「第9章 大人達はすぐに騙された」(4)

(4)

 一度引っ込んだ怒気が再び顔を出して、小さな震えがプラスされている。このままではマズいと、努めて冷静に諭すようにして透は話す。


「いいか。どこで交換日記の存在を知ったのか知らないけど、あんな物は最初から意味がないんだよ」


「意味がない?」


 その言葉に彩子の怒気が薄まり、疑問へと変化していった。やっと話が通じる段階に入ったと安心した透は肩で一回息をして、「そうだ」っと頷く。


「あれは元々、騙す為に作ったんだ。最初から嘘八百の代物なんだよ」


「騙すって誰をですか?」


「大人達」


 交換日記本来の役割を透は簡潔に明かした。あの交換日記は最初からその為だけに存在していた。用済みになればもう意味はない。


 もうこの世にはないのだから、透自身も忘れていた程だったのに、まさか燃やしてからも出てくるとは思わなかった。そのしぶとさにある意味感心する。


「交換日記という詩織直筆の代物があれば、彼女が自殺してしまった動機を探す手掛かりとして、これ以上の物はない」


「その為にわざわざ生前に彼女は直筆で偽の交換日記を用意したと? 悪いですけれど、とても信じられません」


 先程より怒気はないが、信じられないといった態度は変わらなかった。無理もないと思った透は、軽く鼻息を吐いてテーブルに置いていたMDプレーヤーを手に取る。


「大人達を騙す。それだけ抜粋すると胡散臭く感じるけど、もう一つのきちんとした理由がある。それがこのMDプレーヤー。これを大人達の目から隠す事こそが本当の目的だったんだ」


 手に取った銀のMDプレーヤーを彩子に渡す。あちこちの塗装が剥げて、外装が残念な状態になっているが、使用には問題ない。彼女は注意深くそれを観察していたが、やがて「あっ」っと小さく声を上げて、ある事に気付いた。


 その反応に透は頷く。


「これは詩織が愛用していたMDプレーヤーだ。当時の物にしてはかなり豪華で単独でのアナログ録音機能が付いている。小さなマイクケーブルがあれば、このMDプレーヤー単独の録音が可能な機種なんだ」


 透は発売当時の値段を調べた事がある。なんと、四万円を超える代物であった。


それ程の高価な物を高校生が買うのは大変だ。ましてや詩織は、当時アルバイトを行っていない。ならば尚の事、大事にしていた事だろう。


 それ程の品をどうして今、透が持っているのか。


 本来ならば、形見として詩織の親族が持っているはずではないのか。目の前の彩子はそう言いたげだった。透は彼女が今にも口にしそうなその疑問を解決すべく、ある事を質問する。。


「彩子、イヤホン持っている?」


「ええ。持ってますけど……」


「じゃあ聴いてみるといい。それで全部分かるから」


 彩子は、ハンドバックから白いカナル型のイヤホンを取り出した。そして、未だ状況が読み込めぬまま、コントローラーにイヤホンを挿す。


「一曲目は、洋楽が入っているから。二曲目から聴いてくれ」


 言われるがままに、彩子は一曲目のトラックを飛ばして、二曲目から再生する。


 周囲に座っている客の話声が大きいので、彩子は自然とイヤホンに手を当てて、集中して聴く姿勢になった。もう透の声は聞こえないだろう。そんな事を考えながら、彼女の反応を見守る。


 ……やがて。


 彩子の瞳が弾かれたように大きく見開いた。


 その表情は酷く驚いている。ああ、ようやく始まったかと透は思った。


「嘘……」


 そう小さく呟くと彩子の瞳はみるみる内に潤み始めて、今にも泣きそうな顔になる。いや、既に泣き始めているのかも知れない。


 途端に両目を手で隠してしまったので正確には透には分からないのである。


 それからどれくらい時間が経過したのか。


 震える息遣いの彩子がイヤホンを外すまでの時間は、とても長く、また僅かな時間にも感じられた。


 ハンドバックから水色のハンカチを取り出して、彩子は目に押し当てた。


 それから深いため息を吐く。そして、コントローラーからイヤホンを外して、透にMDプレーヤーを返した。


 透はそれを大事に受け取った。


「どうだった?」


「……ズルいですよ。こんなの……」


 透の問いに声を震わせながら答える彩子。


その声にはもう怒気なんて一切込められていない。それどころか正反対の穏やかさえ感じる。


透は手の中のMDプレーヤーに視線を落として一度優しく撫でた。


「これが詩織の本当の日記なんだ」


 MDディスクには録音された森野詩織の声が日記という形で収録されていた。

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