【五《友達の作り方と確かめ方》】:三

 八戸の部屋に案内され、とりあえず余計なことをして八戸の逆鱗に触れないように、俺は正座した自分の太ももを睨み付ける。


「お待た――……なにガチガチになってるのよ」

「余計なことをして八戸の機嫌を損ねたくはない」


 また慣れない頭を使って謝罪や弁解をしなくてはいけない。

 初めて女子の家に上がって、ただでさえ俺の頭は処理限界に近いのだから、余計なことにその処理能力を割く訳にはいかない。


「そうやって緊張されると私も緊張するんだけど。はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

「敬語はやめる」

「わ、分かった」


 八戸が淹れてくれた、良い香りのする飲み物を口にする。

 濃い紅色、これはヴォルカンに近いのだろうか?

 香りは凄く上品な高貴な香り。そして香りに負けない上品な味がする。この飲み物は紅茶というやつだろうか。


「ごめんね、希に話しちゃった」

「ん?」

「昨日のこと」


 隣に座った八戸は、自分の分の紅茶が入ったカップに口を付けて、視線を落として謝る。

 その横顔を見て、俺は紅茶に口を付けて、口を開いた。


「気にするな。さっきも言ったが、俺は全く気にしてない」

「でも……私だったら、嫌だし」

「それに、大抵の人間じゃ抱え込めないことだと言うのも理解してる。親に捨てられたなんて話はな。それで話したからって、俺は八戸を責めたりはしない。責める理由自体がない」


 八戸が主に謝っているのはこのことだろう。

 俺以外にどれくらい俺と同じ境遇の人が居るか分からないが、一般的とは言えないことは分かっている。

 そして、世間一般では悲しいこも、可哀想なことだと言われることも。


「俺の親は、俺が物心付く前に、爺ちゃんと婆ちゃんに俺を押し付けて蒸発したんだ。今俺が住んでるのは、母方の爺ちゃん婆ちゃんの家。昔からよくそれでからかわれてな。でも、爺ちゃんと婆ちゃんは優しいし、両親が居ないことに不便はなかった。まあ、寂しくなかった、とまでは言えないが」


