【三《御役御免は許されない》】:二

 高台にある西洋風の住宅が建ち並ぶ高級住宅街。

 ではなく、昔ながらの商店街を抜け、下町風情とか下町情緒という言葉が似合う、純和風の古い建物が左右に並ぶ細い道を抜けると密接した住宅街がある。

 その住宅街の中に、一際広く大胆に土地を使った平屋がある。ここが俺の家だ。


「広い……」

「すご……」

「カズの爺ちゃんは警察官でも凄い人だったらしくて、この近所では有名な人だよ」


 腰丈の鋼鉄製の門を開くと、地面に敷き詰められた芝生に飛び石が打ってある。


 うちの飛び石は中央にまっすぐ伸びる、いわゆる直打ちという配置ではなく、千鳥掛という左右に一個ずつ振れた打ち方に、三つ同じ方向に連続で並べる三連打という打ち方が混ざっている。


 庭の奥には大きな池があり、庭の外周には季節毎に庭を楽しめる樹木が植えられ、綺麗に手入れされている。

 これはもちろん、俺や爺ちゃん婆ちゃんがやったわけじゃなく、専門の造園師の人が定期的に来て手入れをしてくれている。


「えっ? 踏んでもいいの?」


 俺が普通に芝生を踏みつけて歩くと、後ろから八戸の驚きと悲鳴が織り混ざったような高い声が聞こえる。


「いつも手入れに来る人が、この辺は踏む確率が多いから、踏まれても良いように下は砂にしてるって言ってた。まあ、踏まないに越したことはないだろうけど」


 幼い頃は、飛び石の上をピョンピョンと文字通り飛んで渡って遊んだ記憶もある。しかし、今となってはあまり気にもしていない。


「俺は毎回この飛び石の上を歩くよ。綺麗に手入れされてるから、踏むの気が引けちゃうんだよね」

「私もその気持ち分かる。それに飛び石ってなんか楽しい」


 後ろからスタスタと何気なく歩く栄次と、ピョンピョンと無邪気な子供のように飛んで進んで来る赤城さんが見える。そしてその更に後ろでは……。


「八戸、何してるんだ?」

「えっ?」


 俺は通り過ぎた飛び石を戻り、門の手前で立ち止まってる八戸の前に立つ。八戸は、飛び石に向けていた視線を俺に向ける。


「気にせずに歩いて来ていいぞ。芝生が気になるんだったら、飛び石を歩けばいい」

「ちょ、ちょっと待って。こ、心の準備が……」


 何の準備が必要なのか分からないが、このままここで立ち往生させるわけにはいかない。


「もう二人とも玄関前に着いたぞ」

「うそっ!? ご、ごめんっ!」

「謝る必要はないが、玄関に来てもらわないと困るな。この辺ってあんまり人通り無いけど、突っ立ってると近所の人に怪しまれるぞ」

「わ、分かった」


 深く頷いて飛び石に足を恐る恐る載せた八戸はゆっくりと飛び石の上を進んでいく。まるでサーカスの綱渡りをしているかのような、深い崖の上に架かった吊り橋を渡っているかのような、そんな歩き方。


「何をそんなにビクビクしてるんだ。言っておくが、俺の家に幽霊の類は出ないぞ」

「そ、そうじゃなくて、緊張するのよ。男の子の家とか初めて行くし。……それに、多野の――」

「ん? 電話?」


 スマートフォンが震えて、俺はおっかなびっくり飛び石を歩いて行く八戸を見送る。そして視線をスマートフォンに移すと、顔をしかめた。

 画面に表示されているのは『爺ちゃん』という四文字だった。


「もしもし、爺ちゃん。なんで栄次に――」

『凡人か。ゲンさんに四人前の特上を頼んでおいたから、みんなで食べなさい』

「ちょ、爺ちゃ――切りやがった」


 爺ちゃんの言っていた『ゲンさん』というのは、爺ちゃんがよく行く、板前寿司屋の店主のこと。そして特上というのは、特上握りセットのことだと思う。


 特上握りセットはその名の通り、特上の握りがセットになったメニューで、入学とか卒業とかそれから誕生日とか、そういうめでたい日に食べる。

 しかし、今日はなんの変哲もない金曜日で、めでたいことなんて一欠片もない。


 ふと視線を前に向けると、八戸が飛び石を渡り切り、玄関の前でホッと一息吐いていた。八戸の隣に立つ赤城さんは、そんな八戸を見てクスリと笑いながらも、腕を掴んでじゃれ合っている。

