第385話:変貌

「誰にも頼れず、誰も味方がいない。味方どころか周りは全て敵に見えるし、先は見えねえ。そんな状態になった人間が何を思うか知ってるか」

「…………ッ」


 左手で首を締めて吊り上げる。

 何かを言おうとしているが、言葉は出て来ない。

 当然だ。

 首を締めているのだから。

 緩める気もない。


 両手で俺の左手を外そうとしているが、そもそもの地力が違いすぎる。

 シエル並の魔力?

 だからと言ってシエルと同等レベルに魔法を扱えるわけではないし、身体能力だけで言えば俺はアスカロンをも上回っているのだ。


 魔力だけのゴリ押しでは勝てない。

 それを一番よく知っているのは、俺自身である。


「死を望むんだよ。本気でな。本気で――生きている理由を見失うんだ」


 未菜さんや柳枝さんがダンジョンを攻略していなければ。

 高校を卒業し、知佳と出会っていなければ。

 

 俺は今、この場にいなかったかもしれない。

 ぬいちゃんは俺の命運はダンジョンに落ちた時点で尽きていると言っていたが、俺からしたらそれまでにも幾度となく命を救われたような場面があったのだ。


 今は、もう克服した。

 その暗い気持ちも、考え方も、全て。

 

 知佳のお陰だ。


 だが――

 


 左手に力が入る。

 このまま絞め落とす――絞め殺すことさえ今の俺には容易にできる。

 

「恨み骨髄に徹するってな――お前を、この場で、殺すことに」


 ギリギリと。

 ミリミリと。

 奴の命に、手が届く。


 男の体がガタガタと震えだす。

 死の気配。

 俺も何度か感じたことのあるそれは、迫りくる恐怖に耐えることが極端に難しい最悪の毒だ。

 それはこの男も同じこと、ということなのだろう。


「何の躊躇いも無い」

 

 ぐるん、と男が白目を剥いて気絶したタイミングで、俺はぱっと手を離した。

 どさり、と意識のない人間特有の危なっかしい体勢で地面に落ちた男はその衝撃で目を覚ます。


「はっ――はっ――はぁっ――はっ――」

「――わかったら聞かれたことへ正直に答えろ。嘘が混ざっていると判断したら、四肢を末端から磨り潰す。お前、仮にも受肉したってことは――殺したら死ぬんだろ?」


 こくこくこくこく、とタガの外れた赤べこのように頷く男。

 

「じゃあ誠実になれ。まず、セイランのことだ。あいつは今どこにいる?」

「それ、は……」


 言い淀んだ男の左足の甲を踏んで潰す。

 

「ぐ――ッ、ア……!!」

「さっさと言わないと先に死んじまうぞ」

「私……は゛っ……あの方を売ったりは……ッ」


 ゴリ、と更に左足の先を潰す。

 

「――――!!」

「そうか。じゃあ別の質問をしよう。何年か前、お前はとある男女に呪いをかけたな?」

「…………」


 右腕をすり潰す。

 男は声にならない悲鳴をあげる。

 

「即答しろ。呪いをかけたな?」

「は……い……」

「何故だ。何のために彼らに呪いをかけた?」

「…………」


 右足を潰す。


「答えろ」



「運命力の強い者を殺すため――だろう」


 

 男が答える前に、ぬいちゃんの声が俺の耳に届いた。

 

「……運命力の強い者を殺すため?」

「強い運命を持つ者は、その使命を果たすまでほとんど死ぬことがない。しかし例外も2つだけある」

 

 ぬいちゃんの説明を聞きながらも、俺は男から視線を外さない。

 もし逃げようとするようなことがあれば即座に殺す。

 その準備の為だ。


「1つ、強い運命力でも抗えないほど強い死を与える。強力なモンスターの出るダンジョンへ落とす、等のな。つまりは力技だ」

「…………」


 ぴくりと男のまつげが震えた。

 どうやら図星なようだ。

 

「そしてもう1つ。肉親によって与えられた死は運命による守護を貫通する」


 ガツン、と頭を殴られたような錯覚。

 肉親によって与えられた死?

 つまり。


 親が子を。

 子が親を。

 

「お前……子殺しをさせようとしたのか……?」

「…………」


 沈黙。

 つまり肯定だ。

 

「ふざけるんじゃねえぞ!! この屑野郎が!!」

「…………殺してください。私はこれ以上、何も喋りません…………このまま生きているのも……」


 男は目を閉じる。


「…………面倒だ……」

「……そう簡単に殺すかよ」

「では……一人くらいは……道連れに……どうせ自我は……私のものではない……」


 男はんべ、と舌を突き出すとその上に何か赤黒い丸薬のようなものが乗っている。

 それを俺が止める間もなく、ごくんと飲み込んだ。

 

「――!?」


 強い脈動と共に、俺は弾き飛ばされた。

 魔力も跳ね上がっている。

 先程まではシエルと同等だったが――



 今はアスカロンにも並びかねないほど、強大に。

 そして、凶悪に。


 奴の体が醜く膨れ上がり、ベリアルが聖王を変化させた時のような姿になる。

 時のような――ではなく。

 これはもはやほぼ同一と言って良いのではないか、と思うほどに気配が同じだ。


 

「――――にィ、ぇリ――ィ――」


 赤黒い風船のような化け物は聞き取れないほど甲高い不気味な声で鳴くと、こちらに向かって勢いよく腕……というか触手のようなものを叩き込んできた。

 受ける――とやばい。

 咄嗟に躱すと、地面がまるで豆腐のようにぶっつりと抉れている。


「フレア、シトリー、シエル。まだ手を出すなよ。俺がやる」


 返事を聞く前に俺は駆け出す。

 身体能力だけで言えば俺はアスカロン以上だ。

 

 仮に魔力が奴と同じくらいだとしても、負ける気はしない。

 相対的に小さくなった頭を蹴り飛ばす。

 

 が、まるでゴムを蹴ったかのような硬い感触。

 効いている気は全くしない。


 なるほど、どうやら力押しでは無理なようだ。


「――も――ダ――」


 何事かを喚きながら、触手をびたんびたんと周りへ振り回す化け物。

 別に当たらなければどうということはない。


 だが、近づきにくいのは事実だ。


「……さて、どうしたもんか」

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