【二《下位の劣等感》】:二

 妙案というものはあれこれ考えを巡らせるよりも、ふとした時に思い付くものらしい。

 だがしかし、ふとした時に思い付くもの全てが妙案とは限らない。


 女子の買い物に付いて回る理由として、荷物持ちというのはどうなんだろう? ずっと、俺はその疑問と戦い続けている。


 女子に荷物を持たせるわけにはいかない。ということ自体は、まあ概ね筋は通っているはずだ。しかし、それで荷物持ちをしようとは、どれだけ使いパシリの鑑なんだろう、俺は……。


 いや、でもあの状況で他にどう言えば良かったのだろう。「もうちょっと話したいし」「もうちょっと一緒に居たいし」…………そう言うのは栄次の、いや、男ではなく女子の台詞だ。

 女子が言えば可愛げのある台詞だが、男が言うとキザっぽい。ましてや俺なんかがそんな台詞を吐くと思うと……寒気が走る。


 まあ幸いなのは、赤城さんも八戸さんも本当に良い人ということだ。考えれば考えるほど薄気味悪い俺の主張にも、二人は嫌悪感を見せなかった。まあ、気を遣われたのだろうが。


「いきなり帰るとか言い出すからビックリしたぞ」


 二人の買い物を遠巻きに見詰める栄次が俺の脇を小突く。その栄次にだけ聞こえるように耳打ちした。


「八戸さんがスマートフォンずっと握ってるから、何か用事があって連絡待ってるのかと思ったんだよ。まあ、それは俺の勘違いだったみたいだけど」


 八戸さん自ら、後の用事は赤城さんとの買い物だと言っていたし、俺の早とちりであったのは間違いない。


「あー、なるほど。そういう解釈か」


 腕を組んでウンウンと頷く栄次。何か納得をしている様子だが、俺はさっぱり分からない。


「八戸さん、帰りたくてスマホ握ってたわけじゃないと思うぞ」

「そうか、まあなんだ……雰囲気を悪くしてすまんな。空気を読もうとした俺がバカだった。出来ないことはやるべきじゃなかった」


 日頃の俺なら成り行きに任せるはずだった。だが、あの時は何となく空気を読んでしまった。


「まあ俺は良いとして、問題は八戸さんだよなー。多分気にしてるぞ、自分が会話を盛り上げられなかったせいだって」


 人の悪い笑みを浮かべて栄次が脅す。こいつ、人の窮地を楽しんでやがる。

 全く、人の不幸を楽しむとは酷い奴だ。でも、八戸さんの反応を見れば、そう言われても仕方ないのかもしれない。


 八戸さんからすれば、せっかく良い雰囲気を作っていたのに俺から水を差されたのだ。大切な友達の恋路を邪魔されたのだから、そりゃあ怒っているだろう。


「謝った方が良いよな」

「謝る? いや、それよりも連絡先を聞けば良いと思うぞ」

「……はあ? 何で怒らせた相手に連絡先聞きに行くんだよ。そんな火に油を注ぐようなことしたら逆効果だってことくらいは分かるわ!」


 一体、栄次は俺をどれだけコミュ障だと思ってるんだ。自慢じゃないが一般常識はある程度理解してるつもりだ。礼儀作法とかはよく分からんけど。


「まあ、とりあえず俺と赤城さんが一緒に話してるから、その間に八戸さんと話せよ」

「ああ」


 そう答えると栄次が歩き出して赤城さんに話し掛けている。それを見ていると、栄次が赤城さんと二人で話したいだけではないかと思えてくる。


 カラオケの時も思ったが、栄次はかなり積極的で、そして一途だ。最初に赤城さんのことが気になったら、ずっと赤城さんと仲良くなろうとしている。

 その一途さというか真面目さが栄次の良い所だ。


 栄次は赤城さんの隣に並んで楽しそうに話をしながら小物を見ている。それを見ていた八戸さんはスッとその場を離れて栄次と赤城さんを二人きりにしている。やっぱり良い人だ。


「八戸さん」

「八戸でいいわよ」

「そうか。八戸、さっきはごめん。せっかく二人の雰囲気良くしようとしてたのに水を差して」


 俺が謝ると八戸が目を丸くしてパチクリと瞬きをする。そして、首を傾げた。


「えっ? 何が?」

「…………いや、さっきのファミレスで俺が帰るって言っただろう。あれで良かった雰囲気に水を差してしまった。だからそれを盛り返そうと映画の話をしたんだろ?」

「えっと…………多野は、退屈だったから帰ろうとしたんじゃないの?」

「いや、俺は別に」

「じゃあ、何で帰るなんて」

「いや、えーっと」


 そこで困った。この流れでは俺が帰ろうとした理由を説明しなければいけない。

 しかし、とっさに思い付いたことをやっても、ろくなことにならないのは、ついさっき証明されたばかりだ。

 まあ今のままでも、結構な悪い印象だろうが。


 このまま沈黙を長くすれば長くするだけ、状況が泥沼化するのは分かり切っている。となれば、予防線を張れるだけ張って事実を言うしかない。

 情けないとかみっともないと思われても、それしか思い付かないのだから仕方が無い。


「八戸がスマートフォンを握りしめてるのが見えたから、何か用事があってその連絡を待ってたのかと。あの状況じゃ、帰るって言い出しにくいし。でも八戸のせいというわけではなくてだな。俺が勝手に思い込んで勘違いしたから悪いんだ。本当にごめん」