「栄次、今日何の日だっけ?」

「ん? いや、今日は特に何の日でもないけど。いきなりどうしたんだよ」


 特上握りの理由が分からず栄次に尋ねてみたが、どうやら栄次にとっても何の日でもないらしい。


「爺ちゃんが特上の寿司を頼んだからみんなで食えって」

「「特上!?」」


 端に居た赤城さんと八戸が『特上』という単語に反応して大きな声を上げる。


「あー、もしかしたら俺が、友達二人連れてくるって言ったからかな」

「あー、そういうことか」


 俺が家に人を連れてくることは、栄次以外居ない。そんな俺に、爺ちゃんは昔から「もっと友達を連れてこい」と言っていた。

 でも栄次以外に友達なんて居なかった俺は、結局今の今まで栄次以外に人を連れて来なかった。しかし、栄次の無理矢理と言っても、今日やっと栄次以外の人が家に来た。

 だから爺ちゃんは特上握りを頼んだのかもしれない。


 それにしても、人を連れてきただけで寿司なんて、なんだかとっても恥ずかしい。


「二人とも、寿司とか大丈夫? 生魚とか苦手だったら」

「いや、お寿司は大好きなんだけど……」

「な、なんか、悪いって言うか……」


 特上という単語がまだ尾を引いているのか、赤城さんも八戸も顔が引きつっている。

 俺も特上握りなんて滅多に食べないから気持ちは分かる。しかし、既に頼んでしまっている以上どうしようもない。


「爺ちゃんが勝手に頼んじゃってるみたいだからさ。ダメにしちゃうのは勿体無いし、四人前も一人で食べ切れないから、食べて行ってくれると助かる。多分、爺ちゃんのことだから、一八時頃に来るように頼んでると思うんだが」

