第3話 【ジョブなしデック】、口を塞がれる

「だって兄さん、食い潰されてるもの」


 出し抜けに放たれた従姉妹の言葉が、僕から思考を奪う。しかし僕の混乱をよそに、サランは荷物から上着を取り出していた。一枚羽織って、僕にも一枚。


「たぶん長くなるから、それ羽織って」

「う、うん」


 言われるがままに、上着を羽織る。少し丈は短いが、十分暖かい。


「兄さん。アタシはね、今すんごい怒ってる」


 向かい合わせに座り直すと、早速サランは口を尖らせた。怒っている時の、変わらないクセだ。


「そりゃ兄さんがね、恩を感じるのは勝手よ。ボルジーノさんのおかげで、冒険者になれたわけでしょ?」


 うん、と僕はうなずいた。彼女の言うとおりだった。だからこそ、アイツに尽くしてきた。どんな難題でも、必死にやり遂げた。それのどこが、おかしいのだろうか。


「でも兄さんには悪いけど。ボルジーノさんは、兄さんの気持ちを悪用したのよ。自分が楽をして、のし上がれるようにして。その踏み台に兄さんを使ったのよ」

「え?」


 思わずキョトンとしてしまう僕。サランは一度だけ軽く息を吐いた。続いて立ち上がり、強い言葉をぶつけてきた。


「いい加減気づいてよ! 兄さんは、ボルジーノさん……もういいわ、あの人にいいように扱われていたのよ! 全部! なにもかも! あの人たちがおかしいの! 兄さんが逆らわないから、いいようにこき使って! 要らなくなったから追放したの! おかしいでしょ!?」


 僕は言葉に気圧され、へたり込んだ。でも同時に、つながるものがあった。かつて、増えていく作業と無理難題に押し潰された夜。ボルジーノたちは遅くまで酒を飲み、仮眠中の僕を無理矢理起こした。


『作業が終わってねえのに、なに寝てんだ』

『仮眠……』

『寝てんじゃねえ!』

『っ!』


 そして殴られた。記憶と同時に痛みも蘇り、僕は頭を押さえる。呼吸が荒くなる。いつからだ。いつから僕は間違えた? ボルジーノたちをのさばらせた?


「兄さん。思い当たることがあるんでしょ? 辛かったよね。苦しかったよね。でもね、今こそ向き合って欲しいの」


 従姉妹の言葉が胸に染みる。必死に呼吸を立て直す。そうだ。僕は。アイツにしがみついて。アイツを恨んで。自分を痛めつけて。


「ゆっくり、落ち着いて……」


 従姉妹からの、いたわりの言葉。ああ、今なら。素直に聞ける。真っ直ぐに、従姉妹を見つめる。


「ありがとう」

「ん」


 こくりと、サランの整った顔が動いた。さらに続ける。アイツらが悪いのは事実。だけど。


「サランの言うことは、間違ってない。だけど、ボルをそうさせたのも僕だ。僕がアイツにしがみついて、アイツに委ねてしまった。だから、こうなった」


 自分に言い聞かせるように、言葉を選ぶ。


「僕は、バ……」


 バカだ、と言おうとした時、口を塞がれた。そこには、人差し指があった。ふくれっ面をしたサランが、再び視界を占めていた。


「続きを言ったら、口で塞ぐね」

「んな……!?」


 サランの目が、本気だと言っていた。口で口を塞ぐなんて、それはもう……。


「そうよ。キスよ。でも兄さんになら、そうしてもいい。だってアタシは、デック兄さんに救われたんだもの」


 覚えてる? と、彼女は言った。僕は記憶をたぐる。思い出すのは、簡単だった。


 ***


 あれは、十年は前だったか。ささいなことから兄弟喧嘩をした僕は、抗議の末に家から放り出された。運悪く、外は大雨だった。両親も、すぐに謝ると思ってたらしい。


「フンだ。あれは兄ちゃんが悪いんだい」


 ところがその時、僕はすねていた。雨だろうがお構いなしだった。隣の家、サランの家へと向かう。すると彼女が、外で塞ぎ込んでいた。当時は……五つごろだったか。まだ小さく、可愛らしかった。


「ひっく、えっぐ……」


 近寄ってみれば、彼女は泣いていた。僕は自然に、お兄ちゃんとしての行動を取っていた。


「どうしたの?」

「でっく、おにいちゃん?」

「そうだよ」


 許可を取り、サランの隣に座る。自分のことは、すっかり抜け落ちていた。


「ママのおてつだいをしたらね、おさらをこわしちゃったの」

「壊した?」


 サランの言い分に、僕は違和感を得た。割ったならともかく、壊したとはいったい。


「うん。サランがね、さわったらね。おさらが、グシャッて」

「そんなことがあるんだ」

「あるの。そしたらパパがね。『サランは物を壊す子だから、大事な物には触るなって言っただろ!』って、すごいおこってね。おそとにだされちゃったの」

「……大変だったね」


 幼いなりに、僕は考えた。『物を壊す子』と決めつけられているのが、どうにも分からなかった。


「サランね。【ですとろいやあのりょううで】っていうのをもってるんだって。だからおてつだいもできないし、パパたちのじゃましかできないの」


 サランはうつむいていた。【破壊者デストロイヤーの両腕】。僕も当時は、おとぎ話でしか知らなかった。意図せずして物を壊してしまう、生まれつきの呪い。両親の役に立ちたいという少女には、あまりにも酷な呪いだった。


「そっか……」


 サランの顔が見ていられなくて、僕は外を見ていた。不意に、大きな岩が目に入った。当時、村の大問題になっていた岩だった。そこで、僕はひらめいた。


「サランちゃん、あれ見て」

「ん……?」


 腕で涙をぬぐって、サランが岩を見た。


「あれはね。みんなが困ってる岩なんだ」

「こまってるの? こわせば、どうにかならないかな」

「うん。もしかしたら、サランちゃんなら……」

「おてつだいできるの!?」


 サランの顔が、パッと明るくなった。雨の中、彼女は岩へと近付いていく。


「え……」

「みてて!」


 早い決断に驚く僕。しかしサランは、岩に手を添えて。


「えいっ!」


 いともあっさり粉砕した。粉々にした。片付けの必要がないほど、砕いてしまった。


「これでいい?」


 少女は花のように、幼い僕へと微笑んだ。


 ***


「……覚えてる」

「よかった」


 解放されていた口で僕が答えると、サランは再び息を吸った。


「そうよ。デック兄さんは、アタシに生きる道を教えてくれた。なのになんで、その兄さんが食い潰されて、泣いてるの? おかしいよ。あんな奴に、負けちゃダメだよ」


 気づけばサランは、目から涙をこぼしていた。僕は何一つとして、言い返せなかった。

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