「第11章 エゴイスティックな手記が語るあの日」
(3)
「興味を失った目を向けられた、まさにあの瞬間。その時の顔こそが、あの人の本当の顔だったなんだと今になって思います。当時の私は、その表情がとても怖かったって感覚しかありませんでしたから。さぁ、続きをどうぞ?」
「あ、ああ」
これまで気を遣って止めるかまで聞いてきたのに、ココへ来て先を促した。
それ程、彩子にとって続けたくなかった話題だったのだろう。
透の目は再び手記へと落ちる。
手記に戻ると、湊は長い苦悩の日々から、ようやく解放される策を導き出したらしく、文章は歓喜していた。その内容は読んでいる透からすれば、まさに滑稽の一言に尽きる。
湊の解決方法は、詩織の有能性を自らの手で潰す事だったのだから。
散々馬鹿にしてきた無能な周囲と同じ事をしようとしている。
それを実行すれば自身も、無能な周囲と化してしまうのに、その事に湊本人は気付いている節はない。潰す行為すら自分が行う事で、特別な意味を持つと本気で信じているのか。もしくは手記に書かないだけで、 本当は気付いているのか。そのどちらかと思われる。
透は現時点が一番読むスピードが乗っていた。彼はどうやって詩織の有能性を潰すのか興味が湧いたのである。
一体、湊はどういう方法を使うのか。
手記のページを捲り、その方法を読んでみると、そこに書かれていたのは、想像すらしていなかった最悪な方法だった。頭を氷のハンマーで殴られたような冷たい衝撃に襲われる。
高校生の頃にそんな事があったとは、とても信じられない。だって、詩織とは何度も会っているのだ。普通に会話をして笑っていた。それは透だけじゃない。彩子を含めた女子生徒。彼女達にも勉強を教えたり、仲良く話をする仲なのだ。
その裏でココに書かれている事が行われていたとは。当時、詩織が平然と学校生活を送っている姿が目に浮かんで、透は瞳が潤み始めていた。詩織関係で、もう涙を流す事はないと思っていたのに、まだ絞りカスが残っていたらしい。
透の目が止まっている事から彩子は、彼が今どの部分を読んでいるか察したようだ。彼女の瞳もまた、潤み始めている。もっとも彼女の場合は、手記の内容を予め把握している。
にも関わらず、瞳を潤ませているのは、透の気持ちを汲み取った表れである。
「すみません、不快な部分を読ませてしまって」
彩子は頭を下げて謝罪する。だが、彼女が謝る必要はドコにもない。透は首を左右に振って彼女の頭を上げさせた。
「彩子が謝る必要はない。まさか、詩織がこんな事態に陥っていながら、気付けなかったとは、俺は一体何をやっていたんだか……」
「先輩も深く責任を感じないでください。普通気付きません。ええ、こんなの誰も気付きませんよ……」
透と彩子は互いに責任の取り合いとなった。
互いに相手を庇いつつ、自分がその責任を感じる事は譲らない。
そこまでの事を二人に感じさせていた湊の行為。
それは、詩織に性的暴行を行って、彼女の自尊心を傷付ける事だった。
そうする事で、彼女の有能性を潰せると判断したらしい。なんと浅はかで愚かな考えだろうか。透は一度 でも自分が彼の感情を理解出来ると思った事が、酷く恥ずかしかった。手記をテーブルに落として、目頭を押さえて上を向く。
そうしないと、今にも涙が零れそうだった。他の客にどう見られようと知った事ではない。最優先すべきは、涙を止める事である。
幸い、周囲の声は耳に入って来なかった。店内に流れるBGMが透の耳にフィルターをかけて、雑音をシャットアウトしてくれている。
涙が落ち着くのを待って透は深呼吸をした後、顔を下げた。目の前にはこちらを心配そうに見つめる彩子がいる。
「気分は大丈夫ですか? もし無理なら、やはり今日はココまでにしましょうか? そんなに急ぐ必要もない訳ですし」
そう言って、再び透を気遣う彩子。
彩子は最初、手記を読んでほしいと言っていた。出来るならば早く目を通してほしいだろう。それなのに透の様子を考慮して、譲歩案を提示してくる。その事を彼は充分理解していたし、同時に感謝していた。
だからこそ、その優しさに応える意味も込めて、透は首を左右に振る。
「今日で読み切る。次回なんてない。心配してくれてありがとう」
「でも、それは……」
彩子の心配を微笑んで遮り透は、湊の手記に目を通し始める。
手記には詩織に行った性的暴行の詳細が嬉々として記されている。感情が文章を通して伝わってくる程、文字は踊っていた。
湊はまず、詩織を出納準備室へと呼び出す。鍵を持っているので、密室は簡単に作成可能である事。更に使用中の札を掛けておけば、大学図書館側であっても一旦時間を置くか、最低でもノックをする。まさに最適化された部屋だった。
透は、詩織が亡くなった部屋が出納準備室だった事を思い出す。
これはどう考えても偶然ではない。このまま読み進めれば全てを明らかになるに違いない。そう思ってページを進める。
初回こそ、一番神経を張り巡らせたが五回、十回と回数を重ねる内に湊の神経は少しずつ緩んでいった。詩織も最初は驚いた表情を見せていたが、すぐに受け入れて、今では何をしても大した反応を見せない。
それを湊は、彼女がやせ我慢をしていると考えた。その事が彼にはとても悦に感じて、彼女の上に立てた。征服出来たと実感させたのであった。
そこまで読んで、透は眉をしかめる。
まるで、味のない酒が体を巡っているような独特の不快感が生まれる。
手記には、湊の心情の他に、より詳細な手法も記されていたが、想像するのが酷く苦痛だったので可能な限り、文字列の集合体として読むようにした。その弊害で少々、読むスピードが遅くなったが止むを得ない。
透はそこで、手記を閉じて席を立った。目的地は心に溜まった膿を吐き出す為のトイレではなく、カウンター。彼はそこで店員に氷水を二人分貰って来た。
一つは言うまでもなく、彩子の分である。事前に彼女に必要か問わなかったのは、仮に彼女が拒否すれば自分が飲めばいいと考えているからである。
「飲むだろう?」
彩子に小さい紙コップに入った氷水を差し出す。
「わざわざすみません。いただきます」
彼女が両手で大事そうに受け取る。透は元の席に座り、氷水に口を付けた。試飲用というのが相応しい小さな紙コップ。彼は一気に飲むような真似はせず、喉に細い川を流すようにして、大事に飲んだ。
「この水が空になる頃には、全部読み終わっているといいんだけど。悪いが、もう少しかかると思う」
「平気です。待ってますから」
そう言う彩子の返事に頷いてから透は、再び手記を手に取り、ページを開いた。水を飲んだ影響か、先程よりは思考が冷静になっている。
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