№74・母神のミルク・上

「『母神のミルク』……『母なる女神の乳。これを飲んだものは母性に満たされ豊満な肉体を手に入れることができる』、だそうです」


 いつものように『レアアイテム図鑑』の内容を読み上げた南野だったが、いつもとは違うことが起こった。


 がたっ!と音がした方を見ると、メルランスが椅子を蹴って立ち上がっている。普段なら、あー今回もラクだといいなー、などと言いながらブランチをつついて昼間からエールを煽っているのに、今回はただならぬ気配だった。


 目を血走らせ、ごくり、と唾を飲むメルランスは、ブランチもそっちのけでレアアイテム図鑑を穴が開くほど見つめた。


「……どうしたんですか?」


 不思議そうに南野が尋ねると、メルランスは急に慌てだして、


「べべべべ、別に!?!?」


 南野はそうですかと納得したが、他のメンバーは訳知り顔でうなずいている。


 メルランスの唯一の弱点、それは胸の詐欺レーズンパンだ。特に意中の南野がパーティにいるのだから、コンプレックスはさらに加速する。


 豊満な肉体とやらを手に入れることができたら、その悩みも解消されるだろう。南野もなびいてくれるかもしれない。フクザツなオトメゴコロというやつだ。


 きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回しているメルランスを怪訝そうな顔で見やり、南野はテーブルに『レアアイテム図鑑』を開いて置いた。


「なにはともかく、行ってみましょう。例によって行き当たりばったりですが」


「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁ行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 ばん!と『レアアイテム図鑑』に手を置き咆哮するメルランス。他のものもそれに倣って手を置き、目を閉じる。


 短い転移の感覚のあと、目を開けるとそこは青々とした牧草が茂る牧場らしきところだった。その辺に何頭か牛や羊が放牧されており、牧羊犬が眠そうに頭を掻いている。


「ここにあるんですね、『母神のミルク』」


「ころしてでもうばいとる!!」


「め、メルランスさん、落ち着いてください! 気持ちはわかりますけど!」


「あんたにわかってもらってもみじめになるだけだからね!」


 止めるキーシャにコンプレックスを炸裂させるメルランス。キーシャは青い顔をして手を引いた。


「おんやまぁ! あんたら、こんなとこになにしに来ただか?」


 声のした方を振り返ると、そこにはオーバーオールに牧草用のフォークを担いでいるごま塩頭の老人の姿があった。どうやらこの牧場の経営者らしい。


「突然失礼しました。ご挨拶もなく上がり込んでしまって……」


「そんなことは気にすんな、なにか用さあってここさ来たんだろ?」


 とりあえずめんどくさい相手でなくてよかった。南野は早速交渉に移る。


「わたくしども、各地の珍品を集める旅をしておりまして、実はここに『母神のミルク』なるものがあると聞き及びました。よろしければ少し譲っていただきたいのですが……」


「おお、アレか!」


 ぽん、と手を打つ老人。こころあたりがあるらしい。


「今うちからここさ持ってきてやっから、待っとれ」


 そう言うと、のんびりとした足取りで向こうにある家の方へと歩き出した。


 しばらく牛を眺めて待っていると、老人が帰ってくる。手には牛乳瓶が二本握られていた。


「これだぁ。牛にこれさやっと、乳の出が良くなっぺさ」


「やっぱり、お乳大きくなるんですか!?!?」


 メルランスが鬼のような食いつきを見せた。老人はあまりの勢いにドン引きしながら、


「お、おう……うめぇ乳さ出てくるようになっぺ」


「あの、良ければその二本、譲っていただけませんでしょうか?」


 メアがメルランスを落ち着けている間に、南野が頼み込む。


 老人は笑って二本の瓶を南野に手渡し、


「まんだまんだたぁんと残っとる、いいっぺさ、もっでげ」


「ありがとうございます!」


 瓶を譲り受けながら深々と頭を下げる南野。老人はまた別の大きな瓶を取り出して、


「これももっでげ。うちの牛から取れた牛乳だっぺさ。うんめぇから飲んで、街で宣伝してけろ」


「はい、ぜひとも!」


 『母神のミルク』の代償にしてみれば安いものだ。重たい瓶を両腕で抱え、またしても南野はこうべを垂れた。


「ねぇ!? 早く帰って試してみよ!?」


 鼻息荒く迫るメルランスに気おされて、南野は一歩退いた。


「それは試しますけど……とりあえず、この大きな瓶を置いてからで」


「じゃあ転移しよ!! 早く!!」


「せかさないでくださいよ。落として割ってしまったらどうするんですか」


「それだけはダメ!!」


 鬼気迫る勢いだ。大きな瓶をメアに渡して持ってもらって、南野は一本の瓶を『道具箱』へ、もう一本は片手に持ったまま『レアアイテム図鑑』を開いた。


 全員で手を乗せ、目を閉じる。

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