一度目、親父が僕を救ってくれた話

 2021年4月某日、ごくごく平凡な我が家に、アイツがやってきた。恐ろしく憎たらしい、アイツが。


 アイツがやってきた時、いや、厳密には、


「残念ながら陽性です。自宅待機してください。夕方には保健所から連絡が入ります」


 この医師からの宣告を受けた瞬間、アイツとの闘いの火蓋が切られた。


 ──まじか……隔離してもらわんと……。


 高齢の両親へ感染させたくない、僕の頭にはそれしかなかった。


 自分のことは後回しなんていうきれいごとではない。この数年、自分はいつ死んでもいいやと思いながら生きているくせに、老いていく両親には一日でも長く楽しく生きてほしいという自分勝手な思いがあった。


 ──とにかく隔離。たしかホテルやんな。何もっていこか……。


 そんな考えごとをしつつ、家にいる両親に連絡する。


 帰宅してすぐ、自宅の一室に閉じこもり、保健所からの連絡を待つ。


 検査を受けたのは午前中だったが午後になっても音沙汰がない。


 ──連絡、おそっ……何でやねん……。


 スマホでコロナ関連の情報、特に隔離してもらう場合の記事を閲覧しながら待つ。

 こちらから連絡したい衝動をぐっとこらえる。


 ──おそい……。


 16時55分。しびれを切らした僕は自ら保健所に連絡をする。


「すみません。本日新型コロナで陽性になった〇〇〇〇です。高齢の両親と同居しているので、隔離してもらいたいのですが」


「いま、順にかけていますから、かかってくるまでお待ちください」


 ──はぁ? もう業務終了の時間やろ?


 一瞬そう思ったけれど、保健所職員の背後でひっきりなしに鳴る電話音や他の職員の電話対応の声が耳に入ってくる。


 ──ガチで感染者、激増してんのか……。


 言いたいことをぐっとこらえて「わかりました」と電話を切る。


 僕自身は特に苦しくもなく、熱も37度台くらいまでだった。アセトアミノフェン含有量の多い常備の風邪薬は飲んでいたけれど、カロナールなどの強い解熱剤は飲まずにすんでいた。軽症にすら該当しない病状だ。


 ただただ両親にうつしたくない、その思いだけだった。


 保健所からの連絡がないまま日付が変わる。


 翌日、いつのまにか眠っていた僕に、部屋越しで父が声をかけてきた。


「お母さんも熱が出てきたから検査に行ってくるわ」


「わかった……ごめんな」


 ──あぁ……あかん。オカンらも陽性やったらマジであかん。ヤバい。


 焦りに恐怖が入り混じった、今まで経験したことのないもどかしさ。


 この日も保健所からの連絡を待ち続け、16:55頃にこちらからまた電話をする。


「申し訳ないです。今、順にかけているのですが、間に合っていない状況なんです。もう少しお待ちください」


 無慈悲な返答に落胆する。それでも、やはり電話口から聞こえる他の電話音や他の職員の声から、事態の深刻さが伝わってきた。しぶしぶ電話を切る。


 両親が帰宅してきた。


「お母さんが陽性、おれはセーフ」


 母の表情には悲壮感が漂っていた。父の言葉は意外に落ち着いていた。


 ──マジでごめん。ごめん。


 心の中で繰り返した記憶はあるが、それ以外の当時のことを思い出せない。


 後に複数の医療従事者の方々から聞いた話で、変異株の感染力の異様な高さや、感染から発症までのいわゆる潜伏期間に個人差があることから、我が家のケースでは誰が最初に感染したのかはわからないそうだ。まぁ何人にそう言われても、最初に発症して親にうつしたという自責の念はいまだに消えずにある。一生消えないと思う。


 保健所からの連絡がかかってきたのは、三日後の夜遅くだった。


「どこで感染したか、心当たりはありますか?」


 保健所の職員の最初のセリフ。正直、怒りを超えてあきれてしまった。


「あの、高齢の両親と同居だから、早く隔離をしてほしいとお願いしていたのですが、第一声がそれですか?」


 思わず口にしてしまう。僕が保健所職員に苦言を呈したのはこれが最初で最後だったのだけれど、今思い返しても申し訳なく思っている。保健所職員の方々は、医療従事者の方々と同じくらい、懸命に献身的にがんばってくれていたと感謝している。


 感謝の気持ちがより強くなったのは、数日後、体内酸素を計測するパルスオキシメーターや各種書類を届けに自宅へ訪問してくださった際に、防具を一切つけずに玄関内に入ってきたことだった。近所にコロナ感染のことが広まらないようにする配慮だった。


 すべての自治体が実行しているわけではなさそうだが、神戸市の保健所職員はそうしていた。ワクチンは打っているのだろうか? どんな気持ちでそこまでしてくれるのだろうか? いろいろと頭をよぎったが、とにかくその後の保健所の方々の献身には頭が下がる思いだった。


