第362話:兎

 迷宮監視委員会のお偉いさん……主任? という人が俺に会いたいというメッセージが綾乃の元に届いた翌日。

 都内にあるとあるホテルの一室で、俺たちは向かい合っていた。


 こちらの面子は俺、綾乃、ウェンディ。

 あちらは主任一人。


 ボディーガードの一人くらいはいるものだと思っていたが、ウェンディも反応しない辺り、完全にあちらは単独のようだ。


 で、その主任だが――



「急な話にも関わらずこうしてお越し頂き、感謝します。フォン 泰然タイランと申します」


 と、英語で言ってお辞儀する。

 事前に中国語はわからないと伝えてあるので英語なのだろう。

 ミンシヤは当然のように日本語を話していたが……


 右の拳を左手で包んでいるのは中国系の映画でよく見る光景だな。


 年齢は30歳手前くらいだろうか。

 思っていたよりも随分年若い。

 

 それに細い。


 中国の迷宮監視委員のトップは元探索者だという話を出掛けに知佳から聞いていたのでもっとごついのが来るのかと思っていたが、優男風のルックスと相まって病弱にすら見える細さだ。


 ミンシヤのように実は女性、ということもないだろう。

 後で聞いたことなのだが、ウェンディは彼女を一目見た時点で本当は女性なのではないかということを考えていたそうだ。


 視覚的に捉えられる風の動きと、実際にミンシヤが動いたときに生じる風の音にズレがあったからだとか言っていたがぶっちゃけ俺にはよくわからない。


 まあ要するに、ウェンディが何も言わないってことは彼は見た目通り男性というわけだ。

 ……リーゼさんにもまんまと騙されているわけだが、これから俺は男を見る度に実は女性なのでは……? と疑わなきゃいけないのかなあ。


「今回はどのようなご要件で……?」


 特訓を重ねて「かなり自然になった」と綾乃や知佳からお墨付きを貰った英語で訊ねる。

 するとタイランさんは笑顔――ポーカーフェイスのまま、


「我々の国のダンジョンに興味がお有りのようで」


 まあ、それしかないよな。

 わざわざダンジョン関係のトップが出てきたんだから当然だ。


 それにしても、人畜無害そうな人だ。

 さえ感じることがなければ。


 巧妙に隠そうとはしているが、俺も最近は随分魔力感知に関しては腕を上げた方だ。

 半年前の俺ならば気付かなかった魔力量。

 恐らく綾乃は気付けていないだろう。


 魔力だけの基準で言えば、柳枝さんよりも若干少ないくらいか。

 

「ダンジョンに興味があると言うよりは、そちらの探索者―― 明霞ミンシャに興味があると言った方が正しいかもしれません」


 タイランさんの眉がぴくりと動く。

 そして意外そうな口調で、


「本名も明かしているのですか。つまり、秘密も……?」

「はい。一通りは。例のダンジョンに拘る理由もね」

「では話が早い。我々としては、優秀な探索者である李をこれ以上あの危険なダンジョンへ入場させたくはないのです」

「それはこちらも同意しますよ。でも、彼女にはそれでも行かなければならない理由がある。は既に治っている、ということは聞いていますか?」

「ええ。詳細については教えて頂けませんでしたが、皆城悠真様が何かをしたのだということくらいはこちらでも察しがついておりいます」

「何をしたのかは言えません。ですが、俺たちには粒子化した魔石を無力化する方法があるということです」


 エリクシードのことはまだ内緒だ。

 とは言え、知ろうと思えば知れる。

 既に日本では臨床試験が始まっているからだ。

 薬ではないので臨床試験と言うのもなんだか変な話ではあるのだが……

 物が物なので機密扱いにはなっているが、国家規模で探れば知れないということもないだろう。


 知らないフリをしているのか、詮索するつもりがないのかまではわからないが。

 

「我々としては、あのダンジョンはなるべく早く封鎖したい。しかし、李と町の強い反発を受けて中々踏み切れずにいるのです」

「……単刀直入に聞きますが、お金の問題で?」

「いいえ。十分な――十分すぎる金額を提示しておりますが、町民は町を活気づけた李 明霞の妹の捜索を終えるまでは、と反対しているのですよ」


 なるほど。

 好かれているんだな。

 李姉妹は。


 ダム建設という建前はともかく、何故未だに中国政府がダンジョン閉鎖に踏み切れていないかは分かった。

 計画を強行しないのは恐らくミンシヤが国から離れる可能性を危惧してのことだろう。

 

