「第12章 アイスの溶かし方」(4)
(4)
「本当に気付かなかった。きっと、詩織の心の底に気付けた人間なんて一人もいない。それこそ、湊先生が良い例だ」
手記では湊こそが、詩織の最大の理解者である。そう書いてあったがそんな事は断じてない。身勝手な自己満足と強引な支配欲を都合の良い単語に変換したに過ぎない。彼は詩織の能力面ばかりを評価して、心の内側を見ていなかった。
結果、湊の行った行動は、詩織に大人に対する価値を決定付けてしまったのではないかと透は考える。
透が聴いている限りでは、彼女の日記には湊は出てこない。それは、彼女がこの日記には良い事しか吹き込まないと決めたからである。
つまり、吹き込まれていない湊の事は全て悪い事。
アイスを作った原因は、彼によるところもあるはずである。そこまで考えていた時、彩子が「つまり……」っと口火を切った。
「元々、詩織さんは自殺する予定だった。その為に既に遺書も吹き込んでいる。それに必要なルーズリーフも持っていた。そして、準備を完了させた時、あの人に殺されかける。それで彼女は、偶然にも自殺に最適な環境を手に入れてしまう。だから一人になってから自殺をした」
彩子の説に透も頷いて同意する。
「それが全ての真相だろう。もっとも詩織は、湊がああいう行動に出る事をある程度は予測していたと考える方が自然だな。そうじゃないと、俺に交換日記やMDを渡したりはしない。ルーズリーフに関しては、最後の日付を除いて、予め書いておいて、一人になった時に書き加えた説が妥当だろう」
手記は、あくまで湊の主観でしか状況は記されていない。詩織は最初に暴力を振るわれた時、何かを感じ取ったのだ。そうすれば一通りの説明は付く。
透が最後にそう言って、長かったこの話に一応の決着を付けた。
今は互いに口を開こうとせず、話の余韻に浸っている。
透は下を向いて、彩子と目を合わせようとしない。下を向いたままの彼の耳に上から彼女の声が聞こえた。
「大人になるって、どういう事なんでしょうか?」
「彩子はどう思う?」
尋ねられた質問に透は顔を上げて、そのまま質問で返した。返された彩子は、「そうですねぇ」っと意見を頭の中で組み上げる。
「体や経験が時間と共に成長して、一定の期間を越したら世間からは大人として認識されます。そのせいで、責任が勝手に加えられて、行動や言動から自由が失われます」
一定期間の成長。例えば、成人したらその日から大人なのか。昨日までは子供だったのに、たった二十四時間経過しただけで、いきなり大人化されてしまうのか。透は彼女の意見を聞いて、そう疑問を抱く。同時にそれは違うと答えが出た。
彩子も同じだったようで、彼女はすぐに首を横に振る。
「いや、違いますね。大人になる過程での成長具合なんて誰にも分りません。それこそ、本人にだって分からないでしょう」
「そうだな。人間一人一人が違うように、成長速度だって同一じゃない。それぞれの世界がある」
「先輩はどう考えているんですか?」
二度目の質問が彩子から向けられた。言い回しは違っても内容は同じである。
今度も質問で返すなんて真似は出来ない。観念して自分の意見を話す。
「大人になるという事。さっきの彩子の説明は概ね間違っていない。長い時間と経験を重ねて自身を研鑽していく事で、世間から責任の一端を与えられる。そんな解釈だな。ただ、それを詩織に当てはめて考えると、ちょっと違う」
意見の最後に詩織の名前を出す。彩子は、瞬間的に驚いた表情を見せた後、透に尋ねた。
「先輩は詩織さんの遺書については、どう思っているんですか?」
「聞きたい?」
「はい、是非」
彩子が力強くそう答えたので、透は首を一回縦に振ってから口を開く。
「俺は詩織の遺書については一つの結論を出している。勘違いしないでほしいのは、俺が結論を出せた理由についてだ」
「理由?」
首を傾げる彩子。「ああ」っと言って透は説明を続ける。
「そもそも俺は、彩子と違って考察する時間がたっぷりあった。何せ、遺書を聴いたのは高校生の頃だからな。それから何年も経過している。いい加減、結論の一つはくらい出る。だから、あくまで俺の意見。彩子も同じくらいの時間を掛けたら、また違う結論が導き出せるかも知れない。それを頭に入れた上で聞く事」
「はい」
前提条件を説明して、彩子を納得させた。
これを済ませておく事で彩子は、透の意見が絶対と思う事はないだろう。彼女もこれから数年かけてこの問題を解くに違いない。
その参考になれれば、透にとっては充分である。
「さて、知っての通り。詩織は早く大人になり過ぎてしまった。彼女の思考高校生の時点では大人になっている。だが、心までは大人になった訳じゃない。だからこそ、不安定な状態の彼女は大人になりたくないと言っていた。そして、心がまだ大人になれていなかった為、本来なら出来た処理が行えていなかった」
「心が大人になっていなかったから、出来なかった処理?」
「そうだ。それは、詩織の遺書の言葉を借りるなら、アイスの溶かし方と言った方がいいか? 彼女は溶かし方を最後まで知り得なかった。もし、彼女程の人物が今も生きていたら、きちんと処理は行えただろう」
詩織の遺書に出てくる言葉は、彼女独特の比喩で類似例がない。だから、ココは想像で補う他ない。この作業も昔の透には時間を要したものである。
詩織の話すアイスとは、大人になって初めて受ける痛みや悲しみ。高校生なら、そんなモノは受ける事なく、存在すら知らない。それが当たり前である。
しかし、詩織は知ってしまった。
「彩子はアイスの溶かし方を知っているか?」
「どうでしょうか。私なりのやり方でしたら、すぐに思い付くのはありますが」
「それでいい。どんなやり方だ?」
「今の私が当時の詩織さんが受けていたような、痛みや悲しみを受けた時、それを浄化させるにはやはり、大人だからこそ出来る事で対処しています。そう、例えばお酒とかです……」
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