【五《友達の作り方と確かめ方》】:二

 なんか知らんが、俺は栄次と赤城さんに連れられ、八戸の家に来ていた。


 八戸の家は昨日送ったこともあり場所は知っている。俺と八戸は高校は違うが、案外徒歩で行けなくもない範囲に家がある。


 俺の家が昭和の雰囲気漂う街にあるのに対して、八戸の家は近代的な住宅街の中にある。


 この小高い丘の上にある住宅街は、昔から一軒家ばかりの住宅街として有名で、周辺にはマンションやアパートと言った集合住宅はない。

 建ち並ぶ家々が洋風の建物で、この辺りだけ欧米なのではないかと思うくらいだ。


 そんな近代的で閑静な住宅街にある八戸の家は、白い外壁に深い青色の屋根をしている。

 白い壁が綺麗な真っ白であるからか、高級感と清潔感が漂ってくる。


「じゃあ、私と栄次は帰るから」

「……待ってくれ赤城さん。なんで帰るんだ?」

「二人で話した方が良いだろ? それに俺と希のデートを邪魔する気なのか?」


 着いて早々、帰ろうとする赤城さんを呼び止めると、栄次にそう言われた。

 言いたいことは分かる。人がごちゃごちゃ押し掛けたら八戸が困るだろう。

 栄次と赤城さんも二人でゆっくりしたいだろう。しかし、俺は気まずくて仕方ないのだ。


 やることは簡単だ。

 今回の件は八戸に責任は無く、俺は傷付いていない。そう説明すればいいだけだ。

 いいだけなのだが、女子の家に一人で訪ねろと言われても困る。

 訪ねた瞬間、家の人に警備員を呼ばれるかもしれない。ここは間に赤城さんを入れなければ、そういう危険がある。


「希、八戸さんに話だけでも通してやってくれないか? 多分、女子の家に入ったことないから勝手が分からないんだよ」

「えっ? そうなの?」

「赤城さん、さっきも話したけど俺は今まで栄次しか友達が居なかったんだ。だから、栄次以外の他人の家を訪ねたことがない。頼む、先に話を通しておいてくれ」

「そうなんだ! うん、ちょっと待ってて!」


 頼んだ俺に、赤城さんは嬉しそうに微笑んでスマートフォンで電話を掛け始める。

 一瞬嬉しそうな顔に引っ掛かりを覚えたものの、とりあえず話を通してくれるよう頼んでいるんだから、噛み付くのは礼儀知らずのやることだ。

 そう思って、我慢した。


「もしもし」

『……希? どうしたの?』


 スピーカーフォンで話しているのか、はっきりと八戸の声が聞こえる。しかし、風邪を引いているせいか声にいつもの元気は感じられない。


「あのね。今、凛恋の家の前で栄次と多野くんも一緒に居るんだけど――」

『多野!? ちょっ! どどど、どういうことよっ!』

「多野くんが凛恋と昨日のことで話がしたいって――」

『ちょっと待ってよ! どうやっても多野に会える状態じゃないってっ!』


 どうやら、精神的に辛いのか、八戸はまだ会える状態ではないようだ。そんな状態なのに無理矢理会うわけにもいかない。


「分かった。じゃあまた今度出直すことにする」

『えっ!? 多野!? 希! もしかしてスピーカーにしてるんじゃ?』

「うん」

『うんって……。 多野! ちょっと待ってて! それと希! 後で話あるから!』

「うん、分かった」


 電話を切った赤城さんは満足そうな笑みを浮かべて俺に笑顔を向けた。


「じゃあ、私達は帰るね」

「ああ、ありがとう赤城さん」

「ううん、凛恋のこと、よろしくね」

「カズ、また明日な」

「おお」


 二人仲良く歩いて行く栄次と赤城さんの後ろ姿を見送り、俺は八戸の家の玄関へ視線を向ける。


 さっき、八戸は会える状態ではないと言っていた。でも俺が来ているということで気を遣わせて無理をさせてしまったようだ。

 せっかく友達になってくれた八戸にそんなことをさせてしまって申し訳ない。


 そこで俺はマズいことを思い出した。


 そういえば、俺は八戸に「俺達は友達なのか?」と確認した。それはもしかしたら、とても失礼なことをしてしまったのかもしれない。

 いや……確実に失礼なことをしてしまった。

 

もし俺が栄次に「俺とカズって友達だっけ?」と聞かれたら、怒りはしないし特に傷付きもしないが、多少はムッとする。

 今回の件で、八戸や赤城さんは傷付きやすい人だというのが分かった。

 それを踏まえると、俺は八戸にとんでもなく酷いことをしてしまったということになる。


 これは、昨日のことを気にするなと言う前に謝らなければいけない。

 こんなことなら、赤城さんと栄次を帰すんじゃなかった。


 別に喧嘩したわけではない。いや、喧嘩にならなかったのは八戸が良い奴だっただけか……。

 どっちにしても、俺は八戸に謝らなければいけない。しかし、どう謝ればいいのだろう?


