№74・母神のミルク・中

 奇妙な感覚のあと目を開けると、そこはいつもの酒場だった。


「いやぁ、今回はらく」


「試そう試そう!! 早く早く!!」


 南野が言い切らない内に騒ぎ立てるメルランス。メアに大きい牛乳瓶を厨房の氷室に置いてきてもらって、全員がそろったところでテーブルの上に置いた一本の牛乳瓶を全員で取り囲む。


 しばらくの間、じれったい沈黙。それから口火を切ったのはキリトだった。


「これを試すのは……もちろん女、詐欺レーズンパンの貴様だな!」


「だれが詐欺レーズンパンだ!!」


 ぱぁん!と軽快な音を立てて頭をはたかれるキリト。


 しかし、口には出さないが全員が同じ意見らしく、反対する声はどこからも上がらない。メルランスはそわそわもじもじしつつ、


「ま、まあ? あたしに試してほしいんなら? 試すけど?」


 見るからに挙動不審だ。そんなメルランスに全員から生ぬるい視線が集まる。


「では、お願いします、メルランスさん」


 南野が牛乳瓶をメルランスに手渡すと、彼女はごくりと生唾を飲み込んだ。


 紙蓋を開け、真っ白な水面を神妙な面持ちでじっと見つめる。それから、えいや!と一気に飲み干してしまった。


 空の牛乳瓶をテーブルに置いて、大きなため息をつくメルランス。


「……どうですか?」


「……なんか、からだがむずむずし……」


 言い切らない内に、メルランスのからだに変化が起こった。


 見る間に胸と尻が膨らんでいき、ブラウスの胸ボタンが弾け飛んでショートパンツの尻がぱつぱつになる。


 最終的には見事なボンキュッボンへと変貌を遂げた。不二子ちゃんもかくやといわんばかりだ。


「おおおおおおおおおお!!」


 男性陣よりも本人が一番盛り上がっている。どどんと突き出した胸を見下ろし、尻を撫で、目を輝かせながらメルランスのテンションは最高潮に達していた。


「すごい!! すごくない!?!? あたしすごいセクシーじゃない!?!?」


 あまりのハイテンションに若干引きつつ、面々はこくこくとうなずいた。


 唯一無二にして最大の弱点である詐欺レーズンパンを克服したメルランスは、もはや無敵だった。謎の万能感に頬を染めながら、


「あー、どうしよ、ずっとこのままだったら男が寄ってきて仕方ないじゃんー」


 まったく困っていなさそうな声音で言う。ものすごい乗り気だ。


「と、とりあえず服を新調しないといけませんね」


「し、下着も私といっしょに見に行きましょう!」


 舞い上がるメルランスを落ち着かせようと、南野とキーシャが提案する。


「そうだね! せっかくだから、あたしの魅力を思いっきり引き出せる服着なきゃ! お金に糸目はつけないよ!」


 珍しく財布のひもまでゆるゆるになって、俄然やる気になっているメルランス。


 また変なことにならないといいけど……と、南野はこっそりとため息をついた。


 


 とりあえず胸にはサラシを巻いておいて、一行はまず下着から買い求めることにした。まさか男性陣が下着屋に入るわけにもいかないので、南野とキリト、それからサイズがジュニアのメアは外で待たされた。


