三度目、親父が僕を救ってくれた話
父が主治医も驚くような回復をみせてくれたのが5月下旬。
病院側からは「リハビリ転院の準備をしていこうと思います」との連絡があった。この当時の酸素吸引量は1リットル毎時。かなりの軽症レベル。一時は中等症の最大量15リットル毎時でも足りず、それでも医療崩壊中で重症病棟へも移れず、20リットル毎時を吸引していたから、素人の僕でも分かる回復ぶりだった。
父はこの時期に友人、知人にかなり連絡を入れていた(ことが後に分かった)から、治りそうだと感じて相当嬉しかったに違いない。
ところが、この後、父の容態は急変していった。
「酸素吸引量がまた増えてきたので、リハビリ転院は見送ります」
主治医からの連絡に、僕も母も落胆した。メッセージから、父も気落ちしていたことが見て取れた。
第1回目のiPad面会以降、僕や母だけでなく大勢の方が父を励ましてくれていたようだったが、その甲斐もなく病院からの連絡がある度に、酸素吸引量の数値が増えていった。(※血中酸素飽和度は下がっていたはずです)
「父は良くなっているのではなかったのでしょうか?」
6月上旬、病院側の説明では、父が良くなっているのか、また危なくなっているのか、分かりにくかったので、はっきりと尋ねたら病院から呼び出された。
病院を訪ねた僕と母に対して、主治医がレントゲンやCTの画像を見せながら父の状況を説明してくれたのだが、その画像の告げる残酷さに頭が真っ白になった。
僕は医療の素人だが、父が入院してからはネットで検索したり複数の知人医師に尋ねたりしてきたから、ある程度の予備知識がついていた。
右肺が半分くらい真っ白。左肺にいたっては全体的に真っ白。
肺の繊維症の進行具合いがハンパなかった。
たとえるなら末期がんステージ4のレベルだろう。
──こんな肺の画像、ネット上でも無かったで……。
すがるように質問を畳みかける。
「ここから治す方法はないのでしょうか」
「現在の医学では、肺が固くなった箇所は治せません」
「この状態から治った人はいないのでしょうか」
「かなり厳しいです。10人にひとりいるかいないか、です」
──10%とみていいならまだ可能性はあるか? ひとりいるかいないか、か。
「遅かれ早かれ、鎮静剤を打つ時期がくるかもしれません。その時は事前にお知らせします」
母は僕の隣で泣いていた。おそらく僕の記憶する限り、人生で初めて母に寄り添って支えるようにして歩いた。
1回目のiPad面会時は顔色もよく、やつれてもいなかった父の顔が、2回目、3回目と回を重ねるにつれて変わっていく。
やつれていく父の顔を見る度、怒りがこみあげてくる。
兵庫県は、5月11日にホテルを隔離施設として増やし、5月7日に病床数を大幅に確保したと発表している。
──できるんやったら、もっと早くしとけや!!! 遅いねん!!!
(※追記、やはり病床数等を増やすのに必要な法改正は既になされていて「知事や市長のやる気」と「地方財政」や「民間医療からの政治的圧力などの具合い」等が影響するようです。大阪は第四波までに病床数等を相当増やしていたし、第五波では法改正などなくても東京都を中心に病床数等を増やしていましたよね。第四波までの兵庫県や神戸市の新型コロナ対策は最悪だったと断言できます。)
入院方針も血中酸素飽和度93%以下を優先して入院させるとしていたはずだが、5月時点で血中酸素飽和度80%台でも入院できなかった人が大勢いた。
──できひんことをいかにも対策バッチリです感出して発表すなや!!!
