№97・精霊王の名簿・5

「なぜメルランスさんが鍵として重要なんですか?」


 触れにくい話題におそるおそる言及すると、『緑の魔女』は老婆のようなため息をついて、


「神界から『終末の赤子』を召喚して受肉させるには器が必要じゃ。たましいのない肉の器がな。それがホムンクルスであるメルランスじゃ。だからこそ、この子は鍵として狙われているのじゃ」


 なるほど。架空世界の存在である『終末の赤子』を顕現させるためには、器としてのホムンクルスが必須になるわけか。


 ということは、メルランスを奪われれば世界が終わるということになる。


 より詳しい話を聞こうとした、そのときだった。


「……だから、あたしを作ったの?」


 今まで空っぽの笑顔を浮かべていたメルランスが、す、と真顔に戻って問いかける。『緑の魔女』は苦しげに顔を歪め否定しようとした。


「メルランス、それは違う。妾は……」


「聞きたくない!!」


 今までの静けさがウソだったようにメルランスは慟哭した。椅子を蹴って立ち上がり、うつむいて拳を震わせている。


「あたしはどうせ、人間じゃないんでしょ!?!? 空っぽの作り物なんでしょ!?!? どうせ『禁呪』のためにあたしを作って、邪魔になったから捨てたんでしょ!?!?」


「メルランスさん、落ち着いてください!」


 南野が制してもその言葉は届かなかった。


 メルランスは自嘲の笑みを吐き、


「そりゃそうだよね、ただの肉の器だもん!! こんな気味悪いもんさっさと捨てるに限るよね!! 生ゴミみたいにさ!!」


「メルランス!!」


 その言葉を聞いた途端、『緑の魔女』が手を振り上げた。


 ばちん、と音がして、その手がメルランスの頬を打つ。強いちからでひっぱたかれたメルランスは、しばらくの間呆然としていた。


 『緑の魔女』は目に涙をため、くちびるをわななかせている。あふれかえる感情を制御しきれていない様子だった。


 やがて、うつろだったメルランスの瞳にかなしみが宿り、ぶたれた頬を滴がひと筋伝った。彼女はそのままその場から駆け出すと、二階の自室へと向かう。


 がちゃん、と鍵がかかる音がした。その音はメルランスのこころが閉ざされた音だ。


「……妾は、妾は……!」


「あなたもどうぞ、落ち着いて」


 言葉にできない感情でいっぱいいっぱいになっている『緑の魔女』をなだめ、椅子に座らせると、南野はその緑の瞳を見詰めて言った。


「とにかく、今はこの結界の内側にいてください。いくら『禁呪』はすでに奪われたと言っても、あなたが連中にとってのVIPであることに変わりはない」


「……わかった」


「事情はよくわかりませんが、メルランスさんは大切な仲間です。ホムンクルスにたましいがあるのかどうかは俺には理解できませんが、少なくともこころはあると俺は信じています。そのこころは今、深く傷ついている。それを治さなければいけない」


 時間薬、などという悠長なものに頼ってはいられなかった。『緑の魔女』の言葉が逆効果である今、届くとしたら仲間である南野たちの言葉だ。


 大切なひとが傷ついている。


 そんなときに、なにもできない人間にはなりたくなかった。


 南野の中にあるのはそれだけだ。


「……すまんの」


 すっかりやつれた様子の『緑の魔女』がぽつりとこぼす。


 この結界が破られるまでは、この酒場に留まってもらおう。連中はメルランスを確保し次第、すぐにでも『禁呪』を発動させる。そうなってしまえば世界はおしまいだ。


 世界を守る。


 そして、仲間も守る。


 限りなく重たいものを双肩に背負った南野は、それでも決意の光を瞳に宿して、強くうなずいた。

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