「第10章 早川彩子」

「第10章 早川彩子」(1)

(1)

「じゃあこのMDディスクは全部……」


 彩子はテーブルのプラスチックケースに入ったMDディスクを見て、そう呟いた。透は首を縦に振って肯定する。


「彩子が高校一年生から亡くなるまでの日記だよ。収録時間は決まっていない。一分程度の日もあれば、五分にも及ぶ日もある。録音モードを最長に設定しているから、一枚のMDディスクに最大容量の三百二十分が収録されている」


「そんなに」


「そう。だから恥ずかしい話。俺はまだ全部を聴けた訳じゃないんだ」


「えっ? そうなんですか?」


 透の告白に彩子が驚くのはもっともだった。彼がこのMDディスク一式を手に入れてから、七年は経過している。ペース配分をかなり緩くしても、終わらない方がおかしい。


 透は苦笑しつつ頬を掻いた。


「やっぱり、全部聴くのは勇気がいるんだ。情けないよな、もうあれから何年も経つのに……」


「いえ、先輩の気持ちは分かりますから」


 彩子がそう慰める。この話が始まった時からは考えられない状況だった。


「ありがとう。現在、俺が聴いたのは全体の半分ちょっと。だから、彩子がどうして、詩織の事を知っているのかも先週までは分からなかった」


 透は言葉の最後に、今日の話の根幹に関わる事を言った。


 彩子はどうして詩織の事を知っているのか?


 それが透の知りたい情報。ただ、目安は彼にもついている。後は彩子の確認が欲しいだけであった。


「先輩は、分かっているんですか?」


「うーん、予想だけどな。だから知らない体でいこうと思ったんだけど、つい口が滑っちゃった」


「なら、答え合わせをしましょう。ですが、その前に問題をはっきりさせる必要がありますね」


「ああ、そうだな」


「先輩が私に聞きたい事はなんですか?」


 彩子は改めて透に質問した。


 予想している答えを透はすぐに話さず、まず問題の提示から始めた。


「一つは、彩子がどうして、湊先生の手記を所有しているのか。もう一つは、湊先生と彩子の関係性について。この二つ」


 右手の人差し指と中指を立てて、透は問題を投げかけた。


 投げかけられた彩子は目を瞑り、少々の間を作った後、小さくため息をした。


「まず、一つ目の湊慧一郎の手記を所有している理由についてですが、これを説明するには、二つ目の質問から答える必要があります。おそらく先輩は、こちらの方には大まかな予想を付けているから、二つ目にしたのでしょう。でも、話をするのなら先にさせていただきます」


「構わない。彩子が好きに順番を決めてくれ」


「ありがとうございます。とは言っても、一応答え合わせですからね。先輩の予想から先に聞かせてください」


 真っ直ぐ透を見据える彩子。


「彩子と湊先生は実の親子だった」 


 透が話す言葉はあくまで予想に過ぎない。詩織の日記にあった内容から考えたのである。


「流石、その通りです。まさかとは思いますが、あの人から聞いたんですか?」


 彩子の問いかけに軽く笑ってから、かぶりを振る。


「まさか。湊先生とは話した事は挨拶程度しかない。予想は付いていたと言ったのは、詩織の日記を聴いたからだ」


「詩織さんの日記に……」


 彩子の視線が自然とテーブルのMDプレーヤーに向けられる。


 透はそのまま視線をこちらに向けない彩子に言った。


「秘密のアーちゃん。あれはお前の事だろう? 日記で言っていたよ。名前をそう呼ぶのは、同じ名前の人物が一緒にいるから。それと彼女の名字は皆に秘密だからだそうだな」


 その名前を出すと、彩子の口元が緩んだ。視線をテーブルへと向けていても、はっきりと分かる。彼女は懐かしむように微笑んでから、顔を上げた。


「その呼ばれ方を聞くのは、随分久しぶりです。私が中学の頃だから、そろそろ十年は経ちますね……」


「じゃあ、やっぱりお前が」


 透の問いに彩子は「はい」っと言って首を縦に振る。


「先輩が今話した通りですよ。私が詩織ちゃんと教えてもらう時には、一対一じゃなくて、複数で教えてもらう場合が殆どでした。その中にいつも、佐野綾子さんがいました。その人と私の名前の読み方が一緒だったんです。だから区別する為、名字を隠す為に私は、今先輩が言った名前で呼ばれるようになりました」


「佐野綾子、聞いた事がある名前だ。確かよく詩織に勉強を教わっていた女子」


 懐かしい名前が、文字として記憶には残っているが元々の繋がりはないので、外見や声は一切出てこなかった。


 しかし、それはこの話を進める内には、そこまで重要視ではないので、特に気にする必要はない。それよりも彩子が当時の詩織と繋がりがあった事を証明出来た事で、新たに一つの疑問が浮かび上がった。


「追加で一つ教えてほしい。俺の事は詩織から聞いたのか?」


 当時の二人の関係は誰にも口外しない約束だった。透は事実、警察にすら(向こうから聞いて来ない限りは)一度も口にしていない。当然、詩織も同じだと、いやむしろ彼女は自分よりも秘密を強固に守る人物だと思っていた。


 ところが、彩子が自分達の関係を承知済みだった事について。最有力の情報ソースは詩織しかあり得ない。


 他校、年下だから秘密を打ち明けても露呈しないと考えたのだろうか。


 透がそこまで考えていると、彩子は手を左右に振った。


「違いますよ。詩織さんからは何にも教えてもらっていません。これは私だからではなく、勉強を教えてもらっていた誰もがそうでした」


「そうか。じゃあ、本当にどうやって?」


 詩織が外部に口外しなかった事。それが彩子の口から証明されて、安堵のため息を吐きつつも追求する。


「綾子さんからです。大体、先輩が警察にバレたのって彼女が発信源なんですよね? 本人が非常に悩んでましたよ」


「あー。そっちね、成程成程。いや、別に大丈夫。バレても大丈夫なように交換日記があったんだから。そっか、佐野さん悩んでたのか。結局、俺とは一度も会話らしい会話をした事がなかったから。彼女がそこまで悩んでるなんて知らなかったよ。今、何やってるんだろう? 彩子なら連絡取れないか」


「残念ですが、綾子さんとはもう何年も会っていません。彼女とは自然と疎遠になってしまって……」

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