第368話:一杯食わされる

1.



「交渉」


 知佳が静かにぽつりと呟く。

 その低いトーンの声に、ビクゥッと肩を縮めて冷や汗をダラダラ流しているのは鈴鈴だ。


 そしてそこから少し離れたところで正座している俺も同じ反応。


「にしては一方的に条件を突きつけてるだけ」


 ベッドの上に脚を組んで座り、日本から持ってきたのか閉じた扇子でぺちぺちと掌を叩いている知佳の姿はなんというか凄みがある。

 ヤーさんの姉御みたいだ。

 マジ怖い。

 いや、本当に。


「対価として差し出すつもりだったものは、何?」


 ちなみに綾乃とティナは元の部屋で待っている。

 ティナに知佳のお怒りモードを見せるのは刺激が強いという綾乃の判断だろう。


 最初は鈴鈴の存在を隠そうかと思ったが、俺如きの頭脳で知佳相手に隠し事ができるはずもなく。


「ええと……」

「何?」

「り、鈴鈴の体ヨ……」

「ふぅん」


 知佳はこちらを向いた。

 ま、魔王と対峙した時よりも威圧感があるぞ。


「ということだけど。悠真は鈴鈴が迫ってきたらどうするの」

「断ります」

「何故?」

「……事情が事情だから、そもそもそんな気にならない」

「ふぅん」


 嘘をついても看破されるだろうと思ったので正直に答えると、どんな感情なのかはともかく納得したように頷いた知佳は再び鈴鈴の方を向いた。


「確かに悠真は女好き。スケベだし、たらしだし、ジゴロ」


 反論すると俺の命が危ういので黙っておく。


「でもそれなりに筋は通ってる。スケベだけど」


 というか、反論できない。

 事実なので。

 たらしとかジゴロって部分には物申したいところがあるけども。


「だから、むしろこういう不誠実なやり方は逆効果」

「は、はい……」


 語尾のアルを忘れてるぞ、鈴鈴。

 

「それを踏まえて聞きたいことがある。正直に答えなかったら……」


 パチン、と扇子が知佳の掌に当たって、一際良い音を立てる。


「悠真に伝えた事は全て真実?」

「も、もちろんアル!」

「他に隠してることは?」

「ぅ……」


 鈴鈴の表情が歪む。

 どうやらあるようだ。

 アルではなく。


 パチン、と扇子が音を立てる。


「鍵を開けずに部屋へ入ることのできるスキルを持つ人間が、曖昧な情報で政府が何かを握っている可能性がある、なんて思うはずもない。何か隠してるでしょ」

「…………政府の要人が話してるのを聞いたネ」

「どんな話を?」

「よ、よくは聞き取れなかったヨ。でも……英雄の因子がどうとか言ってるのは聞いたネ。運命がどうとか、両親に呪いをかけ、事前に可能性を潰しておくとか」


 英雄の因子?

 運命?

 両親に呪いをかけ、事前に可能性を潰しておく?


 確かにそれだけ聞くと不可解な会話にしか聞こえないが、ミンシヤの過去を知る人が聞けばそれは別の印象を抱くようになる。

 

「なんでそれを隠そうとしてたの」

「あ、あまりに胡散臭いからアル」

「でもそれを信じて、こうして動いてる」

「それはそうアルけど……」

「悠真みたいなお人好しはそれでも納得するけど」


 ……思い当たる節は色々あるなあ。


「私は違う。信頼されないのなら、信用できない」

「ご、ごもっともネ……」


 すっかり意気消沈してしまった鈴鈴。

 居た堪れない空気感になってきた中、知佳はベッドから立ち上がる。


「要人の名前は後で聞くとして、話してた相手は誰?」

「名前は知らないヨ。でも、見た目は特徴的だったアル。笠を被ってて……ええと、日本語で言うと……」


 鈴鈴は少し首を捻って考える。

 日本語が流暢に喋れているあたり、頭は悪くないはずなんだよな鈴鈴。

 どころか、日本語はともかく英語もそこまで堪能ではない俺に比べればよほどマシだろう。

 アホっぽいフリをしているのはまた何か理由がありそうだ。

 ルルとはまた別種の。


「そう、みたいな格好をしてたアル」

「――――」 



 一切の周囲の音が消えたような感覚。

 部屋を彩っていた電飾が音を立てて弾け、壁に亀裂が入る。


 自分から凄まじい量の魔力が吹き出ているのだと気付いたのは、魔力に鈴鈴が口元を抑えてその場に蹲ってからだった。


「悠真」


 いつの間にかすぐ傍にいた知佳の体温を感じる。

 

「大丈夫だから。落ち着いて」

「…………ああ」


 頭の奥でチリチリと燻る怒りが引いていく。

  

 虚無僧のような男。

 確定ではない。

 外見的特徴が一致する可能性は十分ある。

 だが、俺の本能がそうだと言っている。


 そいつは、親父がお城ダンジョンで出会った奴と同一人物だ。

 絶対に許せない人物の一人。

 あいつは。

 あいつは、俺がこの手で。


「……落ち着いたよ。悪い」

  

 見れば、鈴鈴は体を震わせ涙を流し、彼女の座っているところが少し湿っている。


「悠真はちょっと部屋の外に出てて。散歩でもして、頭を冷やしてきて……一人で大丈夫?」

「ああ、平気だ。……すまん、知佳。鈴鈴」


 扉を開いて、外に出る。

 ホテルの内装を少し壊してしまったこと……は……今は知佳に任せるか。

 他の部屋に探索者が泊まっているかはわからないが、そうだとしたら迷惑をかけてしまったかもしれない。


 フロントに英語で声をかけ、外へ出る。

 中国語はさっぱりだ。

 

