№99・やり直しの鉱石・2

「…………??」


 暗殺者のくちびるから血が一筋こぼれる。咳をするとさらに大量の血が地面にぶちまけられた。


 よく見れば、暗殺者の背後には拷問師がいた。その手には、血で染まったナイフが握られている。


 急所を一撃で突いた拷問師は、にこにこと笑いながら倒れゆく暗殺者を見下ろした。


「……な、ぜ……?」


「すいませんね、僕にも事情というものがありまして」


 拷問師の軽薄な言葉を聞き終えるまでに、暗殺者の瞳からいのちの光が消え失せた。


 あまりにも唐突な、あまりにもあっけない幕切れに、拍子抜けした南野たちは目を見張ることしかできない。


 そんな南野たちを前にして、拷問師は真っ赤に染まった両手で肩をすくめて、


「言ったでしょう、僕は南野さんの味方だって」


「……そのようですね」


 この局面での裏切りとは、恐れ入った。やはりこの男、ただものではない。


 仲間を殺して忠義を示した拷問師は、ナイフを投げ捨て言った。


「これで、すべてが済んだら……お願いします」


「わかりました」


 契約を遂行しなければならない。約束をすると、拷問師はこの上なく晴れやかに笑った。


「僕は責任を果たしました。あとはあなたたちですよ」


 ほら、と取って置きの手品を見せるかのように、拷問師は街の様子へと南野たちの視線をうながした。


 あちこちで放たれた魔法のせいで、街は火の海だ。敵や一般人の屍の山が山積みになっていて、死屍累々とはこのことかと思う。


 仲間たちももういっぱいいっぱいで、傷つきながらも必死に戦い続けていた。


「もうやめて!!」


 爆風を受けながら、メルランスが叫ぶ。


「あたしが出ていけばいいんでしょ!?!?」


「いけません、メルランスさん!」


 制止する南野の手を振り切って、メルランスは困ったように笑った。


「……ごめん、こういうとき見て見ぬふりするような人間にはなりたくないの」


「メルランスさん!!」


 強く名前を呼ぶが、メルランスはすでに走り出している。


 すぐさまパーティ全員でそれを追いかけた。


「さあ早く! あたしはここだよ!!」


 敵の目を引き付けるように大声で告げると、まわりの黒いローブたちが道を開けた。そのまま広場まで突っ走る。


 噴水の広場はあのにぎやかさがウソのように荒れていた。まるでただの肉塊のように死体が積み重なっており、壊れた噴水には赤く染まった水が溜まっている。


 『ギロチン・オーケストラ』は早速メルランスの身柄を拘束した。広場にはすでに複雑な魔法陣が多数描かれており、術者が配置されている。


 その中央にメルランスをひざまずかせると、『禁呪』の儀式が始まった。


『――――、――――――――、―――――……』


 複雑な印を切り、聞いたことのない発音の呪文が唱えられる。見る間に足元の魔法陣が光り出し、形を変え、場所を変えながら魔法が構成されていった。


「今ならまだ……!」


 止めに入ろうとした南野を『緑の魔女』が制する。


「いかん! この時点で無理に中断させればとんでもないことになるぞ!」


 最悪、これよりひどい事態になりかねない。


 『緑の魔女』の言葉に二の足を踏んだ南野は、ただ黙って『禁呪』が完成するのを見守ることしかできなかった。


 やがて長い長い呪文の末、すべての魔法陣が寄り集まり、メルランスを中心としたひとつの大きな魔法陣となる。


『――――、―――、―――――!!』


 ついに呪文の結句が叫ばれた。足元の魔法陣がひときわ赤く輝き、メルランスを包み込む。


 『禁呪』は成った。今ここに、『終末の赤子』が顕現する。


 にわかに空が赤く染まり、雲が渦巻いた。


 ふわり、とメルランスのからだがその空へ吸い込まれるように浮かんでいく。


「メルランスさん!!」


「南野!!」


 名前を呼び合い手を繋ぎ止めようと伸ばすが、あと一歩で届かなかった。


 空の遥か彼方へと吸い上げられていったメルランスのからだが、急にぼこぼこと形を変えていく。


 いや、形だけではない。急速に質量を増している。


 やがて赤い空いっぱいに広がった肉のかたまりは、メルランスとは似ても似つかない形を取り始めた。


 空を覆い尽くしているのは……眼球?


 魔法陣から伸びている太い肉の管はへその緒だろうか?


 南野たちにはそれしか認識できなかった。理解が追いつかない。


 眼球だけで街ひとつ分はあるだろう。それほどに巨大な赤ちゃんが、空に浮いていた。


 これが『終末の赤子』、か……! 


 こんなものを野放しにしていたら、この世界の柱である魔界などすぐに壊されてしまうだろう。そうなれば、世界は崩壊する。


 あまりに想像の埒外すぎる大きさに目を見開き震えることしかできなかった。それは仲間全員同じことで、空を見上げ、ただ絶句していた。


 空に浮かぶ眼球がまばたきをするだけで風が巻き起こる。


 そして……


 世界中に衝撃波が降り注いだ。


 それが赤子の泣き声だと判別するのには、かなりの時間を要した。


 音は衝撃となって大陸全土を駆け巡り、街の建物は軒並み吹き飛ばされた。


 南野たちや黒いローブたちも例外ではなく、トラックにぶつかられたような勢いで空を裂き、宙を舞う。


 声を上げることもできずに街の外まで飛ばされた南野は、乱暴に地面にたたきつけられた。肺を打って一時呼吸が止まる。あちこちの骨が折れ、内臓もひとつふたつやられたらしく、からだじゅうが痛い。


 遠くから更地になった街を眺めて、南野はそれでも魔法陣のある広場まで戻ろうと足を引きずって走った。他の仲間たちも同じだろう。早く集まらないと。


 しかし、とてもじゃないがこんなものを相手にはしていられない。瞳だけで街ひとつ分あるのだ、全容など計り知れない威容だった。マトモに立ち向かってどうこうできる相手ではなかった。


 なにか策を……! 打つ手はないのか……!?


 必死に自問する南野だったが、なにも思いつかなかった。


「……畜生!!」


 悪態をつきながら己の無力さに自己嫌悪する。


 とにかく、今は走らなければならない。からだが引きちぎれても、だ。


 再びあの広場にたどり着くべく、巨大な赤い眼球を見上げながら、南野はひた走った。

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