 栄次と揉めた時は「すまん」と言えば大抵のことはどうにかなる。三年会ってなかったとしても、その前の六年の付き合いがあるからだ。

 だが、八戸とはまだ付き合いが短い。それに八戸は女子だ。男の栄次のように行くわけがない。


 女子という存在は難しい。

 いや、俺にとっては男も人間である以上難しい。だが、自分が女子ではないから、女子の勝手が分からない。

 軽く栄次と同じように「すまん」で済まされるとは思えない。そして、更に俺は別件で八戸を泣かせている。


 そういえば昔、爺ちゃんに言われたことがあった。「女を泣かせた時点で、男が悪い。凡人は絶対に女を泣かすようなクズ男になるんじゃないぞ」と。

 爺ちゃん、俺、クズ男になってしまった……。


 友達だと思ってくれていた八戸に友達なのかと聞き返し、理由はどうあれ八戸を泣かせてしまっている。

 謝るべきことがまた増えてしまった。

 もしかしたら、今回の風邪も俺がそんな心労を八戸に掛けさせたから、体調を崩させたのかもしれない。

 …………また、謝らなければいけないことが増えた。


 まずはどれから謝ればいい?

 友達の件を……いや、先に体調の話から入った方が話しやすい。

 いや……でもそうすると、体調を崩させた原因を説明しないといけないから、話が前後してしまう……。


 八戸を待つ間にどんどん頭の中へ新たな問題が生まれてくる。

 そして、それは一つの懸念へ集約されていく。


 本当に謝って許してもらえるのだろうか。


 その一つの懸念を真剣に考えてみる。しかし、俺では解決方法がただ謝るしか出てこない。

 きっと栄次だったら、謝る+何かが出てくるのだろう。だが、経験不足の俺には何も出て来ない。


「お待たせ! ちょっ、多野!? 何真っ青な顔してるのよ! 大丈夫!? 何かあったの? あれ? 希と喜川くんは?」


 内鍵が開く音がして、玄関の扉が勢い良く開いたと思ったら、飛び出して来た八戸がそうやって捲し立てる。


「えっと、とりあえずそんなに待ってはいない。次に俺の顔色についてだが、これは自己責任だ、気にするな。それと栄次と赤城さんだが、デートがあるからと言って帰った」


 とりあえず一つ一つ尋ねられた疑問に返答をして消化していく。

 この後、三つも謝って、それから一つの誤解を解かなければいけないのだ。これ以上、俺の頭の中に問題を溜め込むわけにはいかない。

 ただでさえも処理能力が低いのに、これ以上増えたら頭がパンクする。


「希、逃げたわね。明日、学校で問い詰めてやる!」


 腰に手を当ててプリプリと怒る八戸を見て、息を呑む。のっけから八戸の機嫌はよろしくない。

 この状況で謝罪をしなければいけないとは、胃が痛い。


「と、とりあえず入って」

「いや、家の人が居ないのに入るわけにはいかない」

「えっ?」

「家の人、居ないんだろう? 女子一人の家に無断で上がるのはダメだ」


 八戸は玄関を出る時に内鍵を開ける音が聞こえた。それはおそらく、家に一人だから防犯のために内鍵を掛けていたということだ。

 そんな状況で、俺がノコノコ上がり込めるわけがない。


「多野なら大丈夫よ」


 八戸は怒っていた顔から、プッと小さく吹き出して笑い、そう言った。

 その言葉には遠慮は感じられず、そして理由はよく分からないが機嫌が少し良くなったように思える。


「で、では失礼します」

「多野、敬語とか気持ち悪いからやめてよ」

「そうは言ってもだな。女子の家に入るのは初めてだから、流石の俺でも緊張する」


 なんだろう。見た目は普通の玄関だし、視線の先にあるのも何の変哲もないタイルだ。

 しかし、女子の家というだけで、何か特別な資格を取得するか、特別な儀式を終えてからじゃないと入れない、そんな場所に見えてくる。


「あのさ……ホントに、女の子の家、来るの初めて?」

「……ああ、女の子どころか栄次の家以外は他人の家なんて入ったことがない」


