「第6章 ガラスの中の平行線」
「第6章 ガラスの中の平行線」(1)
(1)
翌日、倉澤は立林に言った通り、午前九時には高校に着いていた。
昨晩、本部に帰ってから、最低限の仕事のみ手を付けた。お蔭で寝不足気味で軽度の頭痛がするだが、体を動かす事に大した支障はないので無視する。
今回、倉澤は個人で動いている為、菱田を同行させるつもりはなかった。しかし、現地では既に彼が到着しており指示を待っていた。(倉澤は本部に見つからないようにわざわざ車を使わなかったのに、彼は自分の車でやってきたのだ)
「呼んでないだろう……」
開港一番、挨拶してくる菱田に呆れ顔でそう言う。
「そうは言われましても、僕だけがデスクワークしていたら、怪しまれますから。それに、捜査に頭数が多い方が有利なのは基本でしょう?」
「出世したい癖に」
「まあまあ、今日一日程度なら平気ですよ。現場だってそのままだから、色々片付けないといけない物もあるし」
そんな事は巡回中の警察官に任せれば済む話である。
「やれやれ……」
軽くため息を吐いて倉澤は観念する。
校舎内は静かだった。一応、ココに来る前に電話連絡をしていた。昨日覚えた職員室に二人が向かって、ノックをして中に入る。
そこには数人の職員がいるだけで、空いているデスクが多数存在している。時間が時間なだけに教師は教室にいるのだろう。
僅かに残っている教職員連中の中に、教頭の小渕の姿を見つけた。彼は入って来た倉澤と菱田の姿を見つけると、すぐに席から立ち上がり、駆け寄ってくる。
「おはようございます。先程、事務から話は窺っておりました」
「朝早くから申し訳ありません」
「いえいえ。今日は我が校の校長が来ています。ただ、今はこの後行われる全校集会に準備の為、すぐに会うのはちょっと……」
歯切れの悪そうに言う小渕。すぐに倉澤は手を振る。
「構いません。今日は、昨日の補足や簡単な現場処理に参りました。急いではいませんので、待たせていただきます」
「そう言っていただきますと、こちらとしても助かります。良かったら昨日と同じく応接室でお待ち下さい」
小渕は、自身のデスクに置いてあった鍵を倉澤に手渡す。それを受け取りながら、一つ思い出したように「あっ」っと倉澤は短い声を出した。
「そうだ、立林先生は今日来られていますか?」
「えっ? ええ。勿論です。彼女は亡くなった森野さんの担任ですから」
突然の事を問われて一瞬自身のペーがを乱される小渕。
ペースが正常になる前に倉澤はたたみ掛ける。
「お忙しいのは重々承知なのですが、彼女と話す時間を今貰えませんか?」
「今は、ちょっと……」
苦い顔をして言葉を濁す小渕。冷静に考えて、担任である立林は他の教師に比べて忙しいのは当たり前である。だが、この機を逃すと次に話す機会は遥か彼方だ。倉澤は頭を下げて頼み込む。
「十分、いや三分で結構です。ちょっと聞きたい事があるだけなんです」
「頭を上げてください。あの、私で良かったら聞きますが?」
「いえ、教頭先生ではなく担任の立林先生と話がしたいのですよ」
「困りましたねぇ~」
「もし立林先生との時間を用意してもらえるのでしたら、校長先生とは今日無理に会おうとは思いません。そちらからご連絡を頂ければ、改めてお伺いします」
倉澤の懇願に小渕は腕組みをして考える。やがて、自分の腕時計をちらりと見て、何らかの時間計算が終了したのか、小さく鼻息を出した。
「しょうがない、いいでしょう。場所は応接室、時間は五分で宜しいですか?」
「お手数をお掛けして申し訳ありません」
再び頭を下げる倉澤。一歩下がっていた菱田も同様に頭を下げる。
「では、応接室でお待ち下さい。立林を呼んで参りますので」
「はい、宜しくお願いします」
倉澤と菱田の二人は先に応接室にて、立林が来るのを待つ事にする。
約十数時間ぶりに入る応接室は、当然だが何も変わらない。二人は昨日と同じ定位置にそれぞれ落ち着く。
「頭を下げた効果がありましたね」
「ああいう手合いの人間は、頭を下げられるのがたまらなく好きなんだ。しかも相手は警察。優越感は相当なんだろう」
「それを分かってて使うあたり、倉澤さんはやり手ですね」
先程の光景を思い出したのか、菱田は軽く微笑んだ。
「歳を食えば誰でも出来るようになる。問題は頭を下げられるプライドを持っているかどうかだけだ」
頭を下げない事に固執して、その先に得られる物を見失ってしまうなら、頭くらい喜んで下げる。それは倉澤がこの仕事で得た経験だった。ただ、本当に賢い人間なら頭を下げなくても良い解決法を知っているのだろう。
そう例えば、森野詩織ぐらい頭の良い人間が刑事になったとしたら……。
午前中でまだ頭の回転が鈍っているのか、ついくだらない事を考えてしまう。思わず自嘲気味にため息が出た。丁度その時、応接室のドアがコンコンっとノックされた。ノックの感じですぐドアの向こうにいるのが、立林だと分かる。
軽く菱田に目配せをした。彼は黙って頷いてドアを開ける。
「おはよう倉澤君」
「おはよう、立林先生。昨日はよく眠れた?」
「ええ、ありがとう」
「そりゃ良かった」
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