どれだけ汚い言葉で行政に対する不満をぶちまけたところで後の祭り。
──そういや、俺、〇〇知事に投票したよな。自業自得か。そもそもうつしたの俺やろうし。
行政に怒ったり、自分を責めたり、感情の振れ幅が大きかった。
それでも、僕は一度号泣してしまってからは泣いていなかった。しばらく行政を憎むことで気を紛らわせていたのかもしれない。
でも、父がもう助からないという事実を実弟に伝えた時にはまた号泣してしまった。
弟は父に安静にするように強く言った際に喧嘩して以降、父の容態を聞いてこなかった。僕が電話をかけても折り返してこなかったし、母が説明しようとしても聞かなかったから、弟は僕や母と違って、心の準備期間が足りていなかったのだろう。
号泣する弟の声を聞いて、僕も堰を切ったように涙が止まらなくなった。
それ以降は泣いていない。
父の意識がなくなるまでの間に、スマホでいろいろと話した。
退院したら何が食べたい? 「うなぎやなぁ」
今、困ってることはない? ほしいものとか? 「スマホの充電コード、長いのがほしいな」
庭のびわ、もう完全に熟してるけど、どうする? 「摘んで、〇〇さんと〇〇さんにもっていってあげて」
家の分で、びわ酒、びわジャム、つくったよ! 「ええなぁ。食べたいな」
後に看護師さんから、父はスマホをずっと握りしめていたと聞いた。どんなに苦しいときでも肌身離さず。
ひとり孤独な入院生活において、スマホは唯一の外部との接点だったから、スマホを持ち込めたこと、いや、そもそも父が年齢の割にスマホを使いこなしてくれていたことは幸いだった。
6月下旬。鎮静剤を打ち始める。
まもなく父の意識がなくなる。
数日後、父は入院後、家族だれひとりとも直接会うことなく、手を握られることもなく、旅立った。
新型コロナの残酷さ、憎たらしさは、入院中だけでなく、まさに亡くなるときにもつづく。
それだけではない。
その後にもつづく。
遺体は亡くなった病院から火葬場へしか移動できない。
だから、通夜も通常の葬儀もできない。新型コロナで亡くなると、火葬場で骨あげをして終わりにするか、骨葬といわれる葬儀までするか、の二択しかないことを知った。
志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなられたときに、お骨になってからしか遺族と会えないという痛ましい話があったが、少しだけ、現在は事情が変わっていた。
病院から出棺する前に「ごくわずかな時間」かつ「少人数で」だけれど透明のシート(僕の記憶では二重だった)に包まれて棺の中にいるご遺体と会うことができるようになっていた。
この点については、地域にもよるらしいし、この対応をしてくれない葬儀屋も実際にある(神戸市内でもあった。ちなみに、新型コロナで亡くなった場合、料金をそこそこ追加する葬儀屋もあったが、実際に経験した者としてはむしろ値下げすべきでは?と感じるくらい葬儀屋の出る幕は少ない)。
こういった対応のおかげで、僕や母、弟、ほか近親の数名で、棺の中で眠る父と会うことができた。
それだけでも嬉しいことであったが、驚いたのは病院の看護師さんたちが、父をとても綺麗にしてくれていたことだ。
棺の中の父はiPad面会で見た、やつれた父ではなかった。
髪の毛や髭を整えてくれただけでなく、入れ歯を外した状態で亡くなった父の入れ歯も口に戻してくれていた。男前にしてくれていた。エンバーミングという施術があるが、それとも異なる(はず)。
ただでさえいろんなリスクを追って大変な中、父を最期まで看てくれた看護師さんたちが父をめちゃくちゃきれいにしてくれていたのだ。
蒸し暑い日が続いていたし、疲労も蓄積していただろうし、そんなときに防具をつけて父を綺麗にしてくれたのだと思うと、もう感謝の気持ちを伝えるのに良い言葉が浮かばない。
病院から出棺するとき、整列して見送る看護師さんたちに何とかお礼を言おうとしたら、また号泣してしまった。三度目だ。
その後、火葬場での骨上げをすませて、父は長い旅からやっと我が家に帰ってきた。
父の死を、僕は今もまだ完全には受け止められていない。まだ夢の中にいるようなふわふわした感じがつづいている。
一度目の山場のとき、僕自身がここ数年いつ死んでもいいやと思いながら生きていたことを反省した。バチが当たったのかもしれない、と思った。自ら命を絶つなんてことは考えない性格だが、両親の死後にすぐ亡くなるのがいいかもなぁ、などと思っていた。
もともと我が家はインフルエンザにすら罹ったことがない健康自慢な家だった(厳密には、インフルエンザに罹患しても重症化しない体質といった方がよいかもしれない)。祖父母をはじめ親族も老衰死が多い家系で、それだけは確かな幸せとして実感していた。
それが、運なのか、ご先祖様の守護なのか、食事の趣向が良いのか、理由は分からないが、この度の我が家のコロナ騒動で、我が家の健康自慢が根幹から崩壊していったように感じた。
その反面、もういつ死んでもいいやという考え方はしないと強く思うようになった。
父は、一度目のiPad面会で、僕と母の姿を見てぶわっと泣いたと前述したが、その時の父の第一声は「お母さんは体調、大丈夫か?」だった。
──それはこっちのセリフやで!
今振り返るとつっこみたい気持ちになる。その時は「ふたりとも大丈夫」と伝えたけれど。
当たり前のようにいると思っていた親父。
当たり前のようにあると思っていたいのち。
当たり前って、実に頼りない。
いつまでもあると思うな親と金
親孝行したいときに親はなし
先人たちはいろんな教えを後世に遺してくれていたのに、実に情けない。
とにかくこれからは母を守ろう。母が父のように無念の死を遂げることがあったら、父に顔向けできない。僕自身もいつ死んでもいいやとは二度と考えられない。そういう生き方をしたら、父に会わせる顔がなくなる。
これが三度目、最期に親父が、未熟極まりない僕を救ってくれた話。
※次話で最後になると思います。次話はこの手記を読んでくださっている方々に伝えたかったことをまとめたいと考えています。我が家のコロナ騒動で経験から感じたこと、これまで書ききれなかったことも含めて最後に述べたいと思っています。
※読んでくださっている方、いいね、感想をくださった方、本当にありがとうございます。無理にアクションはしないで大丈夫です。強いていえば、感じてくださったことを大切な方に伝えたり、大切な方を守るために役立ててもらえたら幸いです。
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