「第6章 ガラスの中の平行線」(2)
(2)
立林の顔色は思ったより良い。酒に頼るような幼稚な真似はしないだろうから、恐らく睡眠薬を使用したのだろう。そう感想を抱きながら、倉澤は立ち上がり入口付近に立ったままの彼女に近付く。
「さあ、入ってくれ」
「でも、私これから……」
立林が言おうとした事を察した倉澤は、すぐに彼女の言葉を遮る。
「ああ、だから時間がないな。ソファには腰掛けなくていいから、取り敢えず中に入ってくれ。流石にドアが開いたままだと都合が悪い」
「分かった」
立林はそう言って応接室に入った。ドアを開けた菱田は彼女が入るとすぐにドアを閉めて、入口付近に立っている。まるで、捕らえた姫を逃がさない意地悪な門番のようだった。
お互い応接室のクリーム色の壁に背中を預けた。腕時計を確認する倉澤。
こうしている間のも容赦なく秒針は走り続ける。さて、あまり時間はない。
「端的に話そう。この後の予定はさっき教頭先生から聞いた。全校集会が行われるんだろう?」
「だから朝からバタバタしているわ」
「まあ、この手のパターンを職業上知っているから、この後の流れも大体分かる」
全校集会の後は、生徒を家に帰して三日程の休校とする。
その間にマスコミへの会見準備、外部専門家を招いての調査委員会の設立。
更に学年保護者への説明会。最後に親しい生徒へのケア。
基本的な事はこれくらいである。
後は自殺した生徒の両親の許可が出れば、クラスの生徒を葬式に参列させる事が出来る。
ココで倉澤は森野詩織の両親について、思い出していた。
両親は彼女が小学生の時に離婚しており、現在は母親と二人で暮らしている。
確か名前は森野夕美。学生時代の海外留学で得た類い稀なる語学力を生かしてコンピューター関係の外資系企業に籍を置いている。随分と仕事が忙しいようで、昨日も病院で冷たくなった娘と再会したのは、夜も遅い時間だった。
一応、その際に森野夕美に会っている。母娘の割には電話対応が冷たかったが、娘を見て涙を流していたので相応の愛情はあるようだった。その際に筆跡鑑定の為に彼女の手書きの物を貸してもらう交渉を行った。
現在、その作業中であり数日中に分かるとの事。なので、心苦しいが遺書はその時までは渡せない、代わりにそれ自体を写真に撮った物ならと遺書をそのまま撮影した物を渡した。倉澤は頭の中で状況を整理する。
しばしの間、思考に没頭していた倉澤に立林は口を開く。
「話す事がないなら、教室に帰りたいんだけど……」
「あっ、悪い。実は一つ頼みがあるんだ。亡くなった森野詩織さんと親しい友人を一人、集会が終わってからココに連れて来てくれないか?」
「えっ、でも森野さんは」
「分かってる。昨日言ってた勉強を教えている生徒で、立林から見て、特に一緒にいる生徒を一人、連れて来てくれ。なに、ちょっと話を聞くだけだから」
森野詩織に一般的な友人関係は存在しない。ならば彼女が勉強を教えている括りから一人見繕えばいい。ただ、それも誰でもいいと言う訳ではなく、彼女と長く一緒にいる子の方が何かと都合が良い。
「どうしても?」
そう尋ねる立林に倉澤は弱弱しく首を縦に振る。
「ごめんな、仕事なんだ」
「分かった、そう言われたらしょうがないわね」
「助かるよ。全校集会が終わって生徒がまた教室に戻って、解散するのって何時間後ぐらい?」
倉澤の問いに腕を組んで、立林は時間を計算する。
「えっと、大体一時間。いや、大目に見て二時間後かな」
少なくとも二時間は動く事が出来る事が判明した。
「了解。二時間後に生徒を一人、連れてきて。その時間にはココにいるから」
「うん、分かった。それじゃ、そろそろ行かないと」
「ああ、時間を取らせて悪かった」
倉澤は最後にもう一度謝り、応接室のドアを開けた。廊下に出た立林は、パタパタと音を立てて教室へと戻って行った。そのままドアを閉めて、壁にもたれ掛っている菱田に向かって口を開く。
「二時間の自由時間が確保出来た。今の内に出来る事は全部やるぞ」
「はい、了解です」
菱田は早速、胸ポケットから手帳を取り出して、メモを取る姿勢に入った。
しかし、口元は緩んでいる。真剣味が感じられない菱田に倉澤は眉を潜めた。
「何が可笑しい?」
「すいません。今回は頭下げなかったなって」
どうやら口元の緩みの正体は、先程の二人の会話らしい。
「彼女に頭を下げても何の効果もない。無駄な事はしない主義なの」
「覚えておきます」
「そんな事覚えなくていい。それより頼みたい事がいくつかある」
「何でしょう?」
ようやく頬の緩みを取り終えた菱田に向かって指示を出した。
「教職員連中について簡単に経歴を調べてほしい。特に注意すべきは司書教諭の湊。彼についての資料はあればあるだけ困らない。用務員の墨田の方はそんなに気合い入れなくていいから。それと可能であれば、筆跡鑑定の結果を。あの連中仕事が早いから、簡易結果くらいなら出ているかも知れない」
「分かりました。では、僕は一度本部に戻りますね。朝から二人共いないと、流石に面倒ですので」
「頼む。俺はこの学校からは出ない。現場かこの部屋にいる。何かあったら携帯電話に連絡をくれ」
時間を置いてから現場を一人で見る事で得られる発見の重要性を倉澤は良く知っている。
また、菱田が本部に戻っている間に森野詩織のクラスメイトの名簿を手に入れる必要がある。立林はいなくても、職員室に行ったら誰か貸してくれるだろう。彼女が誰を連れて来るまでは読めないが最低限、顔と名前は覚えておきたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます