「第5章 完璧なる迷路」(6)

(6)

「最初、森野さんが勉強を教えているのは、親切心からだと思ってた。でも、実際はそうじゃない。教えられた子は全員点数が上がっているけれど、それは一時的に過ぎない。次も教えてもらわないといけなくなる。あの子に一度勉強を教えてもらって、その後は一人でやっても決して成績は伸びない。それどころか、点数が下がる時すらあった」


「周りの学力をコントロールしていたって事か? そんなの不可能だろ? どうしてそんな事が起こるんだよ」


 森野詩織が、いかに他人に効率良く勉強を教える事が出来ても、所詮同学年のクラスメイトでしかない。一人一人の学力を調整して、自分に依存させる事が出来る訳がない。そんな事は不可能だ、あり得ない。


 立林は彼女が死んでしまったショックで話を誇張しているのだ。リラックスさせた気でいたが、まだ早かったかと倉澤は後悔し始める。


「森野さんは教えている生徒に合わせて勉強のレベルを変えているってさっき言ったでしょう? それは具体的に言うと、彼女は一人一人に手製のプリントを作成して教えていたのよ。パソコンで問題を作ったり、解説を加えたりして。凄いわよね、普通の女子高生がそんな事までするなんて。そのプリント一度見せてもらった事があるけれど、凄かった。お金を取れるレベルだった。つまり、彼女のプリントを確実にこなす事で、成績は上がるようになっている」


「っと言う事は……」


 倉澤は気付いた事を言いかける。すると、すかさず立林は口を開いた。


「逆を言えば森野さんのプリントがないと、確実に成績は下がってしまう。だから皆、彼女の作ったプリントに依存する。そういうシステムになっているの」


「凄いな。頭が良いのを超えて少し怖いよ。って事は、これまで彼女に教えてもらっていた子達の成績が、今後軒並み下がるのか」


「でしょうね。きっと一気に下がるわ。もう皆、教師の授業よりも森野さんのプリントの方を大事にしていたから」


 立林の話で大分、森野詩織の人間像が大分はっきりしてきた。


 カーナビの目的地まで残りはそうない。このあたりが限界だろう。


 そろそろ、こっちの話もしなければいけない。倉澤はそう決めて、軽くアクセルを踏む。グンっと慣性力と共に気持ちのスイッチを変えた。


「そう言えば、一つ教職員連中に言い忘れてた事があったよ」


「何?」


 ずっと話していた立林の声色からはすっかり最初の緊張が抜けていた。


「実は君達に事情を聞いている間、彼女の遺書が見つかったんだ」


「嘘……」


「本当。ブレザーの内ポケットに入ってたんだ」


 立林は驚いて目を見張る。緊張が解けた状態でもこの反応なのだ。もし最初に話していたら、大変な事になっていただろう。


「中身は? 何て書いてあったの?」


「ルーズリーフ一枚に手書き。内容は短く、“ノートはいつも貴方の傍にある。だから私はもう大丈夫”それと日付が二つ、2008.10.22 2008.11.18。二つ目の方は、今日の日付だから、一応警察としては遺書として処理する事にした。内容は意味不明だが。現物は今、筆跡鑑定の為にウチが預かってる。コピーで良かったら明日には用意するけど?」


「ありがとう、貰えるかしら」


 立林の希望に倉澤は「了解」と短く告げてから、言葉を続けた。


「それで、意味は分かるか?」


「いいえ。内容も一つ目の日付が何を指すのかもさっぱり分からない。その日付は別に学校行事でも何でもない平日よ。残念だけど分からないわ」


「問題としている文章は、“ノートはいつも貴方の傍にある”の方だ。文面から察するだけだと、誰かにノートを貸している。又はノートを探している人間に教えている。っと捉えるのが一般的だが……。立林から森野詩織の話を聞くと、もっと深い意味があるような気がする」


「……調べられるの?」


 その質問に、倉澤は少し間を置いてから答える。


「少し難しい。事件性がないので、警察自体はそこまで動かないから。遺書の筆跡鑑定も念の為だ。遺体が語る状況は間違いなく、彼女の自殺だと言っている。それが覆らないと捜査は本格化されないし、今のところその予兆はない」


 多少引っ掛かる点を倉澤と菱田は感じているが、それだけではまだ不十分なので、それを立林には説明しない。


「そっか、そうだよね」


「すまないな」


 諦めたような立林のため息が車内に充満する。


 カーナビを見ると、そろそろ到着する。収穫は充分にあったし、立林をリラックスさせる効果も得られた。この送迎は当たりと言える。


 そこからは到着するまで、二人の間に一切会話は交わされなかった。家の前に着いた時、立林がココだと言ったのが最後である。


 立林の家は比較的新しい一軒家だった。灰色の平坦な屋根の上にはソーラーパネルが乗っている。雨戸が閉められているので、外からは様子は見えないが、門燈が点いている事から、誰かいるのは確実だった。


 立林はこの家で両親と同居している。兄弟姉妹はいないので、三人家族だ。


 車を家の前にハザードを出して一時停止すると、運転席から降りて座っている助手席を開ける。


「ありがとう、わざわざ送ってもらっちゃって」


「大丈夫。それより今日はぐっすり寝ろ。まあ無理だとは思うけど、その努力をしてくれ。明日は朝早く高校に行くよ」


「分かった、また明日。お休みなさい」


「ああ、お休み」


 立林が門を開けて、玄関のドアを開けるのを倉澤はじっと見ていた。彼女がカバンから鍵を取り出して、ドアを開けると、中から暖色系の明かりが外に漏れる。彼女はこちらを一度も振り返る事なく、玄関のドアを閉めた。


「ふうー」


 一仕事終わった倉澤は盛大にため息を吐いて車に乗り込む。


 本部に帰るまでの間、頭は今回の件について纏めを行っていた。


 亡くなった森野詩織という人間。


 多少引っ掛かるが、自殺で間違いないと主張する現場。


 そして、不可解な遺書。


 まだ、忌引きで休んでいた日に残っていた書類だって、机の上に残っている。事情が事情なので、提出期限の延長は可能だろうが限度はある。


 それに立林にも説明した通り自殺が確定している現状では、日に日に活動に制限かかってしまう。今の御時世、下手に動いてマスコミの目に捕まるのは避けなければいけない。


 問題は山積みである。


 倉澤は本部に向かって、車で夜の国道二号線を走っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る