「そう言うことなら、ご馳走になります」

「う、うん。なんかごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」


 赤城さんもだが、八戸はもの凄く申し訳なさそうな顔をしている。まあ、初めて来た人の家で特上寿司出されて混乱しない人はそう居ない。


「そういえば、俺が初めて来た時も出たよな。特上握り」


 栄次がクスクスと思い出し笑いをして言う。


「ご飯、食べていけって言われて何かと思ったら、寿司が出て来てビックリした記憶がある」

「その時も爺ちゃんが勝手に頼んだんだったな。まあ、タダ飯食べられてラッキーくらいに考えてくれ。とりあえず中に」


 いつまでも玄関で突っ立ってるわけにもいかず、俺は玄関の鍵を開けて、中に三人を招き入れた。



 とりあえず、俺の部屋に三人を通して、俺は台所でお茶の準備をする。

 準備と言っても、冷蔵庫に入った冷茶をコップに注いでお盆に載せ、一緒に丸ぼうろも載せる。


「多野、運ぶの手伝う」

「いや、客に手伝わせるわけには――」

「私が気になるのよ」


 台所の入り口に立っていた八戸に、丸ぼうろの入った皿を取られる。コップの載ったお盆を持っているから、激しく抵抗は出来ない。


「多野ってお金持ちだったのね」

「いや、俺じゃなくて爺ちゃんが警察官だったから、それでだ」

「そっか、なんか急に雲の上の人に見えてきちゃった」


 はにかむ八戸を見て「俺からしたら、八戸達三人が雲の上の人間だ」と思ったが、何となくそれは口にしなかった。


「多野の家、広いから迷いそう」

「そうか。ちなみにトイレはこの廊下の突き当たりな」

「ありがと」


 一緒に部屋まで廊下を歩いていると、途中で八戸が立ち止まる。そしてスッと視線を下に落として俯いた。


「希と喜川くん、明日二人で出掛けるんだって」

「そうか。随分仲良くなったしな」

「希は明日、喜川くんに告白するって」

「そうか。栄次も赤城さんに告白するって言ってたし、これでめでたく付き合うことになりそうだな」


 栄次も赤城さんも両思いだ。それにお互い相性は良いみたいだし、何の心配もないだろう。

 いや、そもそも俺なんかが心配する必要はない。栄次も赤城さんも、俺なんかより人間関係は得意だ。


「希と喜川くんが付き合ったら、きっと四人で出掛ける機会は減っちゃうよね」

「まあ、俺達は二人の付き添いみたいなものだからな。二人が付き合えば付き添いは必要ないし、そもそも恋人同士のデートに同伴なんて、無粋な真似は出来ないだろう」

「だよね……」


 なんだか、八戸の背中が少し暗く見える。いや、俺でも分かるくらいだから、大分本当に暗いのだろう。

 しかし、八戸にとって赤城さんと栄次が付き合うのは喜ばしいことのはずだ。なのに、なんであんなにも暗いのだろう。

 もしかして……。


「八戸。俺は友達関係とか得意じゃない。そもそも友達以前に人間関係が得意じゃない。だから当てにならないし無責任かもしれないが、友達なら遠慮する必要はないんじゃないか?」


 多分、八戸は栄次のことが好きなのだ。だから、友達の恋が叶うのに暗そうにしている。


 栄次は良い奴だ。それに見かけも申し分ないどころか、同性の俺でも格好良いと思う羨ましい顔立ちをしている。だから、八戸が栄次のことを好きになる要素はある。


 この数日間に何があったかは分からない。だけど、この数日間で八戸の気持ちが少しずつ成長したのだろう。そして今日、赤城さんと栄次はお互いが好き同士であり、その思いが明日通じ合うことを知った。

 それは、恋なんて知らない俺にだって辛さの表面くらいは見える。


 赤城さんと八戸は本当に仲の良い友達関係であるのは分かる。だから、赤城さんに遠慮しているのかもしれない。だけど、そういう思いは抑え付けられるものではない。そう、俺は思う。


「好きになったら、友達が好きな相手でも仕方ないだろう。好きになってしまったんだし。まあ気持ちに素直になるか身を引くかは八戸の勝手だ。だが、後悔しないようにちゃんと考えた方が良い。考えられる時間は短いがな」


 俺がそう言いながら八戸の隣を通り過ぎると、後ろから八戸の声が聞こえた。しかし、その八戸の声には暗さはなく、抜けたような声だった。


「えっ? 友達の好きな人? 身を引く? …………ちょっ! 違うっ! 私が好きな人は喜川くんじゃ無い!」

「えっ? 違うのか? 俺はてっきり栄次のことを好きになって悩んでるのかと」

「ち、違うってば! 確かに喜川くんは良い人だけど、私のタイプじゃない!」

「そうか。俺の勘違いだったのか、すまん。でも、頑張れよ」

「ちょ! だから私は――」

「分かってる。八戸の好きな人は栄次じゃないんだろう。でも、好きな人が居るんだろう? 赤城さんの恋に協力したんだ、次は赤城さんに協力してもらえば良い。それくらい頼んでも罰は当たらないだろう」


 雰囲気を明るくするためだったが、女子をからかうのは苦手だ。

 栄次相手なら冷やかしくらい軽く出来るのだが、女子相手だと栄次を相手にする時のようにはいかない。

 栄次には罪悪感なんて持たないのに、今はやらなければ良かったと後悔する。


「頑張れよ。八戸は良い奴だからきっと上手く行くと思うぞ」


 俺は結露が出ているコップが載ったお盆を持って廊下を進む。

 赤城さんと栄次は明日お互いの気持ちが通じ合い、お互いの時間を歩き始めるだろう。

 そして、一生懸命赤城さんの恋を応援した八戸も、明日以降には自分の恋を叶えるために歩き出すはずだ。


 まあ、俺と栄次が友達で、栄次は赤城さんと付き合っていれば、もしかしたらまた顔を合わせる時が来るだろう。その時は今まで通り無難に空気に徹してれば良い。


 俺は廊下を歩き部屋の扉を開ける。そして、楽しそうに話す栄次と赤城さんを見て、思わず口元が緩んだ。


 おめでとう、栄次。良かったな。赤城さんは良い人だから大切にするんだぞ。

 おめでとう、赤城さん。栄次は良い奴だが時々アホだからよろしく頼む。

 そして八戸。友達のために頑張れる八戸は本当に良い奴だ。そんな良い奴なのだから、絶対に良いことが回ってくるはずだ。だからきっと八戸の恋も叶う。


 学校の帰り道、栄次も赤城さんも八戸もみんな、俺に浴びせられた言葉を聞いて、心配してくれた。

 俺はそんな優しい良い人達に出会えて幸運だと思う。


 間違いなく、四人で過ごした今日までが、俺が今まで生きてきた人生の中で最高の時間だった。

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