 あまり目立って八戸に迷惑を掛けられない。だから店の中で頭を下げるなんて出来るわけもなく、俺は適当に近くにあったマグカップを手に取る。ホルスタイン柄の大きめのマグカップを眺めて見るが、良さは特によく分からない。いや、良し悪しを判断出来る精神状態ではない。


 女子に謝ったのは何時振りだろう。それは俺が謝罪出来ない人間であるというわけではなく、そもそも女子というか学校の生徒との関わりが皆無だったから謝る機会や出来事がなかったのだ。

 だからかも知れないが、謝り方を知らない訳じゃないけど、正しい謝り方だという自信もない。だからだろうか、問題の行く末が見えず及び腰になる。


 しかし、踏み出した足はもう止めることは出来ない。恐る恐る視線を八戸に向けると、八戸がボーッと俺の方を眺めていて、しばらく俺と視線がぶつかり続ける。


 八戸の印象は派手だ。確かに服装や髪色を見れば、赤城さんよりも派手だ。でも、俺の知っている派手な化粧をしているギャルというわけではなく、化粧に関してはナチュラルメイクというやつなのか、派手さを感じない。


 そんな八戸の顔をボーッと見ていると、八戸がハッとした表情をして視線を逸らす。まあ、人にジッと見られたらそりゃあ落ち着かないだろう。


 俺も八戸から視線を外してホルスタイン柄のマグカップを棚に戻す。よく見れば虎柄や豚柄のマグカップも横にあった。世の小物好きはこういう物が好きなのだろうか?

 隣に立っていた八戸が、さっきまで俺が持っていたホルスタイン柄のマグカップを手に取って、はにかんだ。


「あのさ……連絡先、教えてくれない? 嫌なら、いいんだけど……さ」


 八戸はマグカップに視線を向けたまま言う。その八戸の言葉に俺は戸惑った。結局、俺は許してもらえたのだろうか? まあ、さっきの話を続けないということは、もうさっき話は問題ないということだろう。


