第2話 【ジョブなしデック】、従姉妹と再会する

 身体がふらつく。でも怒りは押さえ切れない。僕は、今一度頭を床に打ち付けようとした。


「あああああっ!」

「デック兄さん!」


 ドアの砕ける音。

 聞き覚えのある声。

 直後、恐ろしい衝撃を感じて、僕は天井が見えないことに気づいた。


「兄さん、久しぶり」


 僕の視界を占めていたのは、初級者装備に身を包んだ、銀髪の女性。見覚えがあるようでないようで、僕はまばたきを繰り返す。すると、再び声。


「アタシよ、従姉妹のサラン。わからない?」

「ハイ?」


 信じられずに問い返した、次の瞬間。顔の横をなにかが通り、床が一瞬で砕けた。そして僕は思い出す。拳で床を砕ける女性の知り合いは、彼女以外にいない。


「待って! その、変わりすぎてて分からなかった! ごめん! 許して!」

「思い出してくれた!」


 混乱しつつも言葉にすると、今度は抱き締められる。いい匂い。オマケに装備越しなのに柔らかい。思わず呼吸が深くなる。目の焦点が定まり、思考がまとまる。そっと床に目線をやり……。


「デックー! ちょーっと下に来なさいなー?」


 うん、ドアが粉砕されたのではっきりと聞こえる。よく通る女性の声が、下の階から僕を呼び付けていた。


 ***


 一刻後。どうにかこうにか難しい交渉を終え、僕は落ち着け……るはずがなかった。かつてドアだった残骸の向こうで、従姉妹が待ち構えていた。荷物を持ち込み、整理も済ませてしまったようだった。


「……どうだった?」

「事情をくむ余地があるってことでね。床は修繕と掃除をすれば良し、ドアは修理代半分を支払う。ということになったよ」


 流石にバツが悪いのか、美女はずいぶんとしおらしくなっていた。こうして見ると、三年前の面影がそこかしこに残っていた。


「……サラン、なんだね」

「言ってるじゃない」


 確認のように言葉を漏らすと、従姉妹は唇を尖らせた。かつてのクセが変わっていないことを確認して、僕は対面に座る。


「その、ごめん」

「いいよ。三年ぶりだし。すぐに分かるわけないよね。よく考えたら」


 うん。そのとおりだ。実際問題、身体つきも顔つきも、すっかり女性らしくなっている。前から伸ばしていた銀髪も、ポニーテールの毛先が床につきそうだ。


「どったの?」

「いや、その、ね」


 問われて、僕は答えに迷った。褒めてしまうのが正解なのだろうか。だが彼女は、軽く微笑んで。


「頑張ったもの、この三年間。デック兄さんをびっくりさせたくて」

「そうなんだ」


 反射的に答えて、直後に後悔した。気の利いた言葉一つさえ、僕は言えないのか。しかし彼女は、突如装備を脱ぎ始めた。装備の下に隠されていた膨らみがあらわになり、僕は思わず目をそらした。


「デック兄さん?」

「いや、その……」


 認識を訂正しよう。従姉妹は女性らしくなったんじゃない。すっかり一人の女になっていた。どうしよう。さっきまで怒りにまみれていたのに、今は理性を駆使するので精一杯だ。


「……この部屋に来る前に聞いた。兄さん、ボルジーノさんのパーティーから追い出されたんでしょ?」


 従姉妹が僕に目を合わせてくる。当然肢体が目に入る。目の毒になるのでそらそうとする。だが、両頬に手が添えられ、固定されてしまった。近い、あまりにも近い。心臓が早くなる。


「兄さん。目を合わせて。落ち着いて」


 サランの金色の瞳が、僕を射抜いた。言われたとおりに、目を合わせる。別に魅了の術を使われたとかじゃない。サランの目が、真剣だった。それだけだ。


「追い出されたんだよね?」


 再度の問いかけに、僕はうなずいた。従姉妹の息遣いさえもが、聞こえてくる気がした。従姉妹の唇が、再び動く。


「大丈夫。アタシはここにいるから。離れないから。ゆっくりでいいから、なにがあったのか話してくれる?」


 サランの声色が、少し緩んだ。もう一度、彼女と目を合わせる。なんとなく、言葉にウソがない気がした。二度、三度。僕は深呼吸して。


「わかったよ」


 それから僕は、彼女に今日までの足跡を語った。


 冒険者ギルドに入る際の神託で、【ジョブなし】判定を受けたこと。

 そんな情けない僕を、ボルジーノが拾ってくれたこと。

 多少の無茶振りが、無理難題になっていく過程。

 それでも諦めずに付いて行こうとして。今日、その努力が水の泡になったこと。


 なにからなにまで語り尽くして、ようやく一息ついた時、不意に柔らかい感触と、いい匂いが僕を直撃した。これは、先程の。


「デック兄さん、頑張ったのね」


 抱き締められ、頭を撫でられる。絶妙に温かく、どこかこそばゆい感覚。だけど、拒否する気にはなれなかった。


「うん、うん……。だけど、僕、は……」


 目から涙がこぼれた。『頑張ったのね』という言葉で、僕の我慢は限界を超えた。ボルジーノも、パーティーの連中も。誰も労ってはくれなかった。年甲斐もなく、僕はプライドを捨ててしまった。抱き返し、肩に頭を預けてしまう。


「サラン……!」

「大丈夫。アタシは兄さんを嫌わない」

「ん……。ううっ……!」


 そこから先は、もう言葉にできなかった。ただただ涙があふれ、泣き続けた。サランは嫌がるでもなく、僕の頭を撫で、背中を擦ってくれた。遠い昔の記憶が、少しだけ頭をよぎった。母が同じように、背中を叩いてくれた記憶。


「かあさん……」

「お母さんじゃないけどね」


 クスッという笑い声が、耳元を撫でていく。そうだった。サランの母さんは、親父の妹だ。


「落ち着いた?」

「うん……」


 サランが僕から離れ、僕は顔を上げた。こうして直視すると、やっぱりきれいだった。彼女はただの村娘なのに、貴族のお姫様にも劣らない気がした 。ただし、左肩にはしっかり涙の跡が残っていた。


「ごめん……」

「ん?」

「その、肩……」

「いいのいいの。洗えば目立たないから」


 こみ上げるままに謝るが、サランは笑って首を振る。そう簡単な話じゃないのは分かっているけど、なにも言えなかった。それを見てサランは、再び目の色を変えた。


「ねえ、兄さん」

「なにかな」

「今なら分かってくれると思うんだけど。兄さん、たぶん思い違いしてる」

「え」


 突然の言葉に、僕は戸惑った。どのことについてか、僕には今ひとつ分からなかった。しかし続く言葉が、僕から思考を奪った。


「だって兄さん、食い潰されてるもの」

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