「第11章 エゴイスティックな手記が語るあの日」(4)

(4)

 行為により、詩織は順調に有能性が壊れてきていると湊は書いていた。


 手記によると、それが確認出来る最も大きな事は、彼女が行為中に笑顔を見せ始めた事であると記している。無反応の期間のまま繰り返すうちに、次第に笑顔になっていったのだ。そしてその笑顔は独特で、悲しく笑っている。


 湊はそれを詩織が屈服したから見せるのだと判断した。悲しく笑うという相反する二つの感情が混ざり合う笑顔。見ているこちら側の捉え方によって、幾分にも変化する彼女の表情は、湊の心に大きな安らぎを与えた。


 また、湊は行為の前に必ず相談という体で詩織と世間話をする。実際に相談はせず、単純に初回時に相談があると呼び出した風習が、そのまま残っているだけである。止めようと思えばいつでも止められる。


 けれどそれをしなかったのは、その相談の時間に彼女に自分の事を話すのが楽しかったから。下手をすれば行為そのモノよりも楽しかったかも知れない。


 あの行為は、あくまで肉体的快楽しかない。極論だが、目を瞑ってしまえば他人と行っているのと大差はない。よって、彼女を占有して話す事は、湊の心にまた違う種類の快感を与えていた。


 この二種類の行為によって、詩織の有能性を潰そうとしていたのである。


 透はそこまで読んで、次のページを捲ろうとする。


 ところが、そのページには付箋が貼られていなかった。彩子が用意した次の付箋は十五ページ程先にある。透は素直に手記をバラバラと捲り、次のスタート地点へと進んだ。


 付箋の色が赤から青へと変わり、次の場面が始まる。


 湊は順調に詩織を占有して日々を送っていた。行為数は既に五十回を超えようとしている。初期こそ、何度か想定外の場面があったが(出納準備室に想像していない来客等)それは回数を重ねる度、自己学習していくプログラムのように、最適化され続けて今では実に手馴れていった。


 放課後に詩織に用事があると言って出納準備室へと誘う。


 これすらも、今では誘わなくても詩織自ら部屋の前まで訪れるようになった。図書室内を通ると他の生徒に見られるので、職員用階段を使うのだが、あの階段を使う人間は、完全に把握しており隙はない。詩織自身も誰にも見つからないように辿り着けるようになっていた。


 そんな日々が続いたある日の事。


 いつものように詩織と出納準備室で二人きりとなり、会話を楽しんでいると、ふと彼女の口から初めて聞く人物の名前が出てきた。


 その人物の名前とは、内田透。


「俺?」


 突如、出てきた自分の名前に透はそう口走る。いつかは出てくるだろうとは思っていたが、予想よりもずっと早い。彼がそう口走った事で彩子には、今どのあたりを読んでいるかが把握出来たようだった。


「あっ、先輩出てきましたか?」


「ああ。意外と早く出て驚いている」


 顔を上げないままそう答えて、再び手記を読む。


 詩織は、透が図書室での閉室時に湊に挨拶をした話をしていた。


 それは透が詩織と会話の接点を作った最初の出来事である。その事は彼自身も良く覚えている。それが彼女の口から語られるのは、とてもこそばゆい気持ちになる。初めて、この手記を和やかな気分で読む事が出来た。


 ところが、それはたった一瞬の事でしかなかった。


 和やかな気持ちになった透とは反対に、湊は怒りを露わにする。


 湊は、詩織の頬にその激情に任せたまま、大きく平手打ちをした。どうして、怒りを感じたのか。今まで性的暴行こそ行っても直接的暴行は一切しなかったのに、何故彼女の頬を叩いたのか。


 そこには湊の生々しい独白が記されていた。


 彼は詩織が透の話をした時に見せた笑顔が気に食わなかったのだ。しかもその笑顔は、普段自分に見せている笑顔とは違って、本当に心の底から笑っている顔だったのだ。


詩織の笑顔を見て湊は、自分が決して彼女を屈服させられた訳ではないと知った。だからつい、反射的に彼女に暴力を振った。暴力を振った事をとても後悔している。彼自身は暴力を振るおうとは、微塵も思っていなかった。そもそも暴力で屈服させるような選択肢は選ばなかったのだ。何故ならば、そういう行為をする事は、今まで散々蔑んできた能力のない哀れな周囲の大人と同列になってしまうと、彼なり考えがあったからである。


 だからこそ、湊は直接的暴力だけはしないでいた。


 ところが、この日初めて暴力を振ってしまう。同列に落ちてしまった。


 詩織は殴られると、すぐに笑顔を消して謝罪してきた。自分が叩かれた現認がを瞬時に理解したのである。


 いつもなら、相変わらず能力の高さに驚く場面であるのに、この時に限っては、湊は大きなショックを受けていたので、それどころではなかった。


 結局、詩織の有能性は低下などしていない。


 その事実に気付いてしまったのだ。悲しい笑顔を見せてくる事で、屈服させたものだと、手中に収めたと考えていた。


 ところが現実は、収めるつもりが逆に収められていたのだ。行為中に見せる詩織の笑顔は、自分を満足させる為に用意した偽物だった。彼女は最初から湊が喜ぶように接していたに過ぎない。


 その部分を読んで透は、湊の愚かさを哀れんだ。彼の行為は最初から一つ足りとも正解がない。それは手記を読んで早々に得た感想である。


 その事に気付いていなかった湊は、ココに来てようやく気付いたようだった。


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