1-3 絶頂・快楽

 青肌の後ろについてきた方は、弓を構えて矢を番えた。その先を彼に向けて、いつでも撃てる体勢だ。


「ああ、撃たないで」


 片手に死んだイノシシを掴んだまま、両手を上げて、敵意がないことを伝える。それなりに話を聞いてくれる魔物だったのか、青肌たちはそれぞれ武器の先を少しだけ地面の方に降ろした。それでも警戒を解くことはない。


「私は人間だが、人間が嫌いなんですよ。この戦争でも魔物に勝ってほしいくらいにはね」


 口から出まかせ。戦争の実態すら知らないが、こいつらにはこれくらいでも通じるだろう。その警戒心の無さから、彼はそう思った。そして、殺そうと思えば殺せる相手だとも思った。


「そして、誰が言ったのか、私のその考えがばれてしまってね。人間に追われているんだ。この森はどちらに行ったらいいのか、それだけでも教えてはくれませんか」


 人が警戒心を解きそうな、人の良さそうな笑みを作って青肌の二人に乞う。二人は互いの顔を見合わせ、一つ頷くと剣を納め、弓を下げた。


「案内くらいはしてやれるが、シバイラルには入れないぞ」


「ああ、それで十分ですよ。ありがとうございます」




 そうして、青肌二人の後をくっついていって、ようやく森を抜けた。


「すまないが、ここまでだ。街の方に来ちまったら、殺されかねないからな」


「ええ、そういう約束でしたから。お礼と言っては何ですが、これをどうぞ」


 ずっと持っていたイノシシを彼らに渡す。彼らはその異様な死に方をしているイノシシを訝しげに見ていた。


「ずっと思ってたが、これ、あんたがやったのか」


「いえ、死んでいたのを見つけたのです。食料の足しにでもしようと思っていたのですが、案内してくれたお礼ですよ。受け取ってくださいますか」


 二人は少しの間考えていたようだが、やがて片方が頷いて、彼の手からイノシシを受け取った。


「ありがとよ。また会えたらいいな」


「じゃあ」


 二人はそろって、彼に背を向けた。無警戒に。目の前にいたそれが、見た目だけが人間のそれが、既に我慢の限界であったことにも気が付かない。ずっと彼に注目していたなら気が付いたはずだ。口角が上がっていき、微笑みに狂気が混じり始めていたのを。息が切れている理由が、運動しているからではないことを。何より、彼の発するそれに殺意が混じり始めていたのを。


 彼の動きは素早い。音もなく、青肌の背後に寄り、革製の鞘に入れていたナイフを奪う。青肌が違和感に気が付いた。それはナイフのことではない。視界が勝手にぐらつくのだ。やがて、視界が傾き、地面が近づいてくる。その途中で意識が途切れた。横を歩いていたもう一方の青肌は異変に気が付いてすぐに弓を取って、矢を番えようとした。しかし、肩にかけていたはずの矢筒がない。視線を矢筒があった場所へと向けてしまった。その瞬間、視界が真っ赤に染まった。顔に激痛が走る。何か声に出していたかもしれないが、その音を認識できない。耳が熱い。首筋にほんの少しの痛みが生じた。瞬間、意識がぶつりと途切れた。


 そこには無残な死体が転がっていた。片方は首が切断されて、地面に割れた頭部が放置されており、もう片方は顔面に矢を突き刺されて、首筋から血を垂れ流している。


「あっ、あっ、あっ、あっ、いいっ! いいっ! いいいぃぃぃっ!」


 叫び、体を大きく振るわせる。全身で快楽を享受する。脳が快楽物質で埋め尽くされ、絶頂する。頭が真っ白で、何も考えられない。


 そして、一際大きく震えたかと思えば、彼はその場に膝をついて、脱力し、そのまま胴体を地面に倒した。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 恍惚とした表情で、快楽の余韻を楽しむ。思考能力が戻り始める。ゆっくりと立ち上がり、辺りを見回す。死体が二つ転がっているだけで、他には何もなかった。


「これはもらっていきますね。あと、イノシシは食べますので返してもらいますよ」


 そう言って、彼はナイフとその鞘、渡したイノシシを優しい手つきで我が物とした。


 前の世界では、絶頂していても大声を上げることはできなかった。大声をあげてしまえば、誰かにばれてしまうのだ。だから、死刑になる前に親を殺して、人生最大の快楽を得てしまい、叫んでしまったのだ。しかし、この世界ではそういうのもないだろう。街中で殺せば騒ぎになるかもしれないが、こんな場所で殺しても何にもならない。生物の気配すらないのだ。外でも絶頂を我慢しなくていいのだ。素晴らしい、素晴らしい世界だ。


 彼はまるで自身が神に祝福されているかのように両手を天に向けて開き、今の快楽を思い出し、次の快楽に想いを馳せる。


「しかし、人型とは言え人間ではないと思ってしまっているせいか、前の世界での殺人より気持ちいいわけではないですね。どうせなら人間も殺してみたいものです」


 彼は祝福のポーズを崩さないまま、天罰を受けそうなことを呟いていた。そして、閃く。


「戦争の終わりは停戦協定である必要はない。と言うことは、神聖大王国の王を殺せば魔物の勝利で、あの男性の依頼を達成できます」


 ぶつぶつと呟き、最後に、王を殺せる、本当に小さな声で呟いた。その瞬間、彼の体が大きく震える。


「王を、王様をっ、ころ、殺せるっ。ああ、素晴らしい! 想像しただけでっ、イケ、そうっ。ふぅ、いやいや、どうせなら想像で、と言うのは我慢して、本番で思い切りと言う方がいい」


 彼は口角が歪み、歪な快楽を得たものの笑みであることに気が付かない。既に、軽く絶頂している自分に気が付かない。異世界で初めて殺した化け物は、大きな快楽に寄り、少しの快楽を認識できなくなってしまっていた。パーカーのフードを目深にかぶる。歪んだ口元だけがそのフードから覗いていた。



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