わからない手紙

三文の得イズ早起き

わからない手紙

「よくわかんない文ってあるだろ?」

 友人Kは僕にそう言った。


「昨日、彼女と喧嘩してさ。その後、メールが来たんだけど、長いんだよ。そして何度読んでもよく意味がわからないんだ。これなんだけど。読んでみる?」

 といってKは僕に彼のスマートフォンの画面を見せた。


 僕は「読まない」と言ったのだけれど、彼はぼくの意思などおかまいなしに話続けた。

「まあとにかく読んでみてよ。本当によくわからないんだ。もしわかったら教えてほしい」

 僕は仕方無しに読んでみた。そこに書いてあった文章はこんなものだった。



 昨日の話(といっても正確には昨日ではなくて一昨日(でもあなたは一昨日でもなく、三日前(おとといという言い方はあっても三日前を表す言葉はありませんよね? 明日はあって明後日はあるので(明後日と変換してきちんと明後日(あさってをみょうごにちと読む人もいますよね。どちらが正解(というよりも、どちらが一般的か? という方がいいかもしれませんね。誤用であってもそれがメジャーになればそちらも辞典(広辞苑やら、大辞林やら沢山ありますが、私は一冊も持っていません。買った方がいいんでしょうか? でも置き場所に困ってしまいますよね)に載ってしまう、それが言葉の不思議で面白い所ですよね!)なのか、私はわからないのですけど、あさってでも明後日でもどちらでも意味は通じますよね!)と出るというメールシステムの凄さに私はいつも感動してしまいますが、漢字は書けなくなってしまうような気もしています)人は二日という日数以上は無意味ということなのかもしれませんね? そういうのって楽観的だと思いませんか?)というかもしれません。なぜならあなたは前からメールというシステム(もしくはツール、道具と言ったほうが適当でしょうか? あなたはそういう言葉にこだわりますか? 私はこだわりません。私はこだわる事がないのです(もちろんそれをあなたは否定する!)に懐疑的(あるいは嫌悪感といってもいいかもしれません)な所があったと記憶しています)ということになります。でも私は正確な事(もしくは正確な記憶(もちろん正確なんて言葉の有意性についての曖昧さ(これもまた曖昧な言葉ですね。曖昧な日本人という表現をしたのは大江健三郎(彼がノーベル賞を取った時には日本が、あるいは日本人が曖昧であったかどうかすら曖昧である、というダブルミーニングだと(あるいは、彼なりの皮肉、彼なりのユーモア、といった方が適切かもしれませんが、当然、可能性としてはその両方がないということも考えてみる必要がありますね!)私は考えていたのですが、先日その考えを改めました。理由はないのです。理由って必要なんでしょうか?)であったでしょうか? あなたは覚えていますか? 彼は面白い眼鏡をかけて(もしくは眼鏡によって面白い顔になる(私は面白いという時に、笑ってしまうというよりも、興味深いという意味で使う事が多いです。どうして興味深いと笑うということが面白いと表現するんでしょう? 私はそれがまた面白いと思ってしまいます。そう思い始めたのは確か中学生の頃からです)という印象を与えて)いますよね)はあなたも私も承知のことですが)を前提にしていません)を話したいわけじゃなくて(私はいつもwantではなくてneed(私は英語が苦手なのでもし間違っていたら教えて下さい、ただこれはそれを目的にしているわけではないこと忘れないで!)を重要視しているとあなたはいいますよね)認識、いわばあなたに分かって欲しい(もしくは許容してほしいという私のwant(ここでもまた英語を使ってしまってますが許容してほしいです)がこの手紙の目的(という言葉を使う事を許してください。無目的な行為こそ意味(この言葉が正しいのか自信がありません。私は何も自信がないのです(何もというのは言い過ぎでしょうか?)と言うとあなたは笑うでしょうか?)があるというのは私もあなたも共通する見解ですよね)なので細かい事は(あるいはあなたが神経、言い換えるなら意識、注意を払う事柄とそうではない事柄の区別をしない、という事には)気にしないで欲しい(私のお願いばかりでいつも申し訳ありませんがこれはwantであり、同時にneedです)です。