「第11章 エゴイスティックな手記が語るあの日」(12)

(12)

 そんな透の心境を知ってか知らずか、彩子の話は尚も続く。


「家を売却した事で借金の問題がなくなりました。けれど、家庭は完全に崩壊。両親は離婚をしました。私は母の実家で一緒に暮らし始めます。その時点であの人とは会わなくなりましたので、どういう生活を送っていたのかは、実際には知りません。ただ、手記にはある程度、記されてしました。あの人はその後、職を探すような事をせず、ホームレスとなり公園で生活をしていたそうです。地頭は良かったから、充分に働ける能力を持っていたのにどうしてか? 私は疑問に思っていました。その点も手記には記載されています」


「どういう風に?」


 透が聞くと、彩子はテーブルの手記を手に取り、慣れた手つきでパラパラとページを捲った。捲られたページには当然ながら、付箋は貼られていない。


「長々と書かれていて、解釈が面倒なのですが、簡潔に述べるとあの人は他人の能力が見抜けなくなり、自分自身の有能性が地に落ちてしまった事がショックだったようです。今までの人生で、周りの人間の能力が高いか低いかを常に観察し続けてきた訳ですから。それが失われると他人とのコミュニケーション方法が分からないのです。それに伴って、自身の能力も大きく低下してしまい、依然のように働く事が出来なくなってしまった。最早、当時の仕事をしていたのは、本当に自分なのかと疑う程だと書かれています」


「そうなってしまったのは、やはり詩織が……」


 その続きを最後まで透は言えなかった。だが、その最後まで言えなかった言葉は、彩子にはちゃんと伝わっており、彼女は一回ゆっくりと頷いた。


「確かに、詩織さんが大きく関係してします。けれど先輩、間違ってはいけません。彼女が関わった事と、あの人が借金を作って家庭を崩壊させた事は無関係です。先輩が不憫に思う必要は一パーセントもありません。同情なんて皆無です」


「大丈夫、分かってるから。そうだ、詩織には一切の責任はない」


 透は頷いて彩子を安心させる。


 たとえ、詩織の行為が湊のその後を左右する原因だったとしても、彼女が責任を負う必要はない。ただ、口にしたくなかっただけである。


 それが、結果として余計な気を遣わせてしまった。


 彩子は透の言葉に「分かっているならいいです」っと安堵の表情を浮かべた。


「話を続けますね。ホームレスとなったあの人と私は、長年会っていませんでした。私が次に会ったのは、あの人が、公園で首を吊って死んでからです。その時、本人が持っていた空の財布に入っていた期限切れの免許証で、警察が私と母に辿り着いたのです」


「手記はその時に?」


「いえ、手記は本人の持ち物にはありませんでした。この手記、私があの人のホームレス仲間から貰ったんです。正確には手記ではなく、駅のコインロッカーの鍵ですけどね。もし、公園に家族が来たら渡してほしいと頼まれたそうです」


「どうしてそんな事を?」


 奇妙な事実に透は眉を潜める。


「おそらく手記の内容に配慮したと考えられます」


「あっ、そうか」


 十年近く前の出来事とは言っても、手記にはありのままに当時の事が記述されている。もっとも事件の中心人物二人は、既に死んでしまっているが、それでも公の場に出回ったら困る人物は少なからず存在する。


 その人物の中には勿論、彩子も含まれている。


「正直、私から言わせれば今更です。そんなミクロな気遣いをする前にもっとやらなければいけない事が沢山あったはずでした」


「ああ、そうだな」


 淡々と意見を言う彩子に若干恐怖を感じつつ、透は同意する。


「それと、人の有能性を見抜く能力が失われたと本人は手記に書いていました。でも、相手がホームレスなら大して問題はないと判断したのでしょう」


「まっ、確かに。預けるだけなら、能力の有無に関わらないからな。でもよく、そのホームレス捨てなかった」


 ホームレスの損得勘定次第ですぐに捨てられてしまう。何より自殺した人間の持ち物なんて気味が悪くて捨ててもおかしくない。コインロッカーの鍵といった換金不可の代物だと尚更である。


「私も疑問に思って、受け取ったホームレスの方に尋ねました。どうして捨てなかったのかって。そしたら報酬に十万円を貰ったそうです」


「十万?」


 ホームレスにしたら……、いやホームレスでなくても魅力的な報酬だ。


「ええ。それに肝心の鍵が、ドコの駅のコインロッカーのなのかは分からないと言っていました。コインロッカーの取り置き期限は長くて三日程度。それを過ぎたら捨てるようにとも言われていたそうです。受け取った時、私は昔住んでいた町の駅のコインロッカーの鍵だと分かりました。あの人はよく、その場所を使っていましたから。家族宛なら、そこしかあり得ません」


「成程」


 十万円の報酬、そして内容自体は難しくない。中々頭の良い作戦だ。案外、湊の能力は、まだ落ちていなかったのではないか。透はそんな事を思った。


「まっ、私が行ったのは、あの人が死んでから二週間後ですけどね。ホームレスの方が、まだ持っていてくれた鍵を手に入れたのは良かったですが、コインロッカーはとっくに空。念の為、管理会社に連絡したら、偶然まだ保管してくれていたので、家族の遺留品という事で受け取ったんです」


「三日過ぎても鍵を持っていてくれた事と、彩子を瞬時に娘だと判断するのは凄いな、そのホームレス。あっ、予め写真を渡していたのか」


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