「第11章 エゴイスティックな手記が語るあの日」(2)

(2)

 湊は自分の考えが他人に共感されない事に少しも寂しさを感じていない。


 むしろ、この快感を知っているのは自分だけでいい。わざわざ他人に教えて共有する理由はない。下手に教えてしまうと、快感度合いに変化が生じてしまう。だから、自分だけのこの快感は自分だけに許された特権だ。


 湊慧一郎とは、そういう思考傾向の人間だった。


 ココまでが物語でいえば、プロローグに当たる。次のポストイットまでは大分ページが飛んでおり、そこからが導入部だと分かった。


 透は、一度手記を閉じてテーブルに置き、キャラメルマキアートを口に付ける。


「どうですか?」


 感想を聞いてくる彩子。彼女は透が手記を閉じるまで一言も言葉を発する事なく、その様子を見守っていた。


 透は鼻から苦悩たっぷりの息を出した。


「キツい。この時点でもう読み進めるのが大変だ」


「まだその辺りは序盤ですよ。どうします? 止めますか? どうしてもと言うのなら、代わりに私が手記の内容を要約して話しますけど」


 魅力的な提案が彩子からされる。しかし、それを受け入れてしまうと、わざわざ彼女がココまで手記を持って来た意味がない。


 透は「有難い話だけど……」っと言って首を横に振り、再び手記を手に取る。


「その手記には、詩織さんが自殺した日の出来事が記載されています。おそらく警察も学校も知らない、本当の真実です。私は偶然にもそれを知ってしまいました。辛いのは重々承知ですが、先輩には読んでほしいです」


「そうか……」


 森野詩織が自殺した日の真実。あの日について透が知っている事は少なく、新聞記事や週刊誌程度である。彼は詩織の内面にこそ、一番近い位置にいたが事件そのモノについては、当事者達の中では一番遠いのだ。


 透はあの日の真実を知らない。知らないからこそ、何も考えずに生きる事が出来た。一番大事な事から目を背け続けたのだ。だが、それも終わりを迎えようとしている。そう考えた時、自嘲的な笑みを浮かべた。


その様子を不審に思った彩子は眉間に皺を寄せる。


「何が可笑しいんですか?」


「いや別に。いつまでも逃げられるモノじゃない。って思ってな」


 その言葉を聞いて、彩子は彼が笑った理由が理解出来たらしく、それ以上は何も尋ねてこなかった。透は、また手記へと目を返す。


 手記には詩織が登場した場面から始まった。


 湊にとって、詩織との出会いは人生で一番の衝撃だった。


 詩織はとても高校生とは思えない賢さ、気高さを持っていた。当初、彼女に出会った時、その有能性が成長と共に減衰していく事に酷い落胆を覚えた。意図的に彼女を避けていた日々もある。


 湊は他人の有能性を観察して、哀れむ趣味がある。


 趣味自体は理解出来ないが、普段から他人を観察している彼にとっては、詩織の存在は余程大きかったのだろう。何せ、手記の三ページに渡って、これでもかと言う程、彼女の素晴らしさが隙間なく記されている。


 ようやく、詩織の感想からは抜け出した。


 一時期行っていた詩織を避ける行為は、止めて普通に接し始めたようだった。その理由は、自分が彼女の有能性守るという使命感が生まれたからだ。


 大層な結論である。自分を神か何かと勘違いしているのか。透はそう呆れた。


 そして、詩織と接していく内に新しい発見をする。それは、これまでの常識(あくまで彼の)を打ち破る程だったらしい。


 湊によると、詩織は自身の有能性を全く減衰させる気配がないという。それどころか、その能力は常に上昇しており、限界値がない。


 今まで会った事のない人間、湊はその発見に大いに喜び、同時に深く神を呪った。原因は彼女と自分の歳の差にある。この時点で彼は、詩織を自分の妻にとまで考えていた。だが、障害は星の数だけ立ちはだかる。


 歳の差、世間の目。何より、自分にはもう家族がいた。


 何故自分達には、こんなにも差が出て生まれてしまったのだろうか。


 詩織の無限に上昇し続ける有能性を誰よりも傍で観察したかった。


 手記にはそういった内容の、身勝手な抗議文で埋め尽くされていた。透は彼の主張を読んで、これもある意味、恋愛感情ではないだろうか? っと感想を抱く。歪んではいるが、詩織を所有したい欲求は恋愛感情といえる。今まで読み進める中で、ようやく一つだけ理解出来た。


 ただ、理解出来たというだけで、共感が出来ないのは変わらない。


 湊はどうあっても、詩織の成長をずっと傍で観察する事が出来ない真実に苦悩していた。仕事にも支障をきたして、家族にも冷たく当たってしまう。


 妻と娘には少し疲れているからと言ったが、いつまで欺けるかは分からない。


 透は目の前にいる彩子にこの事を尋ねた。


「今、詩織の成長を傍で観察する事が出来ない苦悩から、家族にも冷たく当たってしまう辺りまで読んだんだけど、この時って彩子は気付いてた?」


 彩子は迷いなく頷いた。随分と昔の事なのによく覚えているもんだ感心する。


「もう結構昔の話ですけどね。覚えていますよ。それまでは私、あの人に怒られた事が一度もなかったんです。夫婦喧嘩している場面にも遭遇した事がないし。何より、怖い顔を見た事がないんです。だから、余計に印象に残りました」


「どんな感じだったんだ?」


「本人は冷たく当たったと書いていますが、ちょっと違いますね。何て言うか、私達家族に一切の興味を失くしたというか、そんな目をしていました」


「興味を失う、か……」


 透がその言葉を重く受けて止めて反復するが、当人はケロッとした表情で続きを話す。それがどこか嬉々としている感じにも取れて、彼の背中は軽く震えた。

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