日蝕に残る雨
霜月悠
ふと、残る熱
雨音が蜘蛛の巣に吸い込まれて消えていく。その細い糸いっぱいに湛えた水が地面に落ちる様を、どろりと融けたようなガラス越しにただ見ていた。
雲から透ける薄青に満ちた空気が、ぴんと張る。
窓際に向かって一歩だけ、床を踏みしめた。小さく軋んだ音が耳に突き刺さる。ゆるりともたれかかったような姿勢のその人はずっと、規則正しい柔らかな息を刻んでいた。
ふたつの呼気の不協和音を雨声がつなぎ止める。
「まだ、寝てるの」
喉が張りついてうまく声が出なかった。掠れたような小さな声が、頭蓋の隙間で不快にこだまする。
目の前の体はほんの少しの身じろぎも見せない。窓の外がじわりと明るくなって、敷石に弾けた水粒が亜麻色に染まった。天気雨だろうか。
「早く起きないと、今日が金環日蝕だって言ってたのは君だろう」
頬が日を浴びて、しらじらと光る。髪が透けるように色づいて、薄い瞼に影を落とした。カメラのフィルムを光に透かして見たような、ちょっと背徳的な気分になる。
「もうしばらくは見られなくなるよ、君の言う、一番綺麗な太陽」
部屋の空気はゆったりと、流れずに留まっている。見上げる雲の動きは思いのほか早いから、またすぐに暗くなるだろう。もう飲まれることもない小さな薬の小瓶が、やけになって反射を起こしているように見えた。
「でもまあ、この天気だと心もとないか。雲に被って見えないかな」
生暖かい空気がぐるりとかき混ぜられて、声がぐしゃりと滲む。ぶわりと暑くなって目元がぎりぎり痛むから、無理くり言葉を絞り出した。そうでもしないと、何かがふっと途切れてしまいそうだから。
「それじゃ、また今度か」
その顔は、髪は、手は、足は、あんまりにも芸術作品みたいに出来が良いから、不思議と生きてるんだって実感があった。見ているとまるで自分が透明になっていくようで、それと対峙する自分の生命力がはっきりと強く燃えるのを感じた。
それが、今までの人生で何よりも心地よかった。
ふと、太陽に雲がかかった。空気の色がぐっと暗く紅碧に染まり、明度の差に視界がちかちかする。目の前の淋しげな体もふわりと色を変えて、その瞬間に部屋の中の全てががちりと固まった気がした。
肌を撫でる温い温度がすっと冷えていく。じゃ、さよなら、と零れた言葉が、窓の表面を伝っていく一滴とそっと呼応した。
その瞳から雫が滑り落ちて、頬に筋を遺す。雨はいつの間にか過ぎ去っていた。その指先に登った幼い蜘蛛を見て、結局終わりまで綺麗なままなんだな、とふと思った。少しだけ乱れたひとつの呼吸音が、他人事のように聴こえる。何となく指先ですくった涙が、ゆるゆると冷たくなっていく。
日蝕に残る雨 霜月悠 @November1101
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