「別に構わないが、何で俺の連絡先なんだ?」

「えっ!? ほ、ほら! 喜川くんと希が上手く行くように協力してもらう事もあるかもだし!」

「いや、恋愛事で俺に出来ることは何も無いと思うが。それに俺がどうこうする必要は無いだろう」


 少し離れた所で商品を見る二人を、俺は遠巻きに眺める。

 俺は恋愛に慣れてはいない。だけど、あの二人が良い雰囲気であることは分かる。だから、不慣れな俺があれこれとやっても効果は無いどころか、逆に悪化させるだけに思える。


「多野って、恋愛経験とかあまり無さそうだよね」


 クスッと顔を綻ばせて笑う。


「八戸の方は経験は豊富みたいだな」

「えっ? 私?」


 八戸はさっきの笑顔からキョトンとした顔に変わり、自分を指さして首を傾げる。俺はその「何でそう思うの?」という八戸の反応に眉をひそめる。

 八戸は見るからにスクールカースト上位の人間だ。そしてスクールカースト上位の人間は総じてリア充だ。

 リア充とは『リアルが充実している人』のことだが、大抵は恋人が居たり、恋人は居なくても恋愛経験が豊富だったりする人間のことを指し示す言葉だ。


 栄次は、八戸さんに彼氏が居たことがないみたいなことを言っていたが、それは無いだろう。

 スクールカースト上位のリア充で、その上で良い人ならそんなことはあり得ない。付き合っていた人が一人や二人居たって当然だ。


「栄次が、八戸はモテるらしいと言ってた」

「喜川くんが? あー、希が変なこと言ったのね」


 納得したような表情をした後、八戸は赤城さんの背中にジトーっと目を向ける。


「別に変なことじゃないだろう。刻雨の男子からモテるんだろう?」

「ないない! モテないモテない!」


 両手を振って否定する八戸。まあ、仮にモテているという自覚があっても「私はモテる」と公言出来る人はあまり居ないだろう。

 そんな人はよっぽどな自信家か、もしくは何も考えてないバカくらいだ。


「まあとにかく、俺に恋愛事では何も出来ないぞ。八戸に協力するくらいは出来るだろうが」

「うん! それで良い! 私が色々作戦考えるから、多野は私に協力してくれれば!」

「そ、そうか」


 首を縦に激しく振ってウンウンと頷く八戸は、満面の笑みを浮かべて嬉しそうにしている。それだけで赤城さんのことを大切に思っているのがよく分かった。

 しかしその圧の強い感じに、俺は圧倒されて短い返事しか返せなかった。


 俺は長らく『友達』という存在を忘れて生きてきた。正直、栄次のことも、栄次から話しかけられるまで気付きもしなかったし、思い起こすこともなかった。

 自分で考えても薄情な人間だと思う。そして、幼馴染みだと分かった瞬間に仲良くし始める。

 どう考えても軽薄な奴だ。そんな俺からすると、八戸の反応や行動はもの凄く眩しく見えて、そして直視出来なかった。


 見た目も今時の女子で友達思いで良い人な上にスクールカースト上位の八戸。それに対して、親友のことを忘れていながら軽薄なスクールカースト下位の俺。

 そう考えれば、劣等感を持つなというのは不可能だ。


「連絡先、交換してくれる?」

「あ、ああ」

「ありがと!」


 ポケットからスマートフォンを出して、お互いの連絡先を交換する。

 俺は自分のスマートフォンに表示された画面を見て、連絡先に家族と栄次と八戸しか登録されていないのを認識する。だが、学校で俺に積極的に話し掛ける人間なんて栄次しかいないし、当然のことではある。そこでふと俺は思った。


 八戸は俺と連絡先の交換なんてして良かったのだろうかと。


 俺は本来なら、あの合コンという体のカラオケ会には居るはずのない人間だ。

 あの中に俺が居るというのは、並べられたみかんの中に、アルミの空き缶がおもむろに置かれていて「正解したら一〇万円! この中で仲間外れなのはどれでしょう」というクイズを出題されるようなものだ。


 あの中での俺と他の男子には、人間という共通点しかなかった。

 クイズになぞらえると、みかんとアルミの空き缶……アルミカン……ある”みかん”。というような、たいへん古風なダジャレくらい冷ややかでささやかな共通点だ。

 見紛うことなき異物。共通の嫌悪の対象。それが、刻季高校の人間が俺に持っている共通認識。

 それが捻じ曲げられて、俺があの場所に居たのは、全て栄次の影響だ。


 どんな経緯で栄次が呼ばれたのかは分からないが、幹事のチャラ男をクイズの出題者、その他男子をみかん、俺をアルミ缶だとしたら……栄次は『正解したら一〇万円!』だろう。

 もっと分かりやすく言えば、魅力的な賞金。


 俺を含め、あの場に居たその他男子は正直パッとしない奴らばかりだった。そして、そんな男しか集められなければ、あのチャラ男の評判はガタ落ちだ。だから、その他男子で落ちた評判を補填出来る栄次を誘った。


 俺があの場所に居たのも、栄次が参加する条件に俺の同行が入っていただけ。賞金一〇万円の提供者が、仲間外れはアルミ缶が良いというくそギャグをニコニコ笑顔で主張したから仕方なくやったのだ。

 無論、賞金である栄次には全く持って悪気はない。


 あのチャラ男だって、好き好んでみかんの中にアルミ缶なんて混ぜたくなかったはずだ。

 せめて同じ果物のりんごとか梨が良かったはずだ。

 多少妥協しても形が違うバナナくらいまでで止めておきたかったはずだ。

 しかしアルミ缶を混ぜるだけで、ただのクイズが賞金付きのクイズになる。そのメリットを考えた結果の選択だったのだ。


 八戸と俺は違う世界に居る。スクールカースト上位の人気者グループの一員と、スクールカースト下位のストレス発散対象者。

 本来、顔を合わせることすらない。そして、理不尽な理由であると言っても俺は嫌われ者なのだ。

 だから、八戸と俺が連絡先の交換をしていることもマズいことに思える。下手したら、八戸にも悪影響が及ぶかもしれない。

 俺にそんな影響力があるとも思えないが、リスクマネージメントはしっかりしておくに越したことはない。


「八戸、俺と連絡先交換して良かったのか? もし何か気を遣ってるんだったら」

「気なんて遣ってない! この前からずっと聞きたくて! あっ……」


 八戸に確認をすると、さっきよりも凄い圧で八戸が話してきて、俺は思わず勢いに押されて吹き飛ばされそうだった。


「えっと! この前からって言うのは――」

「凛恋、この前のカラオケの帰り道、多野くんの連絡先を聞けばよかったって言ってたんだよ」


 後ろからトントンと肩を叩かれて振り返ると、ニコッと笑う赤城さんがそう言った。赤城さんの話から考えると、どうやら八戸はカラオケの時から、赤城さんの恋に協力しようとしていたようだ。


「ちょっ! 希! 余計なこと言わないでよ!」


 八戸が赤城さんの腕を引っ張って離れていく。真っ赤な顔で怒る八戸と、笑いながらも謝っている様子の赤城さん。

 二人は本当に仲が良さそうで、あまり二人のことを知らない俺でも、あれが本気の喧嘩ではないことが分かる。楽しくじゃれ合っているのだと。


「八戸さん、良い子だよな」

「ああ、良い人だな」


 近付いて来た栄次に問われ、何も考えずに答えを返す。


 良い人だ。だからこそ思う。


 良い人は良い人と関わるべきだと。

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