 ホテル周辺の地形だけさっと頭に叩き込んで、適当に歩き始める。


 途中地元の人らしきカップルが俺の顔を見てぎょっとしたような表情を浮かべ、踵を返していった。

 ……そうだ、認識阻害の魔法もかけなきゃな。

 

 忘れていたわけではない。

 奴への怒りを。

 

 風化していたわけではない。

 奴への殺意を。


 それでも、母さんも治って親父が無事生きていて、奥底に封じ込めていたつもりでいた。

 ……どうやらそう簡単な話ではなかったらしい。


 適当なところに目星を付けて、ぐっと膝を曲げて跳躍する。

 そしてよくわからない高いタワーの屋上へ着地した俺はそこからぼんやりと夜の町を眺めていた。


 見られていたら……面倒だが、まあいいか。

 どうせ見間違いか何かだと思うだろう。


 そのまま、何をするでもなく。

 30分か、1時間か。


 ぼーっとしながら夜景を眺めていると、スマホにメッセージが届いた。

 知佳からだ。


『もう帰ってきていいよ』


 とのことだ。

 帰るか。



2.



 部屋に戻ってくると、そこには知佳と鈴鈴だけではなくティナと綾乃、更にはミンシヤまでいた。

 要は全員揃い踏みだ。


 シャワーを浴びたのだろう、髪が少ししっとりしている鈴鈴は俺を見るとちょっと顔を赤くして目を逸らす。

 安心しろ、あの件については忘れてやるから。

 というか俺が悪いようなもんだし。


 知佳が口を開く。


「悠真が頭を冷やしてる間、少し話し合った」

「……結論は?」

「ミンシヤの件は、セイランが関わってる可能性が高い。もしかしたら妹がダンジョンに落ちたこと自体も――関係あるかも」


 あの虚無僧がいた以上、確かにセイランの関与の可能性は排除できない。

 そして英雄の因子だか呪いだか知らないが、ミンシヤの妹がダンジョンに落ちた。

 全てが偶然と考えるにはあまりにも出来過ぎている。


「で、どうする?」

「私と綾乃はダンジョンの外で待機する。悠真はスノウたち五人と、ミンシヤ、鈴鈴、ティナを連れてダンジョンを攻略して」

「駄目だ」


 俺は知佳の言うことに反抗した。

 多分、本気でノーを突きつけたのは初めてじゃないかと思う程だ。


「まず一つ。スノウたち全員を連れていくのはリスクが高すぎる。誰かを残して、知佳と綾乃。二人を守ってもらいたい」

「他には?」

「ティナも置いていく」


 危険すぎる。

 最悪、ダンジョン自体が罠の可能性すらあるのだ。


「……ユウマ、わたしが言い出したの。ついていくって」

「俺がなんで駄目だって言ってるかはわかるだろ?」

「でも、ついていきたいの。お願い、ユウマ」

「……いいや、駄目だ」

「ユウマから見たらわたしはまだ子供かもしれない。けど、ユウマを助けたい気持ちは……知佳さんや綾乃さん、スノウにだって負けてないから」

「あのな、ティナ……」


 俺がなんとかして言い包めようとしたタイミングで、知佳が助け舟を出してきた。


「悠真。ティナは連れていくべき」

「……どういうことだ?」

「ミンシヤの妹が偶然ダンジョンに落ちたのでないのなら、裏を返せばミンシヤの妹である事に対しての必然性があるということ。となれば早期発見は必須になる。ティナのスキルは必ず役に立つ」

「悠真くん、私からもお願いします。私や知佳ちゃんの分までティナちゃんに託してますから」


 綾乃まで。

 知佳の言うことはもっともだ。

 あり得ない可能性ではない。

 

 だが……


「もう一つ、ティナを連れていった方がいい理由がある」

「……なんだ?」

「ティナがいたら悠真も無茶ができなくなる。守る対象がいるんだから。悠真はそれくらいの方がいい」


 ……駄目だな俺は。

 ここまで気を遣わせるとは。


「分かった。けど、俺から離れるなよ。絶対にだ」

「……うん!」


 ティナが笑顔で頷く。

 

「ミンシヤと鈴鈴もだ。本当ならお前らも置いてっていいくらいなんだけど……」


 WSRで10位に位置するミンシヤはともかく、鈴鈴も恐らくかなりのやり手だ。

 戦力は多いに越したことはないし、二人とも捜索対象の妹を知っている。

 置いていく手はない。


「はい、もちろんです」

「わ、わかってるネ」


 後は……


「さっきも言った通り、スノウたちの中から誰かには残ってもらう」

「いいよ」


 そちらもまた知佳に言い包められるかと思ったが、やけにあっさりと了承された。


「こっちは本命ではなかったから。こっちは譲るけど、こっちは譲れない。相手に逃げ道を作ってあげた方が楽に要求が通る。覚えておいた方がいいよ、悠真」


 …………どうやら俺はまた一杯食わされたらしい。

 いつまで経っても知佳には勝てないな。



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第8章のタイトルですが、内容はもちろん決まってるのですが名前はかっこよさげなのを思いついた時に付けます……!

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