№97・精霊王の名簿・4
南野がひとりで考え込んでいると、その場に捨て置かれた『緑の魔女』がぽつりとこぼした。
「……お主らも、妾の『真名』は聞いたな?」
「は、はぁ、お聞きましたが……」
こんなときになにを、と南野が戸惑いながら答えると、『緑の魔女』は石膏像のような顔をしたまま告げた。
「ならば、妾の魔法を使うがいい。やり方は教えてやろう」
「あなたの魔法を……?」
たしかに、理屈で言えば『緑の魔女』の『真名』を聞いた南野たちにも彼女の魔法を行使する権限はできた。しかし、教えられてすぐできるものなのか?
「そこの小娘! 妾の魔法を使え! 妾のマネをするのじゃ!」
「え? え? 私??」
必死に障壁を張り巡らせていたキーシャが、突然水を向けられて狼狽している。
それでも『緑の魔女』が切る印をマネて、発音することさえ難しい未知の言語で呪文を紡いでいく。聞いていて不安になるような奇妙な呪文が重なり、複雑な印を次々切っていった。
そして、呪文の結句を叫ぶと、足元にいびつに歪んだ魔法陣がいくつも浮かび上がる。生物のように動き回る魔法陣は、くっついたり離れたりしながら魔法を構成した。
キーシャの右目に、そして右の人差し指に魔法陣と同じ光がともる。彼女はなにものかに憑りつかれたように静かに言葉を放った。
「『よく聞け、お前たち』」
ディストーションがかかったような声音だった。黒いローブたちが一斉に彼女の方に視線を向ける。そうすると、キーシャは次の言葉を口にした。
「『果たして、お前たちは本当にここに存在しているのか?』」
まばたきをする間もなかった。
まるで最初からなにもなかったかのように、黒いローブたちが全員消失してしまった。存在していた痕跡すら残っていない。
ばさり、『精霊王の名簿』だけがその場に落ち、辺りには虫の声だけが満ちていた。
今までいのちがけで戦っていた面々はつい拍子抜けして、ぽかんとした顔で得物をぶら下げている。魔法を行使したキーシャ本人も元に戻り、自分がしたことを理解しきれず呆けた顔をしている。
「言霊であの連中の『存在する確率』を変動させて消滅させた。これも禁呪といえば禁呪で、できれば使わせたくなかったのじゃが……」
『緑の魔女』はそう言うが、ああでもしなければジリ貧だっただろう。ひとまずは助かった。
ほっとする間もなく、南野は全員に告げる。
「みなさん、ここへ来たものたちが消えたことは他の連中にもすぐに知れるでしょう。すぐにでも第二波が来ます」
「早く逃げるが先決じゃな。本当は『禁呪』に関する資料をすべて始末してから去りたいところじゃが、そうしている時間も惜しかろう。『禁呪』の行使の方法は連中に知れるだろうが、仕方がない。妾も結界の外に出る」
『緑の魔女』が立ち上がり、呆けていたメンバーも徐々に正気に戻って得物を収め、森から脱出しようと準備を始める。
「……メルランスさん……」
壊れた笑みを浮かべ続けているメルランスに声をかけてみても、やはり反応がない。
南野はこころを閉ざした彼女を担いで、『緑の魔女』と共に森を抜けることにした。
もうすぐ夜が明ける。長かった戦いも一旦は休息となるだろう。
仲間たちと森を歩きながら、南野はメルランスのこころの傷だけを案じていた。
南野たちは『精霊王の名簿』を回収し、無事もとの酒場まで『緑の魔女』を連れて脱出することに成功した。
内心ほっとしながら、見慣れた光景でようやくくつろぐ面々。
『緑の魔女』は到着するや否や早速酒場に結界を張った。一時間ほどして結界が完成する。酒場の店主には悪いが、これで当分は誰もここへたどり着けないだろう。
飲み物を飲んだりして一息ついたあと、南野は改めて『緑の魔女』に向き直り、
「話してもらいますよ、全部」
いやだと言わせない口ぶりで『緑の魔女』に詰め寄った。
ここまで来たら何も知らないではいられない。
『緑の魔女』も同じ思いらしく、ひとつだけ深いため息をついてからゆっくりと口を開いた。
「……『終末の赤子』とは、創生神ファルマントが世界を壊すために産み落とそうとした超巨大生物のことじゃ。バハムートの比ではない神話級の、それこそ世界を覆い尽くすほどのな」
世界を覆い尽くす……そんな巨大なものを生物と呼んでいいのだろうか。もはや神話の中の話だった。これなら『ギロチン・オーケストラ』が魔界という世界を支える魚を殺すために利用しようとしたのもうなずける。
「しかし、ファルマントはわずかな希望をこの世界に感じ、壊すことを思いとどまって『終末の赤子』は生まれなかった。その生まれなかった赤子を召喚するための魔法が、『禁呪』じゃ」
「それじゃあ、俺がこの世界に送り込まれた理由は……?」
南野の言葉に、『緑の魔女』はうなずいた。
「『終末の赤子』を召喚するには、儀式とそれに見合ったアイテムが必要じゃ。お主が『赤の魔女』に呼び寄せられたのは、『オーバーシンクロ』という不確定要素に目をつけられたからじゃよ」
ここへ来たころは『単なる気まぐれ』と彼女は言っていたが、それは嘘だったのか。
今更それをなじる気はないが、ようやく得心がいった。
「くじ引きのような感覚で、『禁呪』を完成させる可能性のある、または防ぐためのレアアイテムを回収させ、そこに『ギロチン・オーケストラ』をぶつけるという余興じゃ。趣味が悪い話じゃが、妾はその賭けに乗った。お主らに賭けて、連中が『終末の赤子』を顕現させるのを止めようとしたのじゃ」
まったくもって迷惑な話だった。あの女は世界の滅亡を含むすべてをエンターテインメントとして楽しんでいる。今もきっと見て楽しんでいるのだろう。南野たちが右往左往している様を。
「妾にできることは隠れていることだけじゃった。しかし、今となってはそれも叶わぬ。結界が再び破られるより先になんとかせねばな……」
『ギロチン・オーケストラ』はおそらくすでに『禁呪』に関する資料を手に入れているだろう。そして、すぐにでもここを嗅ぎつける。一度は破った結界、二度目はより早く破られてしまうに違いない。
『禁呪』が奪われた今、残されている切り札は『禁呪』の鍵……メルランスだけだった。
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