 とりあえず、八戸が踏んだ場所なら濡れた靴底でも踏んで大丈夫だろうと考え、八戸の踏んだ場所に自分の足を置く。

 なんだこの、地雷原に足を踏み入れているような緊張感は……。


「……多野、何してんの?」

「何処に足を置いていいか分からんから、八戸が踏んだ場所に足を置いてる」

「何処でも良いわよ。ただの玄関なんだし。綺麗な芝生は平気で踏めるのに、なんでうちの玄関は踏めないのよ」


 既に家へ上がった八戸が半笑いで俺にそう言う。


「自分の家とは勝手が違うんだ。友達の家で粗相をするわけにはいかん」

「多野っ!?」

「ぬわっ! いきなり叫ぶな! 別の所を踏む所だっただろうが!」

「もうタイルは気にしなくていいから! さっきのもう一回言って!」


 八戸の許しが出て、俺は息を吐きながら両足を玄関のタイルに置く。

 足場がしっかりしただけで、こうも安心感があるとは思わなかった。


「多野、さっきのもう一回!」

「さっきの?」

「さっき言ってたでしょ! その……友達がどうって」

「ん?」

「ん? じゃなくて! 友達の家で粗相をするわけにはいかないって」

「ああ、そうだ。せっかく出来た友達だからな。変なことして減らすわけにはいかないだろう。俺には八戸と栄次と赤城さんしか友達が居ないん――や、八戸!? どうした!?」


 八戸の目がウルッと潤んだと思ったら、八戸が両手で顔を覆いしゃがみ込んだ。

 突然起こったその事態に、俺はどうすれば良いのか分からず、とりあえず八戸の前にしゃがみ込む。


 どうしていいやら分からず、声も掛けられずにオロオロしていると。八戸が涙目で俺の方に目を向けた。


「……嫌われたかと、思ってた」

「………………は?」


 八戸の言葉に、その声が出た。

 いやいや、どうしてそうなった。


 別に八戸は何か俺に嫌われるようなことをしたわけじゃない。むしろ嫌われる要因があるのは俺の方だ。

 それなのにどうして八戸がそう思う必要がある?

 第一、さっきまで平然としてたじゃないか。


「昨日、あんなことがあって多野に嫌な思いさせたから、絶対に嫌われたと思ってた……」

「いや、待て。昨日のは、八戸は何も悪くないだろう。それに俺は嫌な思いはしていない。だから、俺のことは心配しなくて大丈――あっ……」


 勢いに任せて話していて、途中で気付く。

 順番を間違えた。まずは誤解を解く前に謝罪が先だった。


「……あっ?」

「えーっとだな。順番を間違えた。とりあえず今の話の前に三つ程謝りたいことがある」

「順番? 謝りたいこと?」


 涙目で首を傾げる八戸を前に、俺は大きく深呼吸をした。


「まずは、昨日のことだ。八戸に友達かと聞き返してしまった。本当に申し訳ない」

「ああ、あれね。あれは結構ショックだったかも」

「うぐっ……も、申し訳ない」


 冷えた体に八戸の言葉が響く。やはり、八戸に嫌な思いをさせてしまっていたようだ。

 しかし、そこで潰れるわけにはいかない。

 俺にはまだ二つも謝らなければいけないことがあるのだ。


「それと、昨日、理由はどうあれ、女子である八戸を泣かせてしまった。それも本当に申し訳な――」

「今も泣かされた」

「ふぐっ……す、済まない」


 雲行きが怪しくなってきた。

 今のところ、三つ中二つを謝ったが許してもらえてはいない。


「それから、その二つが原因で八戸に心労を掛けたせいで、八戸が体調を崩してしまった。本当になんとお詫びをすればいいのか――」

「確かに、その二つが原因かもしれないわね」

「…………」


 三戦全敗。三対〇の完封負け。これはもうどう足掻いても許してもらえる状況じゃ――。


「でも、さっき友達って言ってくれたから一個目はチャラね。そして二個目だけど、あれは勝手に私が泣き出したせいだし、それに多野が私は悪くないって言ってくれたからスッキリした。それで三つ目は、多野に会えて風邪なんて吹き飛んだわ。来てくれてありがと」

