第2話 運命の始まり (2)

「――エメル」


 不意に名前を呼ばれたエメルの心臓は飛び跳ねた。振り向いたエメルの菫色の目に映るのは、彼女と同じ銀色の髪をした青年だ。端正な顔に微笑みを浮かべた青年は、まるで聖母のような優しい眼差しで、瞠目するエメルを見つめている。


「シェダル兄様……?」


 エメルの声は驚きで震えていた。優しく微笑む青年の名前はシェダル。両親とともに闇に引きずりこまれたエメルの兄である。闇に飲まれたはずのシェダルがいま目の前に立っている――。だからエメルは驚きを隠せなかったのだ。


「あの闇からいったいどうやって逃れたのですか? お父様とお母様は――」


 震えが残る声でエメルが問いかけると、シェダルの微笑みは消えて、重く沈痛な面持ちになった。


「……父上と母上は僕をかばって闇に飲みこまれた。さあ、エメル。その剣を僕に渡してくれ。その剣さえあれば、闇の中から2人を助けることができるんだ」


 シェダルがエメルに近づき手を差し伸べた。シェダルの言葉を信じたエメルは、台座に置かれている剣を手に取り兄に渡そうとした。だけれど不意に湧き上がった違和感が彼女を躊躇わせた。


「エメル、どうしたんだ? 早く僕に剣を渡すんだ。それともおまえは父上と母上を助けたくないのか?」

「……あなたは誰?」


 唐突に訊かれたシェダルの表情が強張った。


「なにを言っているんだ? 僕はおまえのたった1人の兄のシェダルじゃないか」

「――いいえ、違うわ。あなたは兄様じゃない」


 エメルはきっぱりと言い放った。いまエメルの前にいるのはシェダルではない。あれは兄の姿をした別のモノだと、生まれたときに結ばれた兄妹の血の絆が叫んでいるのだ。


 奴の目的は剣を奪うことだとエメルは直感していた。兄ではないとエメルに否定されたシェダルは、驚くことも悲しむこともせず、剣を渡そうとしないエメルを見つめていたけれど、しばらくして唐突に笑い出した。


「――この姿であれば、『アストライア』を手に入れられると思っていたが、どうやら失敗したようだな」


 地の底から轟くような哄笑が広間に響き渡り、エメルの目の前でシェダルの姿は変わっていった。

 白を基調とした衣服は黒く染まり、顔の左半分は骸骨と化していき、空色の瞳は血の色を思わせる真紅に変わっていた。まさに異形とも言える不気味な姿は、もはやエメルが知る兄のシェダルではなかった。

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