのよ。差別じゃない」


 唇を尖らせる八戸に、俺はメニューの一点を指さして答える。


「カラオケ一発目はメロンソーダ。ってこの前言ってただろ」

「えっ?」

「えっ? じゃなくてだな。もしかして他のに変わったのか?」

「ううん! メロンソーダがいい!」

「了解」


 インターホンで人数分の飲み物を注文し終えて振り返ると、真横に八戸が座っていて思わず悲鳴を上げた。


「うわっ! なんでそこに居るんだよ」

「いや、特に理由は無いけど」

「じゃあもっと奥に座ってくれ。ただでも狭いんだから」

「はーい」


 つまらなそうな不貞腐れたような声で、渋々と奥にズレる八戸を見届けてソファに腰を下ろすと、向かい側に座る赤城さんと目が合った。

 目が合った赤城さんはニコッと笑った。


「凛恋がメロンソーダ好きって知ってたんだ」

「前に話してたからな。カラオケに行ったら、とりあえずメロンソーダ。って」


 その時のノリが、サラリーマンが飲み屋で使う慣用句と言われる『とりあえずビール』に似ていると思って印象に残っていたのだ。


「なんか、初めて会った時のこと、思い出しちゃう」

「初めて会った時というと、カラオケか」

「うん。みんなで帰り道に話したんだよ。入り口に近い場所に座ってた人、凄く気が利く人だったねって」


 赤城さんが笑顔のまま話していると、俺の隣から八戸の声が聞こえた。


「んで、喜川くんは絶対に希狙いね。とも話したわねー。連絡先も交換してたし、希はみんなにどうしようどうしようって焦って聞いてて。とりあえず遊びに誘いなさいよってみんなでアドバイスして。もうあの時には喜川くんしか見てなかったし」


 ニヤニヤっと笑いながら言う八戸は、赤城さんをからかう姿勢でいる。


「だ、だって、栄次……格好良かったから……」


 顔を真っ赤にして言う赤城さんがなんだか不憫に思えてきた。これは彼氏の方も恥ずかしがらせてやらなければ可哀想だ。


「栄次はカラオケ屋の前で会った時から赤城さん狙いだったな」

「カズ!」「えっ!?」


 栄次が「余計なことを言うな」という顔をして、赤城さんは分かりやすく嬉しそうな顔をする。


「カラオケ屋の入り口でげんなりしてた俺に赤城さんを見て、あの子可愛いなって言ってきただろう。んで気付いたら赤城さんばっかりに話し掛けてたな。無理矢理連れてきた俺を放置して」


 多少の皮肉を織り交ぜながら言うと、栄次はキッと俺の方を睨んで来る。だが、別に栄次を貶めるための行動ではない。むしろその逆だ。


「栄次、多野くんの話って……」

「全部本当だよ。初めて会った時に……希のこと、可愛いなって思ってた」

「そっか。えへへ、嬉しい」


 クシャッとはにかむ赤城さんは本当に嬉しそうだ。そして、照れ臭そうにしている栄次も幸せそうに微笑んでいる。


 そんな二人を見ていると横からコツコツと腕を小突かれる。

 俺を小突いた八戸の方を向くと、八戸が親指を立てた拳を俺の方に差し出す。ニッと笑う表情から察するに、どうやら「よくやった」という意味らしい。

 俺はその拳に合わせて親指を立て拳を差し出し、八戸の拳にコツンと軽く当てた。


「そういえば、凛恋は一番多野くんのことを褒めてたよね」

「へっ?」


 良い雰囲気を作れたと思っていたら、赤城さんがそんなことを言い出した。そして、拳を合わせていた八戸が体をビクンッと跳ね上げて素っ頓狂な声を上げる。


「みんなが、一人気が利く人が居たねって言ったら、あの入り口側に座ってた人でしょ? ってすぐに話に食い付いて、飲み物を栄次に聞かせてたのも多野くんで、飲み物が切れてる人のおかわりを聞かせてたのも多野くんで、それで私がお手洗いを言い出しにくいのを察してくれたのも多野くんでって、大絶賛してたよね?」


 ニコッと笑う赤城さんが視線を向けている八戸の方を見ると、顔を真っ赤にしてフンッとそっぽを向く。まあ、隣に居るし気恥ずかしいのだろう。


「そりゃ、刻季の男子で動いてたの喜川くんと多野だけだったし目立つでしょ」

「俺は目立たないようにしてたんだけどな」

「女子って意外とそういうところ見てるもんよ。まあ、佳奈子は何も見てなかったみたいだけど」

「まあ佳奈子は佳奈子だから」


 クスッと笑う赤城さんが、チラッと八戸に視線を向けて俺に向かって身を乗り出す。


「あ――」

「のーぞーみー? 余計なこと、言わない!」


 何かを俺に話そうとした赤城さんを、八戸が口調を強めて制す。八戸のその反応に赤城さんはクスクスと笑い「はーい」と柔らかく答えた。

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