 誰でも、幼稚園や保育園、そして小学校で経験するはずだ。

 父の日、母の日にプレゼントを作ろう。お父さんお母さんに感謝の手紙を、作文を書こう。そんな行事がある度に、俺はからかわれた。

 親無し、親に捨てられた奴、と。


 その時は悲しくもなるし辛くもなる。でも、爺ちゃんは厳しいながらにいつも一緒に遊んでくれたし、婆ちゃんはずっといつも優しく見守ってくれていた。

 だからか、その一時以外は親の居ない寂しさを感じたりはしなかった。


 きっと、俺は運がいい、幸福な人間なんだと思う。

 ちゃんと俺を養ってくれる、親の居ない寂しさを感じさせないで居てくれる爺ちゃん婆ちゃんが居た。


「多野……辛くない?」

「辛くないな」

「無理してない?」

「無理することが無いからな」

「昨日、何も出来なくてごめん」


 そう言った八戸はカップをギュッと握り締めキュッと唇を噛む。


「友達なのに、何も出来なくて……多野が酷いこと言われてるの、見てるだけしか出来なかった。友達なら、ちゃんと多野のことを助けないといけないのに――」

「俺なんかのために泣いてくれただろ。それで十分だ」

「多野は! 多野は、多野なんかじゃない!」


 急に怒ったように大きな声を上げる八戸にビックリして、危うく手に持ったカップを落としそうになる。

 八戸は自分が大声を出したことに気付いたのか、顔を真っ赤にして俯いた。


「自分のことをそうやって言うの……やめて。お願い」

「すまん」

「多野は凄く良い奴よ。刻雨には、多野みたいに良い奴は居ないわ」

「そうか。ありがとう」


 心に「俺より良い男なんて腐るほど居る」という言葉が浮かんだ。でも、それもまた八戸に嫌がられるような気がして、喉から出る前に短いお礼の言葉に切り替えた。

 八戸はミニスカートから伸びた細い足を床に伸ばして息を吐く。そして天井を見上げて、疲労が感じ取れる声を漏らした。


「あー、安心した。ホント、多野に嫌われたかと思ったし」

「いや、嫌う理由が無いんだが」

「それは多野だからよ。友達が悪口を言われるの黙って見てたなんて、一発でハブられるっての」

「それでハブられるなら、それまでの友達だってことだろ。友達とかよく分からんけど」

「まあ、それもそうかもね。仮に多野の立場が私で、私の立場が希だったら、私は希のことを責めないし」

「仲良いんだな。赤城さんも、八戸のことを親友だって言ってた」

「そ、そう……」


 八戸は顔をまた真っ赤に染めて興味無さそうに言う。しかし、俺でもそれがただの照れ隠しだというのが分かった。


「あのさ……もし多野が私の立場だったらどうした?」

「俺が八戸の立場、か……」


 栄次が悪口を言われるところは想像し辛い。そうなると赤城さんも八戸も悪口を言われるような人間ではないし、二人でも想像出来ない。


「私だったら……どうした?」

「言わせないかな」

「えっ?」


 とっさに出た言葉だったが、口からでまかせというわけでもなかった。素直に、悪口を言わせないと思った。


「言われる前に立ち去るか。それか、相手が悪口を言えないようにする。まあ一番現実的なのは立ち去るだけどな」

「それって、私のことを守ってくれるって思って良い?」

「ん? まあ、守ると言うほど格好の良い行為じゃ無いけどな。客観的に見れば敵前逃亡だし」

「そっか。もしかして、好きな女の子には良いところ見せて、止めろって止めに入ったりする?」

「しない」


 俺はきっぱり答えた。


「なんで?」


 俺の答えに八戸が、少しトーンの落ちた声で尋ねる。


「トラブルになった時、俺が絶対にその人を守れる自信が無いからだ」


 俺は身長は高いが体格は良くない。それに格闘技どころか何のスポーツもやっていない。だから俺には、誰かどころか自分を守る力もない。

 そんな弱い奴が、あの宇治屋みたいな男に食って掛かっても、勝てる見込みはゼロだ。


 人によっては、負けると分かっていても戦わなきゃいけない時が男にはある。と言うかもしれない。それに関しては、俺も否定はしない。でもその時は、八戸のたとえ話の時ではない。

 たとえ話の時は、負けた時に被害を受けるのが自分だけとは限らないからだ。


「八戸のたとえ話が、俺一人で、どうしても譲れない何かがあったら、返り討ちに遭うと分かっていても食って掛かるかもしれない。でも、八戸のたとえ話の時は、俺以外、たとえでは八戸が居るだろ。もしそこでトラブルを起こして、痛い目に遭うのが俺だけならいい。でも、八戸も痛い目に遭う可能性がある。大切な友達を痛い目に遭わせるくらいなら、俺は頭下げてボロクソにこき下ろされた方がマシだ。それは栄次でも赤城さんでも同じ。たとえ、意気地なしだと思われてもな」

「意気地なしなんかじゃない」

「ん?」

「多野ってやっぱり凄い」

「はあ?」


 盛大に情けないことを言った俺を、八戸がキラキラと輝いた目で見ている。ダメだ、くすんだ俺の目には眩しすぎる。


「ちゃんと、先のことまで、自分以外の人のことも考えてる。凄い」

「凄くはないだろ。女子は格好良く守ってくれた方が嬉しいんじゃないか?」

「確かに、漫画とか空想の話で、相手に謝っちゃう男が出てきたら、カッコ悪いと思うかもだけど、多野のは現実的じゃん。現実にそんなことが起こって助けようとしても、漫画とかみたいに上手く行くなんて限らない。だけど多野のは、ちゃんと相手のことを考えてる」


