第15話 城下町へ (3)

 アルドに連れられて向かった城下町は活気に満ちあふれていた。道の脇には露店が並んでいて、店主や店員が自分の店に客を呼ぼうと声を張り上げている。星の女神が地上に降臨した日を祝う「女神の降臨祭」が明日開催されるので、町は普段よりも一段と賑わっているのだと、アルドがエメルに教えてくれた。


 アルドと一緒に露店を巡り歩いていたときだ。突然エメルのお腹が大きな音を立てた。露店で売られている料理やお菓子の匂いに、どうやらエメルの胃袋が強く反応してしまったらしい。前を歩いていたアルドが足を止めて振り返り、空腹の音に驚いたような表情でエメルを見やった。


「あっ……あの……アルドさん、これはその……」

「腹が減ったんだろ? 食べ物と飲み物を買ってくるからちょっと待ってろ」


 エメルに告げたアルドは、人の波の中を突き進んでいった。往来の邪魔にならないように、エメルは近くにあったベンチに座り、羞恥で真っ赤に染まった顔を伏せて、アルドが戻ってくるのを待つ。しばらくするとアルドが戻って来て、エメルの隣に座った彼は、手に持っていた紙袋から中身を取り出し、「ほらよ」とエメルに手渡した。


 アルドが買ってきたのは、パンと果物の果汁に蜂蜜と砂糖を混ぜた飲み物だ。狐色に焼けたパンには、胡椒の効いた牛肉と野菜が挟まれていて、頬張った瞬間に濃厚な肉汁が口の中で弾ける。まさに至高の美味しさだ。夢中になってパンを食べるエメルに、アルドが話しかけた。


「美味そうに食べるおまえを見てると、こっちまで腹が減ってくるよ。まったく――そんなふうに食べるから、食べかすがいっぱいついてるぞ」


 呆れたように言ったアルドが身を乗り出して、ハンカチでエメルの口元の食べかすを拭った。そんなアルドに彼の姿が重なって見えて、エメルは悲しみに表情を曇らせた。


「おい、どうしたんだ? 胡椒が辛かったのか? それとも舌を噛んだのか?」

「いえ、違います。……ちょっとシェダル兄様のことを思い出したんです。兄様もこんなふうに優しくしてくれたんですよ。でも……お父様にお母様、兄様はどこにもいない。私は独りぼっちになっちゃったんですね――」


 エメルの脳裡に両親と兄の顔が浮かぶ。だけれど最愛の家族はもうどこにもいない。館は炎に包まれて、使用人たちは灰となり、両親と兄は冷たい闇の底へと沈んで消えてしまったのだから。そう――帰る場所も家族も失ったエメルは、天涯孤独の身になってしまったのである。


「……独りぼっちなのは俺も同じだぜ」

「えっ――?」


「俺は陛下の実の弟じゃない。川の畔に捨てられていた赤子の俺を、陛下の父上――レオン様が見つけて拾ってくれて、実の子供として育ててくれたんだ。実の両親が生きているのか、それとも死んでいるのか、どこにいるのかはいまも分からない。だから俺もおまえと同じ天涯孤独の身ってわけさ」


 アルドの過去を知ったエメルは驚いた。アルドは一国の王子だから、なに不自由なく育ってきたと思っていたからだ。人混みの遠く彼方を見つめたまま、アルドは話を続けた。


「父上は亡くなってしまったけど、最期のときまで俺に惜しみない愛情を注いでくれた。母上と兄上も、実の息子、弟のように接して優しくしてくれた。みんなの愛情は――血の繋がりなんて関係ないって俺に教えてくれたよ」


 アルドがエメルのほうを振り向く。悲しみに沈んだエメルを思いやるように、アルドの表情は優しかった。


「おまえには俺たち騎士団のみんながいる。だからおまえは独りじゃない。肉体は滅んでも魂はなくならないんだ。ご両親とシェダルの魂は目に見えないけど、きっといまもおまえを見守ってくれているよ」


 アルドの大きな手がエメルの手の上に重ねられた。アルドに手を握られたとき、兄を思い出させる温もりがエメルの全身へと行き渡り、心を蝕んでいた暗い悲しみを消し去ってくれた。


「……いつまでも落ちこんでいたら、いつかお父様たちと再会したときに笑われちゃいますね。命が続くかぎり、闇の王と戦うって陛下と約束したんだもの、こんなところで挫けてなんかいられない。――アルドさん、私はもっと強くなってみせます。アストライアの継承者になって、騎士団のみんなと一緒に戦います」


「ああ、それでいいと思うぜ。でも無理はするんじゃないぞ。困ったときや辛いときがあったら、騎士団のみんなに相談してもいいし、俺を兄さんだと思って頼ってくれよ」


「――はい」

「日も暮れてきたし、そろそろ城に戻ろうぜ。遅くなると兄上とリディルに説教されちまうよ」


 ベンチから腰を上げたアルドは、エメルのほうを一度振り返ってから、彼女に右手を差し伸べた。

 恥ずかしさを覚えつつも、立ち上がったエメルはアルドの手を握り、彼と肩を並べて日暮れの町を歩く。足下の影をぴったりとくっつけて、並んで歩く2人の姿は、まるで本当の兄妹のようだった。

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