「第11章 エゴイスティックな手記が語るあの日」(13)
(13)
透の指摘に彩子は渋々頷いて肯定する。勿論、彼女が嫌なのは、ホームレスが写真を持っていた事ではないだろう。
「写真は返してもらいました。そのホームレスの方、人の良い感じのお爺さんでしたよ。あの人より全然マシでした」
そう言って、彩子は手記をビニールに入れてからハンドバックにしまった。
「かなり長い時間を話しましたが、私が知っている事はこれで全部です。手記はもう必要ないので片付けますね」
「ああ……」
有無を言わさぬ勢いで手記をしまわれて、テーブルの上が妙にスッキリした。それだけ手記の存在感が大きかったのだ。
「さて、今日の本題へ入りましょうか」
「分かった。彩子が詩織との交換日記を欲しがった時点で、大体の検討は付いている」
透がそう言うと、彩子は「へぇー」っと言って感心した。彼女に続く言葉を言われる前に尚も彼は話す。
「だが、その前に確認したい」
「何です?」
「彩子、お前はあの大学に入ったのは、俺を追いかけたからではないと言った。それは手記を読めば本当だと分かる。だけどそれとは別に、大学で俺を見つけてから、この前ココで俺に詩織の話をさせるまでの間、俺との交友関係は全て演技だったのか?」
透にとって、彩子との関係は大学時代の良き先輩後輩であった。授業を教え合ったり、時には学校帰りに食事に行ったりと、決して不仲ではなかった。
在学中、互いに恋人が出来た時期もあった。だが、その時期も互いに変な意識を持たずに普通に接していたのだ。少なくとも透は、彩子との大学時代をとても楽しいモノと認識している。よって、あの時の全てが、詩織を聞き出す為だけの演技だったとは、とてもじゃないが、考えられない。
否定してほしい。その想いを胸に彩子の答えを待つ。
彩子はゆっくりと口を開く。
「全てというのは間違いです。少なくとも最初の一年は、詩織さんの事を意識しながら接していました。ですが、彼女の件があったとはいえ、先輩とは純粋に後輩として接したつもりです。だからこそ、一週間前に詩織さんとの話を丁寧に教えてくれたじゃないのですか?」
「そうだ、誰にでも話す訳じゃない。彩子が友達だから話したんだ」
「その気持ちは素直に嬉しいです。最初に言った通り、私が今日先輩と美味しいご飯を食べに行きたいのは、本当なんですから」
彩子は、笑顔で透に言った。その笑顔は透が大学時代に何度も見た笑顔だった。
「安心したよ。さあ、本題とやらに入ろうか」
「はい。でも先輩が予想しているのなら、わざわざ私の口から話さなくても大丈夫だと思います。当ててみてください」
挑発的な態度の彩子に透は不謹慎ながら、今の状況が面白く感じてくる。それをいけないと思いつつ、彼の頬は盛り上がるのを抑えきれなかった。
「またか? いいだろう、当ててやる。彩子が知りたいのは、詩織が自殺した本当の理由。そうだろう?」
今日の話から、透が考える彩子の目的はそれしかない。
手記という詳細に記されたアイテムは存在した。しかしあれですら、詩織が自殺した本当の理由までは分からない。
だからこそ、彩子は手記を見せたのだろう。付箋を貼り、読む場所を限定させても、あの内容は中々に酷い。自分が彼女の立場なら、まず人には見せたいと思わない。にも関わらず見せた理由、それはもうこれしかない。
透がそう考えながら、彩子の答えを待っていると、彼女は小さく拍手をした。
「凄い。今の先輩には、もうノートなんて必要ないですね」
「ありがとう」
「先輩が話す通りです。私は詩織さんが自殺した本当の理由を知りたいんです。先輩は詩織さんに一番近い人じゃないですか。あの人みたいに紛い物じゃありません。本当の意味での理解者です」
「湊先生よりは詳しいだろうな」
そこは否定せず同意する透。彩子はそれが嬉しかったのか、嬉々として話を続けた。
「そうですよ。週刊誌や手記には、彼女の自殺の理由が憶測で色々書かれていましたけど、私には、あれらが本心とは思えません。本当言うと、実際は知らないんじゃないかって大学時代に先輩を疑った事もありました。だから、今日は私にとって賭けでもあったんです。でも、先輩は詩織さんのMDの日記まで持っていた。あれは手記なんかよりも遥かに貴重な物。それ程の物を彼女から貰っていると言う事は、先輩ならきっと知っているはずです。教えてください」
彩子はそう言って、最後に深々と頭を下げる。透は彼女に頭を上げさせてから口を開いた。
「まず、知ってどうする? 手記の内容は中々に酷かったが、詩織の自殺理由だって、それに匹敵するかも知れないだろう。彩子なら安易に手を出してはいけないのは分かるはずだ」
彩子を牽制する。無論、ただ彼女に意地悪をしているのではない。話した言葉通り、どうして知りたいのか。それをまず先に知る必要がある。
透はそう考えた。彩子には酷いが、湊を除けば彼女個人の詩織との繋がりはあくまで、勉強を教えてもらっていた先輩に過ぎない。何もかも知るのは、負担が大き過ぎるし、忘れるというのも一つの解決法ではある。
「その言い方をするって事は、先輩は知っているんですね?」
「知っている」
透は何も隠さず肯定する。彩子の口から息を飲む音が聞こえた。
「私、今度結婚するんです。だから、結婚する前に何年も前から抱えていたこの問題にケリを付けたいんです。詩織さんの事、全て分かったら、手記は燃やすつもりでいます。母に渡そうとも思いましたが、元々存在は知りません。それで笑顔になってくれているのなら、いいと思いました。だけど、私は忘れられません。大好きだった詩織さんの事を」
透は腕を組んで長考する。結婚まですると言われたら、話さない訳にはいかない。もし、詩織に聞いてみたら彼女は二つ返事で話して構わないと言うだろう。
透は小さく鼻息を出してから、自分の発言を今か今かと待っている彩子に向かって口を開いた。
「分かった、話そう」
そう言うと、彩子の顔が一瞬上に持ち上がり、安堵のため息を吐いた。潤んだ瞳と両頬を上気させて礼を言う。その礼に応えつつ、透は一つ条件を提示する。
「彩子、話す事は承知した。だけど、一つだけ覚悟してほしい事がある。それを呑んでくれないと話せない」
「覚悟して欲しい事? 何ですか? 私に出来る事なら何でもします」
透が提示する条件が余程、困難な代物と考えた彩子は、前にのめり出す勢いで了承した。透は自分の言い方にも問題があった事を反省して、彼女の前に両手を開いて出す。
「すまん、俺の言い方が乱暴だった。そんなに難しい事じゃないんだ。ただ、話を全て聞いた後、どういう結果に繋がるか分からない。そこを、最初に覚悟してくれって言うつもりだったんだ」
「大丈夫です。詩織さんの自殺した理由がどんなモノであっても、それを受け止めて成長の糧にする覚悟は出来ています」
力強く頷いて、彩子は透の出した条件を呑んだ。
成長の糧という言葉を聞けて、透はつい頬が緩む。そのせいで彩子は首を傾げているが、今はそれを気にしない。
そこまで考えてくれているなら、本当に詩織も文句は言わないだろう。
透はそう思って、つい頬が緩んだのである。
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