 八戸は顔を俺の方に向けて真剣な表情を向けた。


「プライドのために誰かを守れないより、誰かを守るためにプライド捨てられる方が絶対に格好良い!」

「まあ、全部たとえの話だけどな」


 なんだか、人から褒められることなんて無かったから、急に恥ずかしくなって視線を逸らす。

 紅茶に口を付けても、恥ずかしさのせいで味も香りもよく分からなくなった。


「今回ばっかりは佳奈子に感謝しなきゃ」

「そういえば、昨日も名前が出てきたが、佳奈子って誰だ?」


 昨日、俺を褒めなかったという女子として名前が挙がったのが、その佳奈子という人物だった。


「ああ、平田佳奈子(ひらたかなこ)。刻季の幹事とよく話してた子」

「ああ、俺をただのぼんじん呼ばわりした、あの女子か」


 俺が何気なくそう呟くと、八戸は苦い顔をする。


「その件は本当にごめん。佳奈子の友達として謝る。佳奈子、結構空気読めなくて、思ったことをすぐ口に出しちゃうから」

「まあ、名前ネタも慣れてるからな。それで、その佳奈子って子に感謝するっていうのは?」

「うん……その……多野に会えたの、佳奈子が誘ってくれたから、だし?」


 急にどもり始めて、言葉が疑問系になる。昨日も同じようなことがあった気もするが、八戸の癖なのかもしれない。


「希も喜川くんと出会えたし、やっぱり佳奈子のおかげね」

「赤城さんは彼氏に出会えたが、八戸は捻くれ者の友達だったな」

「…………まだ、分かんないし」

「ん?」


 ボソッと呟いた八戸に聞き返すと、八戸は唇を尖らせた。


「何でもないわよ。ホント、よく分かんない捻くれ者の……凄く優しい友達に出会えたわ」


 そう言った八戸はニコッと笑って、カップに残った紅茶を飲み干す。俺もそれに続いて紅茶に口を付ける。今度は上品でそして優しい味と香りをちゃんと感じることが出来た。


「ねえ多野」

「なんだ?」

「多野って喜川くん以外に友達、居ないのよね?」

「八戸と赤城さんが友達だ」

「ばっ! 恥ずかしいこと言わないでよ!」

「そ、そうか……」


 内心、俺は嬉しかった。新しい友達が出来たことが。


 友達なんて簡単に出来るものじゃない。ましてや、自分のために傷付き泣いてくれる友達なんて普通出来るものじゃないと思う。そんな友達が二人も出来たのだ。

 しかし、それは八戸にとっては恥ずかしいことらしい。


「ばっ、バカ! 何泣きそうな顔してんのよ! 冗談よ冗談! 私と多野は友達! もちろん希も! 恥ずかしくない!」

「そうか、よかった」

「それで話は戻るんだけど、喜川くんと希と私以外、友達居ないのよね?」

「居ない」


 そう言うと、八戸はカップの取っ手を指先で弄りながら、チラチラっと視線を向ける。そして口を開こうとこっちを向いて止め、またカップの取っ手を弄り始める。


 何かを言おうとして止めたのは分かる。しかし、どうすればいいのだろう?

 止めたということは言いたくなくなったということだろう。だったら追究するのは良くない。


「あの、さ……喜川くんと希が付き合ってから、放課後暇じゃない?」

「放課後? いや、一人で気楽に充実してるが?」

「はぁ…………。私、希が喜川くんとデートするようになって暇なのよ」


 八戸は俺の話を聞いて大きなため息を吐いた後、俺の話を無視した。

 何で無視されたのかよく分からん。


「あれ? でも、好きな人が居るから友達の誘いを断ってるんだろう?」

「ちょっ! それ、どこ情報よ!」

「え、栄次だが……」

「喜川くんか。なら、多野の解釈の仕方が悪かったのね」

「何で栄次じゃなくて、俺が悪者になるんだよ」


 栄次に対する八戸の信頼度が高い。あれか、やっぱり顔のイケメンさ加減で補正が入ってるのか?

 ……いや、八戸は人を見掛けだけで判断するような奴じゃない。

 やっぱり、赤城さんの彼氏という部分が理由かもしれない。親友の彼氏なのだし、それが大きいのだろう。


「もー、多野が一々突っ込むから話が前に進まないじゃない」

「すまん」


 もう、俺が悪いのかよく分からないが、もうとりあえず謝っていた方が穏便にことが進みそうで、自然と謝っていた。


「とにかく、希が構ってくれないから暇なのよ」

「そうか」

「そうかって、多野も同じようなものでしょ?」

「いや、だから俺は一人で充実した放課後を楽しんで――」

「暇だから、一緒に遊んでよ」

「………………何でだ?」

「何で、何でって言うのよ!」


 八戸の言葉には理解し難いことが多々ある。

 友達の誘いを断って好きな人と遊んでいるはずなのに、暇で暇で仕方がないという。

 そして、結果的に落ち着いた所が『俺と一緒に遊ぶ』ということだそうだ。

 どういうルートを辿ったら、その答えに行き着くのか分からん。何年前のカーナビを使っているんだろう?


「…………いや?」

「いやでは無いが」

「じゃあいいわよね?」

「俺、家から出ないぞ?」

「それでも良いわよ! でも、時々は私の用事にも付き合って。友達でしょ?」

「むっ、むむぅ……」


 友達という言葉を盾にされると、返答に困る。俺が断っても「じゃあ友達辞める」なんて言いはしないだろうが、友達の言い分というのも聞いてやらなければいけない。

 譲り合いも友達としては大切なことだ。


「分かった」

「ホントに!?」

「ああ」

「やった!」


 その時、俺は人生で初めて、時が止まるというのを経験した。


 嬉しそうに顔をクシャッと笑わせ、両手の拳をグッと握って喜びを体で表現する八戸。その姿が、とても可愛らしく見えた。


 ふと我に返ると、既に止まっていた時は動き出していて、八戸は嬉しそうに鼻歌を歌っていた。

 俺はさっき感じた時が止まった感覚に疑問を持ちながらも、隣で楽しそうにしている友達を見ていたら、すぐにそんな些細なことは、心の隅に仕舞っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る