「第12章 アイスの溶かし方」(5)

(5)

 酒による浄化は、大人になってから扱える特権である。成人して、責任感が押し付けられて、自由を奪われてから、初めて行使する事が出来る。


 それを説明した彩子の口調は弱弱しかった。大人になったからこそ、出来る方法を話したという事は、逆を言えば大人なってない場合の方法が分からないと証明してしまっているからである。透は彼女の意見を聞いて、鼻息を漏らす。


「彩子の言う方法は、決して間違ってない。酒は、アイスを溶かす方法としては充分に通用する。現に俺も嫌な事があって酒を飲む時はある」


「でも、それでは……」


 言い辛そうに口を紡ぐ彩子。その先の言葉を透が話す。


「そう、それでは詩織には出来ない。当時の彼女は未成年だったからな。それに彼女はこっそりお酒を飲むような性格でもない」


 そう言って透は微笑んだ。それにつられる形で彩子も微笑む。


「だからこそ、俺は当時の詩織でも出来る、アイスを溶かす方法を知っている」


「そんな方法が、本当にあるんですか?」


 とても信じられないと言った顔でこちらを見る彩子に、透はさも平然とした表情で答える。


「何も特別な事をする必要はない。酒や煙草みたいに年齢制限も存在しない」


 透はそこで目を瞑り、一拍置いた。彩子は彼の答えを今か今かと待っている。


 出来るなら、この答えを高校生の内に導き出して、死んでしまう前の詩織に伝えたかった。そうすれば、あのような悲劇は起こらなかった。そう思ってつい、目を閉じたまま、自虐的な笑みを浮かべる。


 しかし、そんな事は後の祭りのでしかない。どうにもならない過去を嘆くよりも、今可能な事を考えるべきだ。


「俺が考えるアイスの溶かし方。それは、自分の心の在り方を自分自身で受け入れて尊重する事。それだけだ」


 これを生前の詩織は、既に実行してそうな事にも思われる。しかし、彼女と過ごした当時を頭の中で遡り、その仕草を再生すると、一つの仮説が出てくる。


 それは、詩織は自分の事が嫌いではないかという事。


 実際、本人の口からは自分を好きだという言葉は一度たりとも聞いておらず、遺書からも自身が酷いと言っている大人になりたくないとの記述があった。


 大人になって受けるアイスは、この方法で溶かせる。


 この方法の重要な事は、他人ではなく自分自身に認めてもらう事にある。


 自分こそが、生涯において自身を客観的に見る事が出来る唯一の存在であり、その自分に認めてもらうか否かで、本人のアイスが解けるかどうか決定される。


 こんな方法は高校生の透には、考えられない。


 何故なら、彼も当時の自分を好きになれないでいたからである。


 より正確に言うのならば、余裕がなかったのだ。当時の透は自身の内面こそ、見る機会があったものの、それを受け入れて尊重する余裕なんて持ち合わせてはいなかった。


 これは案外、透だけが特別なのではなく同年代の人物には例外を除いて当てはまると考えている。自身を受け入れて尊重出来るのは、責任を与えられて、自由を奪われた大人だからこそ出来る。酒や煙草以外のもう一つの特権である。


 詩織はアイスが溜まっていく事に耐えらないと言っていたが、彼女が大人になったら、この処理法に気付き実行していた事だろう。そう透は予想する。


 そこまで考えていると、正面に座っている彩子は、口を開けて衝撃を受けていた。透は彼女が何か言ってくるかと自分からは話さないでいたが、あまりに彼女が驚いたままだったので、こちらから話しかけた。


「彩子? 大丈夫か?」


「あっ、はい。すみません、ちょっと驚いちゃって」


 透に話しかけられて、ガクンと首を振り衝撃から解放された彩子は、まるで再起動したばかりの挙動が初々しいコンピューターのようだった。


「その気持ちは分かるよ。随分呆気ない、そんな簡単でいいのかって。でも、これがまた実際にやろうとすると難しいんだ。ほら、自分には隠し事って一切出来ないだろう? だから、普通人には話さない黒い部分も全部把握されている。それなのにそんな自分を受け入れて尊重するのは難しい。嘘で受け入れるなんて事は当然出来ないし、仮に出来たとしても無意味だ」


「先輩は出来るんですか?」


 彩子はそう尋ねてくる。その瞳には、説明出来るのだから、当然やっているのだろうという言葉が込められているように感じた。


「一応。ただ、非常に難しい。何が難しいかっていうと、一旦は自分を受け入れて尊重出来ても、それを長期的に継続させる事が難しい。油断したら自分はすぐ自分を嫌いになる。実際にココ最近は非常に危なかったよ。彩子のお蔭で」


「それは、その。……すいません」


「冗談だよ。本気にしないでくれ。とにかくこれが俺にとってのアイスの溶かし方だ。最初に言ったけど、あくまで俺が考えた方法に過ぎない。もしかしたら、俺のよりも遥かに上を凌ぐ方法があるのかも知れない。だから彩子も参考程度に留めて、柔軟に自分のアイスを溶かす方法を見つけてほしい」


 透はそう言って、彩子に念を押す。


 彩子は笑顔を作り、しっかりと首を縦に一回振った。


「私、詩織さんの日記を聴けて良かったです。先輩が教えてくれなかったら、きっと一生私は、詩織さんの自殺の理由を探し続けて、あの手記を捨てられなかった。でも、それも全部今日で一段落ですね」


「良かった。成長の糧にしたいって言ってたけど、そっちは出来そうか?」


「これから長い時間をかけて、じっくりと考えていくつもりです。私なりのアイスの溶かし方が見つかれば、そこで成長出来たと初めて言えるかも知れません。でも、出来るかな……」


 最後の言葉を弱弱しく話す彩子に透は「大丈夫」っと言った。


「その内、詩織がビックリ羨ましがるようなアイスの溶かし方を開発するかも知れない。その時、詩織がどれだけ羨ましがるか、二人して想像しよう」


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