第6話 運命の始まり (6)

「逃げるなんて嫌! 私はここに残る! みんなを助けられなかったのに、私ひとりが生き残るなんてそんなのは嫌! 私もみんなのところに――」


 不意に木の枝が折れるような音が鳴り響き、エメルの頬を熱い痛みが走り抜けた。痛む頬を押さえて見上げると、弓使いの青年がすぐ目の前に立っていた。青灰色の瞳の奥に、瞋恚しんいの炎を燃やした青年がエメルの頬を叩いたのだ。


「馬鹿野郎!! みんなを助けられなかったのは俺たちも同じだ!! でもな、おまえが死んだってな、誰も生き返らないんだよ!! それともおまえはシェダルの思いを無駄にする気か!? シェダルがどんな思いでおまえにアストライアを託したか――妹のおまえがいちばんよく分かっているはずだろ!!」


 青年の言葉はエメルの胸に深く鋭く突き刺さり、双眸から涙があふれ出した。エメルの涙を見た青年は、舌打ちをすると視線を逸らした。

 火がついたように泣きじゃくる、エメルの肩に大きな手が置かれる。それは少し前にエメルが振り払った男性の手だった。


「――アルドの言うとおりだよ。兄さんは身を挺してお嬢ちゃんを守ったんだ。だから兄さんの意思を無駄にしちゃあいけない。俺たちは誰も守れなかったが、お嬢ちゃんを守ることはできる。犠牲になった人たちの命と思いは無駄にしない。ここは俺たちを信じて、命を預けてくれないか?」


 エメルは顔を上げた。エメルを守りたいという強い意思が、男性の表情と声音にありありと表れている。だけれど答える気力も尽き果てていたエメルは、座りこんだまま石像のように黙っていた。


 いちばんに動いたのは弓使いの青年だった。苛立ったように舌打ちをした青年は、弓を背中のベルトに留めると、エメルを横抱きに抱き上げたのだ。

 そして頷きあった3人は、魔物の襲撃を警戒しながら、館の出口を目指して走っていく。エメルたちが館の外に飛び出したとき、白亜の館は巨大な炎の塊となり、夜空に炎を噴き上がらせていた。


 生まれ育った館が、置き去りにしてきた人たちが、自分の目の前で業火の悪魔に喰われていく――。それなのに悲しみの感情は湧いてこなかった。地面に下ろされたエメルは、ただ呆然と紅蓮の炎に包まれた館を見上げていた。


「お父様……お母様……兄様……」


 不意に全身から力が抜けて、エメルはぐらりとよろめいた。地面に倒れるまえに、誰かの腕に抱きとめられたような気がしたけれど、それが誰の腕なのかは分からなかった。

 まるで深い谷底に落ちていくように、エメルの意識は手の届かないところへ遠ざかっていき、やがて彼女の視界は黒い闇に飲みこまれていった――。

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