「えっ?」


 顔を上げると、ニコッと笑った八戸が居た。俺は、許してもらえたのか? いや、でもさっきの八戸の言葉は全部解決したという話だった。


「とにかく上がって。温かいお茶くらい出すわよ」

「お、お邪魔します」


 どうやら誤解も解けて三つの謝罪についても許してもらえたようだ。


 八戸に促されて靴を脱いで揃えて玄関へ上がる。


「多野って礼儀正しいわよね」

「爺ちゃんが昔から厳しかったからな。靴を揃えなかったら、竹刀片手に追い回してきて怖かったんだ」

「た、確かにそんな感じだと、どんな奴でも礼儀正しくなりそうかも」


 引きつってぎこちない笑みを浮かべる八戸は二階に上がる階段を上がり始める。それに続いて俺も階段を上がって上を上がり始める。


「とりあえず、部屋に案内するから少し待ってて。お茶を淹れて来るから」

「いや、気を遣わ――」


 気を遣わなくていいと言おうとして、俺は不容易に視線を上に上げてしまった。


 この世の中に存在する色には、一つ一つ名前が付いている。その幾万にも上る色の中に、シェルピンクという色がある。


 シェルピンクは、日本工業規格という日本の国家規格、いわゆる日本として明確化された規格の色彩規格というもので『ごくうすい黄赤』と明記されている。

 ごくうすい黄赤と言われてもすぐに頭に浮かばないが、それが『淡いピンク色』と言い替えれば分かり易くなる。


 そのシェルピンクが視線の先にあった。


「シェ、シェルピンク」

「ん? ……ちょっ! 顔下げてっ!」

「すまんっ!」


 八戸にそう怒鳴られてとっさに視線を階段に落とす。いやあ、実に綺麗な木目のとても良い階段だ。

 俺が木目の素晴らしさに脳機能の全てを傾けていると、上から八戸の声が聞こえた。


「多野、上がって良いわよ」


 上を見上げることはせずゆっくりと階段を上っていく。八戸の語調が強い。きっと怒っているのだ。


「で? 見たの?」

「見てません」

「何を見てないのよ」

「み、見たの否定には見てないを使うだろう!」


 八戸の卑怯な手口を上手くかわして顔を上げると、真っ赤な顔をした八戸が俺にチラリと視線を向けていた。


「で? シェルピンクはどう説明するつもり?」

「シェルピンクと言うのは、色の種類のことだ。実際は光の具合で色合いが変わるから、淡いピンク色と呼ばれることが多い。桜貝という貝の色を想像してもらえば問題ないだろう」

「色について聞いてるわけじゃないわよ。てか、なんでそんなに色に詳しいのよ」

「雑学だ」


 俺の方をジトっとした目で見ている八戸は、自分のスカートの裾を手で押さえている。


「全く。多野じゃなかったら、出禁よ、出禁」


 フンッとそっぽを向いて歩いて行く八戸は、怒っているようだが、問答無用で叩き出されることはなさそうだ。

 どうしよう、謝ることが……いや、ここで謝ったら認めてしまうことになる。

 ここはそっとしておくに越したことは――。


「で? そのシェルピンクは何処から出てきたわけ?」

「いや、急に頭の中に浮かん――」

「往生際が悪い」

「……すみませんでした!」


 やっぱり素直に謝った方が身のためだ。

 八戸相手に俺がコミュニケーションで勝てる気がしない。


「上から話し掛けた私も悪いけど、見て第一声がシェルピンクって、多分、多野くらいでしょ、そんな言葉が出てくるの」

「何の批判を受けてるのか分からなくなる批判だな。というか、女子は室内でもそんな格好をするものなのか?」

「えっ?」


 俺は普段、家ではスウェットを来ている。いわゆる部屋着という扱いでだ。

 スウェットのようにゆったりした服の方が過ごし易いしリラックス出来る。てっきり、誰でもそうかと思ったが、八戸はいつも見る通り、Tシャツにミニスカートという格好だ。

 俺は女装癖も無くてスカートの機能性は分からないが、短いし動き安いのかもしれない。


「こ、これは、その……多野が――多野と喜川くんが来るって言うから」

「なんだ、気を遣ってくれたのか。でも、友達なんだから気にしなくていいぞ」

「そういう訳にはいかないわよ! 私にも恥じらいってものがあるんだから!」

「す、すまん……」

「でも、友達って言ってくれたから……チャラにしといてあげる」


 八戸のその言葉を聞いてホッとする。そして、次も何か失敗したら友達と言えば何とかな――。


「友達って言えば何とかなるって思ってたら大間違いだからね」


 ――るわけではなかった……。

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