 店内にはラグジュアリーなレースや刺繍のランジェリーが並び、内装も王宮風にして凝っている。


「あーん、困ったなぁ、サイズがないやー」


 またしても全然困っていなさそうな声を上げるメルランス。以前は逆の意味でサイズがなかったのだが、このセリフをぜひとも一度声高に言ってみたかったのだ。


「私の場合はギリサイズあるんですけど、今のメルランスさんだとなかなかないですねー」


「まあ、キーシャはGカップだからね!」


 今のうちにとマウントを取っても、相手がキーシャなのでなんの意味もない。


「そうなんですよー。たまに見つけてもデザインがかわいくなかったり、胸が目立つ作りだったり……ああ、私もカワイイ下着、つけてみたかったです」


 逆に天然マウントを取られた。ぐぬぬ、と奥歯を噛みしめるメルランスだったが、今は自分の方が胸はある。


「あ、案外重いんだね、胸って! ああ、肩凝ってきたー」


「重いですよねー。走ると邪魔になるし、お洋服だってサイズないんですよ」


「……このド天然が……!」


「え? なにか言いました?」


「べ、べっつにぃ!?」


 巨乳あるあるを語るキーシャはさすがにホンモノだった。にわかのメルランスでは太刀打ちできない。


「あ、これなんてどうですか? バストサポート機能つきで、デザインも悪くはないと思うんです!」


 と、キーシャが差し出してきたのは、花の刺繍が施してある巨大なブラジャーだった。見たこともない大きさにおののいたメルランスは、おそるおそるそれを指さして、


「…………これ、帽子かなにか…………?」


「やだなぁ、ブラジャーですよ! ほら、メルランスさん、試着してみてください!」


 いまだかつてないサイズのブラジャーを持って、メルランスは試着室へと押しやられた。


 服を脱いで、鏡に映った自分の裸体を見詰める。


 完璧だ。パーフェクトだ。ほれぼれする。あこがれだったセクシーダイナマイトバディを手に入れて、メルランスは鏡の前であれこれセクシーなポーズをしてみた。


 幕の外でキーシャがまだですかー?と聞いてきて、ようやく我に返る。急いで胸をブラジャーに収め、意見を聞くために下着姿でキーシャを試着室に招き入れた。


「わぁ、素敵! いいじゃないですかそれ! シルエットがすごくきれい!」


「そ、そう?」


「苦しかったり肌に引っかかったりしませんか?」


「……そういえば、すんごい息苦しい……」


「仕方ないですよ、そういうものですから」


 キーシャと相談して、そのままそのブラジャーとセットのショーツ、ガーターをお買い上げすることになった。下着にしてはかなりの金額を払うことになって、メルランスは巨乳のコスパの悪さを初めて知った。


「お待たせー!」


 買ったばかりの下着をつけて、メルランスが外の南野たちのもとに戻ってくる。


「まったく、女の買い物と来たら……おお!?」


「メルランス……まるで別人みたいじゃ!」


 下着を変えただけで見る目がまったく違った。キリトは完全に胸に目が釘付けになり、メアは自分のジュニアサイズをしょんぼり見下ろしている。


「じゃあ、次は服ですね」


 南野はそう言って、早速服屋を目指そうとする。


「ちょっと待ったぁぁぁぁ!!」


「……なんですか?」


 待ったをかけたメルランスに、不思議そうな顔をする南野。


「あんたは感想とかなんかないの!?」


「いや、サラシが解けてよかったなぁとしか……」


「他!」


「早く服を買いに行かないと、服の隙間から下着が見えますよ?」


 ささっと片付けて、南野は改めて服屋を目指した。ものすごく不機嫌そうな顔でその後ろ姿を追いかけるメルランス。たしかに走るのには邪魔だ。他のメンバーもそれに続いた。


 市場に着くと、主に女性陣があれやこれやと見繕って、メルランスは新しい服を手に入れた。これもサイズがないやら金がかかるやらで難儀したが。


「じゃじゃーん!」


 すっかり機嫌を直して待っていた南野たちの前に現れたのは、胸元と太ももが大胆に露出した、ボディラインを強調するような魔女のローブだった。いつものベレー帽を取り髪を下ろし、足元までロングブーツでそろえている。


 まったくの別人二十八号だった。


「メルランスさん、素敵です!」


「カワイイ路線も迷うたが、今回はキレイめ路線で固めてみたけん」


「おおおおおおおおお!! 女、貴様本当にあの詐欺レーズンパンの跳ねっ返り女か!?!? 見違えたぞ!!」


 キリトが大興奮している。が、それは完全に無視して、メルランスは南野の反応を期待を込めた眼差しで待った。


 南野は目をぱちぱちさせながら、


「本当に、別人みたいですね。特殊メイクしなくても充分ですよこれ。ブーツのヒール高いですね、背が高くなった」


 単純に驚いて、的外れな感想しか言わない。


「……他になんかないの?」


 ジト目でメルランスが問いかけると、南野は首を傾げ、


「……うん、似合ってますよ」


 なんか違う。メルランスはそう思ってしまった。そういう薄っぺらい言葉は要らないのだ。もっとこう、たましいを震わせるような感想が欲しかったのだ。


「……まっ、いいけど! ちょっとこの服で散歩しよ?」


「いいですね! 私も教会学校のローブじゃない私服欲しいですし!」


「ワシも新作のお洋服見たか!」


「ふん、こんな女を連れて歩くのも悪くはないか……」


「メルランスさん、ヒール高いんですから、転ばないように注意してくださいね」


「わかってる!」


 朴念仁から、ふん!と顔を背け、メルランスはヒールの音も高らかにからだをくねらせながら通りを歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る