 ちなみに、我が家の感染経路について補足すると、僕と両親の三名ともに外食すらしていなかったので、感染経路は買い物先か、僕の仕事先のいずれかしかなかった。仕事先ではコロナどころか体調が悪かった人も、のちに悪くなった人もいなかった。無症状感染者からの感染かもしれないし、買い物先での感染かもしれない。とにかく、今でも感染経路は不明だ。


 外出時のマスク着用(僕はずっと二重マスク)、帰宅時の消毒、手洗い、湿度維持など一般的な予防はしてきていた。我が家の徹底の程度がどの程度なのかわからないけれど、少なくとも無頓着の方ではなかったと思う。


 実際、当時の神戸市内ではほどんどの感染者の感染経路を追えなくなっていて、保健所職員も感染経路がわからない感染者の激増に強い焦りがあったようだ。


「隔離を希望しますか?」


 僕が待ちに待った隔離の話だったが、このタイミングのこの問いの答えには正直困った。母と僕が陽性。父が陰性……。


 ──もう自宅で僕がオカンを守るしかないよな? 親父はどうする?


 父を別の場所に隔離してもらった方が良いかもと思ったが、隔離場所は陽性になった感染者の隔離場所だから、行くなら僕と母。万が一、父が陽性になり倒れたらどうする? かといって、父がこのまま陰性で切り抜けられる可能性もあるわけだし……。


「俺がふたりの世話をするから、もう隔離はいらんやろ」


 父の言葉だった。


 この言葉に甘えたことを、僕は後に死ぬほど後悔することになる。


 僕の実弟(大阪府内在住)がこの決断をした父に対して「親父も動かず安静にするように」と説得を試みたことも後から知った。だが、頑固な父は一度決めたら梃子でも動かない。むしろ、このとき、弟と父は少し電話で喧嘩になったそうだ(後日談)。


 僕は迷った末、保健所へ「隔離は不要」との返答をする。


 この日から、父はここ数年では見たことがないほど甲斐甲斐しく家事をしてくれた。


 これが父の死の原因のひとつになったことは否めない。


 父は長年愛飲してきた蜂由来の某健康食品に絶大な信頼をおいていて、どこかで「自分はそれのおかげで大丈夫」と過信していたことも事実だった。が、もうひとつ不運が重なった。


 父の姉の姻族(大阪府内在住)がひとり、この期間中に新型コロナで亡くなったのだ。


「あのな、〇〇さんがコロナで亡くなったって連絡があったから、お母さんのことを注意してみたってくれ」


 部屋越しに父の声。陽性同志の僕なら、母の部屋に躊躇なく入って容態の経過観察ができる。


「わかった」


 亡くなった方は遠い親戚だから、僕や母はもう何十年も会ったことのない方だった。しかし、父はそこそこ面識があった。だから、ショックが大きかったようだった。この件でいっそう母のことが心配になった父は、必要以上に無理をして動き回ってしまったのだ。


 コロナとの闘いの幕開け後、10日目にして僕と母は特に重症化することもなく、それどころか、巷でよく聞いたいわゆる「ただの風邪」レベルで待機期間を無事終えた。


 でも、僕と母は、父に命を救ってもらったといっても過言ではない。「ただの風邪」レベルで終えられたのは、陽性と宣告されてからほとんど動かなくて済んだからだ。


 新型コロナについては、「絶対安静にしておく」ことも助かるための重要な要素のひとつだと専門家が話していたり、記事で読んだりしてきた。我が家は、先に陽性になった僕と母が助かり、父だけが重症化して亡くなった。感染した順番や、陽性になった家族を一生懸命世話したことが皮肉にも父の重症化の原因のひとつになったのだ。


 コロナ感染者で治った方々の多くは、一部の有名人を除き、その事実を隠しがちだ。


 うちの親もそうだったが、差別が怖いのだ。


 これが治った方の声が世に出にくい理由のひとつだと分かった。


 新型コロナ、特に第四波の変異株は、感染力が異様に強い。一般的に言われている予防をしていても、買い物くらいしか出かけていなくても感染するリスクが相当高い。


 新型コロナに感染したことで差別する人間は、人種、性別、出身などで差別している人間と何ら変わらない。その結果、治った人からの情報が得られにくい原因にもなっているのだから、なおのこと最低な行為だ。


 ただでさえ、無事回復できた人の情報が少ないのに、家庭内感染した場合(特に家族間で陽性になる時期に時差がある場合)にどうすべきか、保健所がパンクしていたり、医療崩壊していたりした場合はどうすべきか、などについてはさらに情報が少ない。


 これが我が家で起こった新型コロナとの格闘の一部始終を世に出す理由のひとつだ。我が家のような悲惨なケースは少しでも減ってほしい。そう願っている。


 以上が、父が僕を救ってくれた一度目の顛末である。この後の話は次章以降にて述べるつもりだ。(※数話で完結します。)

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