皮を剥ぐ

 下水の中を歩いているようだった。

 薄暗い地下の廊下を、女は何かから逃げるように走っている。濁った水が腰の位置まで上がっていた。バシャバシャと水飛沫を上げながら女は走る。

 廊下の途中に、斧で乱暴に砕かれたように穴の空いた扉があり、ちょうど女一人が通れるだけの隙間だった。女は、腰まで上がった水に押し流されるようにその隙間に飛び込んだ。

 そこから道中のことが思い出せない。

 どうしてこうなったのか。どうしてこうなってしまったのか。

 女は薄汚いコンクリートの部屋で、手術台に体を縛られて横たわっていた。泥水で汚れていた体はまるで何事もなかったかのように乾いている。

 すぐ傍には男が立っていて、その手には片手で持てるサイズの電動ノコギリがあった。ふいに女は、以前見た映画を思い出す。男がチェーンソウで残酷に人を殺していくという内容だった。

 目の前の男は、映画で見た男によく似ていた。これから自分はこの男に全身の皮を剥がれるのだ。そんな直感がした。

 喚いても暴れても、体の拘束は解けない。男は穏やかな声で「大丈夫だよ、大丈夫。痛くないから……」と囁いて、女の腕を取り電動ノコギリを当てた。後はスイッチを入れるだけだ。

 女の心拍数が上がっていく。

 喉が引きつって、涙で視界がぼやけだした。

 とてもじゃないが、見ていられない。女がきつく目をつぶると、やがて男が電動ノコギリのスイッチを入れた。

 チュイン。

 チュイン。

 チュイン。

 予想に反して、痛みはない。スイッチを入れてはすぐに止め、スイッチを入れてはすぐに止め、男は一定の間を空けて電動ノコギリを当てている。ほんの少し、ほんの僅かずつ削っていくことによって、女への痛みを軽減させているようだった。

 あぁ。確かに痛みはない。

 チュイン。

 チュイン。

 チュイン。

 少しずつ少しずつ、電動ノコギリが音を立てる。痛みはないが、女は目を開けることはできない。その光景を見たらきっと自分は発狂してしまう。

 電動ノコギリが腕の表面をなぞっていく感覚がする。男の手つきはまるで熟練の美容師のように丁寧だった。だけど紛れもなく、この腕に当たっているのは電動ノコギリの刃なのだ。

 自分の腕の皮膚の間を電動ノコギリが這っている感触がする。痛みはないのに、する。

 ぬるついた温かい血液に濡れた刃が腕を這う感覚が、確かにする。

 チュイン。

 チュイン。

 チュイン。

 どうか、腕を持ち上げたまま作業を続けないでほしい。痛みはない。痛みはないのに。皮膚と腕の隙間に電動ノコギリが潜り込んでいるせいで、腕の自重で皮膚が引っ張られる。リンゴの皮を剥くのを想像したらわかるだろう? リンゴの身と皮の間に刃を当てて、どんどん中に入れ込んでいくと、次第に皮は身の重さに耐えられなくなっていく──

 ボドッ。

 鈍い音がした。腕の皮が途中で破けたのだ。

 女は思わず目を開いた。そして、見てしまった。血に濡れた作業台。そして、筋肉の繊維が露わになった、皮の剥がれた赤々とした自分の腕を。

 その衝撃で、肉体が全ての痛みを思い出した。

 正気の女が最後に聞いたのは、頭に響くほど耳障りな自分の絶叫だった。

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