2 自殺者の召喚

2-1 親不孝の自殺者

 その日は雷雨だった。それほどひどい雨ではなかったが、雨雲が光ると、大きな音がなっていた。それはまるで祝福だった。


――今日という日に死ねることに、感謝を。


 下を見れば、地面は遠い。十階建てのビルの屋上を囲う柵の外。雨が肌を伝って、指先から落ちていく。


「さようなら」


 空中に飛び出す。もちろん、私の体に羽はない。このまま、重力に引かれて地面に着けば、体が割れて死ぬ。そこに怖さはない。全てがスローモーションに感じる。私と共に落ちる雨がゆったりと落ちていく。空が遠くなっていく。体から力が抜ける。


 後頭部に衝撃があり、地面に敷かれた水が跳ねる光景が、私が見た最後の光景になった。




 目が開けられた。死んだはずの私が目を開けることはないはずだった。だけど、目を開けられてしまった。辺りを見回せば、それに合わせて自分の黒髪が揺れるのが視界の端に見える。その場所は白い通路であった。通路には装飾のない柱が等間隔で並べられており、その通路の先には大きな椅子があった。その前に誰かが立っているのも確認できた。


「審判の間、なんて」


 とあるゲームで見た場所だ。色こそ白だが、この場所の雰囲気はその場所に似ている気がした。とりあえず、大きな椅子の方へを移動するしかないだろう。それとは反対方向に行ってもいいが、際限なく廊下が続いていそうだ。


 大きな椅子の前にいたのは若々しい男性だった。近づく度に、足が動かなくなっていく。これは恐怖だと理解するのに時間がかかった。


「貴様は、罪を犯した親不孝者だ。命を全うせず、自ら総てを捨てた」


 男の声が聞こえると、体が勝手に片膝を突く。この相手に逆らってはいけない。機嫌を損ねてはいけない。一言一句聞き逃してはならない。


「貴様の罪は怠惰であったことだ。その罪を浄化するのには長時間の苦痛か伴う。そして、貴様にはそれらを軽減する権利がある」


 ゆっくりと頷くしかない。意見も反抗もできない。声を出そうとも思えない。


「救済の条件はある世界の問題を解決することだ。具体的には二国間の戦争を終わらせること」


 戦争の終結。そうして、徳を積めと言うことだろうか。


「これから貴様が行く世界には魔法と超能力と言うものが存在している。魔法に関してはそのエネルギーである魔気がなくなれば使用できなくなる」


 私は、その目の前の男からその世界のことを教えてもらった。そして、彼が目の前から一瞬にして、消えた後ようやく動けるようになる。手足をぶらぶらとほぐしてから、その椅子の横を取ってその廊下を進んでいく。



次に目が覚めた場所は草原だった。視界には背の低い草が顔に当たって痒みがあった。すぐに体を起こして、顔を擦る。手に汚れはついていなかったが、顔が汚れていないことを願うばかりだ。


「実感は沸かないけど、多分、異世界召喚だよね。これ」


 元の世界では一つのジャンルとして、扱われるほどまでに成長を見せた物語群。最初こそ、毛嫌いして全く手を出さなかったジャンルだったが、一度有名どころを見てドはまりしたジャンルだ。それが自分に起こるとは思わなかった。


 自分の身なりを確認すると、自殺時に来ていた服を着ていた。暗めの黄色のカーディガンで中は、白のティーシャツ。下はカーキのロングスカートだ。特に持ち物はない。スマホも財布も自殺には必要なかった。


 自分の状態をある程度確認できたが、これからどうしよう。とりあえず、あの男性の話によれば、魔物と人間の戦争と言っていたので、終わらせるにしても人間の神聖大王国に味方しようとは考えている。それにしても、大層な名前の国だ。神聖大王国。魔物の国、シバイラルについてはどういう意味があるのかもわからない。魔物の言語なのかもしれない。脱線した思考をしつつ、辺りを見回すが人の気配は一切ない。


 そういえば、と魔法と超能力があるのを思い出した。魔法は想像力がものを言い、超能力はイメージすれば理解できるとか。なんとも異世界ものにありそうな設定だ。まぁ、私にとっては設定ではなく、それが現実なのが笑えない。


 魔法は火、水、風、大地の四属性からなる。しかし、その魔法でできることはかなり限られているようだ。実際、身体強化や物の出現などは試してみたが、できなかった。また、出火をするのを想像して魔法を使ってみたが、草には燃え移らなかった。魔法は物理的に干渉しないのかもしれない。つまり、盾を使用しても魔法を防げない可能性がある、と言うことだ。


 超能力に関しては、よくわからない。そもそも、どんな超能力を持っているのかわからないのに、想像もへったくれもない。これに関しては偶然発動する可能性に掛けるしかない。


「と、色々やってみたけど、そもそもの問題を解決してないね」


 そう呟いて、現状を再確認する。大まかな世界の規則は理解できたが、途方に暮れている状況は変わらない。この実験をしている間も、誰も近くを通ることはなかったのだ。


 しばらく、顎に手を当てて考え込んでみる。とにかく、動くべきか待つべきか、それを決められないと始まらない。物語では基本的になんらかのイベントが起こってうんぬんかんぬんと言った流れなのだが、実験までしてもイベントは起きない。魔物に見つかるとか人間に見つかるとか、そういうのが起こってほしい。


「ま、歩きますか」


 なんのかんのと考えていたが、ここでじっとしているわけにもいかない。先に魔物の国、シバイラルについてしまうかもしれないが、そうなったら反対方向にでも行けばいいだろう。そんな気楽な構えで、彼女はようやく動き出した。

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