 ……で。


「話はわかりました。俺に何をしてほしいんです」

「あのダンジョンを攻略してほしいのです。報酬はもちろん支払います」

「…………攻略?」


 あれ。

 てっきりこっちの国の問題に手出しするな、くらい言われるものかと思っていたので身構えていたのだが。


「はい、正直に申し上げますと、我々は李の妹が生きている可能性はほぼ皆無だと考えております。ですがそれでも彼女は捜索をやめようとしない。何かが見つかるまでは諦めるつもりがないのでしょう」

「……なので捜索を手伝おうと思っていたのですが」

「実は私、とあるスキルを持っております」

 

 唐突なカミングアウトに面食らう。

 スキル?


「……どんな?」

「モンスターや人の強さが可視化される、と申し上げましょうか。魔力量とはまた別に、です」

「……!」

「具体的に言うと、動物が見えるんです。頭の上にね」


 マジかよ。

 某漫画に出てくる、よく故障を疑われる計測器スカウターほど便利ではないようだが似たようなことができるってことだよな?


 なにそのスキル超欲しい。

 マジで超欲しい。


「見える動物は私との力関係で決まります。例えば、そこの栗毛のお嬢さんの頭の上には兎が見えます」

「……それはどれくらいの関係なんです?」

「時間的な意味合いでの苦戦は強いられるが負けることはない。その程度でしょうか。兎は逃げ足が早いですからね」


 なるほど。

 綾乃は魔力量で言えばタイランさんと大差ない。

 だが、戦闘に関する才能はほとんど無いに等しいのだ。


 魔法こそ得意ではあるが、こと戦闘となると萎縮してしまう。

 逃げに徹すれば萎縮はしないだろうから、確かにタイランさんの言っている評価とも合致する。


 ……とは言え。

 今の綾乃相手に兎といえるってことは、この人やっぱりそれなりに強いんだな。


「本来は、1日、2日の間だけ李の妹捜索を手伝って頂ければと思っていたのです。しかし、この目で直接見て考え直しました。あなた方なら、その1日2日でダンジョンを攻略することさえ容易い、と。そうであればダンジョンを攻略してもらい、モンスターが湧かなくなった環境で徐々に掃討し、全てが終わった後に装備を整えて遺品探しをすれば良い」


 ……なるほど。

 ダンジョン内で動ける上に粒子を防ぐ防具はなくとも、動きは制限されるが粒子を防ぐだけの防具ならなんとかなるわけだ。

 

「先程も申し上げましたが、報酬は弾みます」


 そこで綾乃が口を挟んだ。


「……悠真くんを見て決めたということは、貴方の独断ですよね? 報酬は本当に大丈夫なのですか?」

「私にはある程度の権限が付与されています。特に、ダンジョン関係であれば――」


 少し声のトーンを落とすタイランさん。


「例え人を殺害しようと、罪に問われない」

「…………」


 ウェンディがピリッとした空気を醸し出す。

 するとタイランさんはパッと笑顔を浮かべ、


「流石にそこまでは冗談です。しかし、相応の報酬を出す程度ならば全く問題ありません」


 ……多分、冗談じゃないんだろうなあ。

 なんとなくだがそんな気がする。


 俺はため息をつく。


「わかりました。ダンジョンは攻略しましょう。ただし、妹を見つけてしまっても構わんのだろう?」


 俺がニヤリと笑って言うと、タイランさんは「もちろんです。その場合は、更に報酬を上乗せすると約束しましょう」と返した。


 ということで話が纏まり、他の軽い情報のやり取りは後ほど綾乃経由でと解散する直前。

 基本的に黙って事の運びを見ていたウェンディが、ふとタイランさんに訊ねた。


「ところで、マスターと私はどのように見えているのでしょうか」


 そういえば気になるな。

 綾乃が兎なら……

 俺やウェンディは虎とか竜だろうか。

 如何にも中国っぽいしな。


 しかし返答は意外なものだった。

 タイランさんは少し申し訳無さそうな表情を浮かべ、


「……口にするのも憚られる存在ですよ」


 とだけ言うのだった。

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