第2話 5年後
「だからね、シンプルイズベストって言葉もあるでしょ、真奈美は贅沢言いすぎだって」
「だってぇ~、もっとぉ、こう、あるじゃんっ。普通過ぎない?捻りがないっ!手抜きだ手抜きっ!」
真奈美の語尾が、伸びたりはねたりするようになってきた。それほどお酒に強いわけではない真奈美は、酔いが回ってくると、いつもこうなる。もうそろそろ、アルコールは遠ざけた方がいいかもしれない。私が目配せをするより先に、和希がビールの瓶を真奈美から遠ざけ、店員さんを呼んだ。「お冷3つお願いします」とささやく声を、耳が拾う。
そういう言い方が正確かどうかはわからないけど、2週間前、真奈美は、4年付き合っている彼氏からプロポーズを受けた。
映画を見に行った帰り、感想の語り合いでひと盛り上がりした後、運転席の彼氏から真奈美曰く「しみじみと」、「やっぱりずっと真奈美と一緒にいたいな」と言われたらしい。真奈美の彼氏さんにとっては、つい本音が漏れ出たという感じで、計画的なプロポーズじゃなかったから、婚約指輪の用意もまだだった。真奈美も真奈美で「私も結婚したい」なんていうもんだから、婚約を交わしたような流れになった。
真奈美としては、彼氏さんとは結婚したいけど、ロマンチックなプロポーズに憧れていた分、その流れに不満があるということらしい。
「私は十分素敵だと思うけどな」
「素敵ぃ?なんでよ~」
「映画の感想で盛り上がって、ってさ、真奈美の感性とか考え方とか、そういうものに触れて、『やっぱりこの人』がいいなって心の底から思ったってことでしょ?つい言葉に出しちゃうくらい。それって素敵じゃない?」
「それはそうだけど……プロポーズじゃん?」
「それはそれで改めてあるんじゃないの?指輪、まだなんでしょ?」
「それもそうっ、かもだけどっ……サプライズって大事じゃん?」
「じゃあ断る?」酔ってごねる真奈美に、ちょっと意地悪な質問を投げてみる。
「それはないっ!だって好きだもんっ」
結局のところ、これが本音だ。別に、真奈美は本当に不満でいっぱいなわけじゃない。思い描いていたようなロマンチックなものとは違ったかもしれないけど、プロポーズを受けたこと自体は喜んでいる。本当は自慢したいのだ。文句を言ってはいるけれど、表情は緩んでいる。知り合ったのは高校の時だから、真奈美や和希とはもう10年以上の付き合いになるのだ。それくらいのことは、言われなくてもわかる。
「声がでかい」もらってきたお冷を私たちに差し出しながら、和希が言う。「これ飲んでちょい落ち着け?」
「ありがと」水を受け取ってお礼を言う。真奈美はグラスに口をつけ、早速ゴクゴクいった。
「ねむい」水を飲み干した真奈美は、そう言うが早いか、突っ伏して寝息を立て始めた。
「まあ落ち着けとは言ったんだけど」背中におぶっている真奈美の方をちらっと見ながら、和希がつぶやく。「落ち着き過ぎなんだよな」
「ホント、酔った真奈美って奇妙奇天烈だし、予測不能だよね」ふふ、と笑いながら、小声で私も答える。
「奇妙奇天烈て。でもその通りだわ。寝落ちの早さ世界記録だろあれ」
「そうだね」
「まあでも、太一にもビックリしたな」
「そうだね」
高校を卒業してからも年に何回か開催しているこの集まりだけど、太一はここ数年、参加していなかった。それが今日、久しぶりに姿を見せたと思ったら、左薬指に、結婚式で見た指輪がはまっていなかった。太一は離婚していた。というか、結婚もしていた。あの指輪の代わりに、見たことのない指輪がはまっていた。奥さんが待ってるからと、1時間もいないで帰っていった。今日の太一は嵐のようだった。
「まだ好きなの?太一のこと」
「え?なんで?」
「なんというか、何とも言えない顔してた。悲しいような、寂しいような」
やっぱりかなわないな、と思う。10年以上の付き合いだから、真奈美や和希のことはよくわかる。同じように、二人も、私のことをよくわかってる。
「……好きとかそういうのはもうないよ。だけど、そうだね、何とも言えない顔はしてたのかも」
太一のプロポーズに居合わせたあの日以降、2人と付き合った。遊びとか、やけくそでそうしたわけじゃない。結局、どちらともうまくはいかなかったけど、2人とも、きちんといいなと思える相手だった。
そもそも、太一のことが恋愛対象として気になり始めたのは高校生の時で、それより前にも一人、彼氏彼女の仲になった相手がいる。私の恋愛話は、太一のエピソードが衝撃的すぎるだけで、太一で埋め尽くされているわけじゃない。
太一への片思いは、ちゃんと終わってる。今「気になる人」ってフレーズで思い浮かぶ顔は、全然違う顔だ。太一へのこの感情は、もう恋愛じゃない。
「太一が離婚してたってわかって、なんだろう、ショックだったんだと思う」
「ショック?」
「なんかさ、その……永遠の愛はないんだなって」
「おうおうどうした藪から棒に」
「いやーだってさ、こっちはプロポーズの瞬間見せられたわけだから…」
和希は黙って言葉の続きを待っている。
「…2人には幸せになってほしいじゃん、夫婦としてさ。あんなに好き合ってたはずなのにうまくいかずに別れるなんて、なんか寂しいなって」
「いいやつだな」
「またそうやって茶化す」
「茶化してない茶化してない。ちゃんとマジで言ってるって」
茶化してない、を2回言うあたりが、もう怪しい。さっきの藪から棒に発言の時点で、すでにどこか面白がっている感じはしてた。
「や、ホントに」訝しげな私の表情を見て、和希が付け足す。
「美月は太一のこと、今は好きじゃないって言ったけど、あの頃は引きずってんの見え見えだったんだから。だけど、太一の前では絶対、ショックとか出さないようにずっと頑張ってた。今もさ、昔のことかもしれないけど、失恋相手の幸せを心底祈ってたわけじゃん。それに……」
「それに?」
「それにさ、いいやつだと思ってなかったら、わざわざ会ったりしないよ、俺は」
「……和希って人たらしだよね」
「え、なんでよ」
「『いいやつだと思ってなかったら、わざわざ会ったりしないよ、俺は』って、口説き文句みたい」
「美月が言わせたんじゃん」
「半分はそうだけど。そこまで言わないよ普通。言ったら勘違いする人もいるでしょ」
「太一も相当鈍感だったけど、美月も大概だよね」
「私?なんで急に?太一と一緒はないでしょ」
「いやあるよ」「それ、勘違いじゃないし」
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