そうは言ってもあなたは私のこういう所(私はそれについて何度も何度も考えてます、あなたがいつも私に注意する事は真剣(というよりもむしろ、真剣に私に見えた、ということが近い気がします。なぜなら真剣さというのは時には滑稽であり、狡猾であり、誠実(これこそ私が最重要視している美徳です)さと対極にあるからです)に考えていないとあなたは言うけど(私のこれが妄想でないという証明もいくつかの方法でできます、どういう方法かというとそれはここでは長くなるので省きますが、必ずできるということを覚えておいてほしいです)、そうではないんです。そうではなくて、考えているからこそこういうメールを出していますし、私なりに(それは私という能力の及ぶ範囲という意味ではなく、私という個性(むしろ、私という記憶と言ったほうが正確(正確というよりもむしろ、近い、というニュアンスの方がより正確かもしれません。また正確という言葉をつかってしまいましたが)かもしれません)と言った方が近いかも(あるいは遠いかも、どちらも同じ意味では(もしくは記号、表現と言ってもさしつかえないかと思います)ないでしょうか? なぜならそれはどちらも距離を表す(時間を表す、と同義であるということはわかっていただけるはずです)言葉であり、言葉とは常に同時性を(常にという言葉を私があえて使った事をあなたは気づかれると思います、同時というのもまた時間ですね)含む用語だ、とあなたは言ってましたよね。あなたじゃなかったかもしれませんが。覚えていたら教えて下さい!)しれませんがここでは私なりにという言葉を使ってしまった事を理解してほしいです)捉えて、いやむしろ捉える事を放棄して考えるというのではなく、感じて、咀嚼(この言葉を使う事に抵抗がありますが、他にどんな言葉(もしくは表現、もしくは記号(ソシュール(覚えていますか?ソシュールといっても宇宙に行った人ではありませんよ! 言語学者(でしょうか? 彼の正確な(またこの言葉を使った事をお許しください)肩書(この言葉も不思議ですね。肩に書くでなぜそんな意味になるんでしょうね! 私の肩書は学生ですが(そうなんですよ! お忘れでしょうか。私は一応学んでいるのですよ)学で生きると書きますね(今は書くなんてことはしませんよね。これもメールです。デジタルの場合は書くなんて言うのでしょうか?)。これもまた不思議です!)は一体何なんでしょうねは?)についてあなたはよく語ってくれましたね。もしかしたらあなたではなかったかもしれません、記憶とはかくも曖昧(この話も前にしましたね。前ということもまた曖昧なのですが)なのですね。その私の曖昧さをあなたは許してくれると信じています。とにかくソシュール的な、あるいはシニフィエ的な、と書くとフランスかぶれという気がしますが(フランスは好きな国です。なんと言っても革命の国ですから。革命は好き(というよりもそれがない世界を想像できるかどうか?(もしも想像という行為がなかったら人間がどんな生物だったと思いますか? 想像するアザラシやホッキョクグマがいると思えますか? 私はいる、と言いたいです!)と問いかけるべきでしょうか?)ですか?)、あるいは伝達という言葉に集約されるなんらかのアクション)し、あなたへ投げかけています)を治せみたいに言ってることについての話ではなくて、正確さについての記述(それはもちろん正確な記述とは(もちろん、書くという行為があるわけではなくてデジタルのデータとして変換、送信するわけですけども)なりえませんが)をどうやって私なりに咀嚼し、把握し、伝達していくか(そして共感をえるための努力(いやむしろ行為といった方が近いかもしれません。英語ではアクションでしょうか? 英語についてはさほど詳しくありませんが、日本語だって詳しくないのです!)について、考えをまとめているんです)だけど、私にはそれがあなたに対してどういった態度(もしくは行為(それはあくまでも私の記憶(記憶が曖昧なことをあたなもよく語っていましたね。もちろんそれを私はよくわかっているし、あなたもわかってくれていると思います)、または思い(むしろ、軽蔑に近いかもしれません)であったのか結局の所不明なのです。

 わかってくれますか?


 僕は「別れたほうがいいんじゃない?」と言った。

 Kは「俺もそう思うんだよね」と言った。


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