第348話:賢く生きる方法

 どす黒い赤色の魔力がエストールの体から噴き出す。

 己の身に収まりきらなくなったその魔力は、ただそこから漏れ出るだけで辺りへ干渉し和室風の部屋――この建物ごとボロボロにしていった。


 異変を察知した俺たちは即座に距離を取ったものの――

 その圧巻さに、目を奪われていた。


 途方もない魔力だ。


 本能が言っている。

 こいつを本気で暴れさせれば、それだけでこの世界は終わると。


 勝てない。

 これは――無理だ。

 

「ウェンディ!! 体への負荷は無視して良い、まず逃げるんだ!!」

「――はいッ!」

 

 風が俺たちを包み込み、急加速する。

 ウェンディが本気で翔べばその速度は音をも超える。

 単体での移動速度はシトリーに及ばないが、全体を移動させる力としては最高峰なのだ。


 全員が各々の方法で音速以上の衝撃に数秒間耐え抜き――

 転移石を封じる結界から出て、後は転移石で退避するだけだというタイミングで。


 その男は、俺たちの目の前にいた。


 それに気付いたウェンディが急制動をかけ、凄まじい負荷が俺たちの体にかかる。

 

 金髪は漆黒に染まり、顔立ちはややエストールの面影を残してはいるもののやや柔和になっただろうか。

 身長は俺より頭一つ分高い程度で、体付きは明確に筋肉質になっている。

 金色に輝く一本傷が額から顎下にかけて、右斜に走っている。


 

「何故逃げる?」



 そう素朴に問いかけてくる落ち着いた低い声音は、エストールのものとは既に異なっていた。

 それは彼の体が――意識が乗っ取られていることを示している。

 

 今までエストールの目を支配していた憎しみは、虚無に飲み込まれているように見える。


 

 一瞬、男の姿がブレた。

 次の瞬間、俺の視界からウェンディが消えた。

 遅れて、その場に残った血と離れたところから衝突音が聞こえる。


 起きた事象に対して、脳が理解を拒否する。



「――――あああああああ!!」


 シトリーが雄叫びを上げながら突っ込んだ。

 俺の目にも見えないほどのスピード。

 雷速を超えた――限界以上の攻撃。


 しかし奴はそれを受け止め、その腹に膝蹴りを叩き込んだ。

 カウンターを主体とするシトリーの戦法が全く通用しない程のスピードにパワー。


 氷が男を覆う。

 ただ覆うだけではなく、芯まで凍らせるような必殺の一撃。


 しかしそれはあっさりと破られ、その残骸である礫が飛来してスノウがやられる。

 フレアの炎はまるでただ日差しを浴びているだけかのように無視され、衝撃波のようなもので吹き飛ばされた。


 地中から伸びた木の根はあっさりと止められ、高速移動してきた男に跳ね飛ばされるようにして――ボロ雑巾のようにシエルも吹き飛ばされる。


 全て、俺が一瞬硬直している――硬直してしまった間での出来事だった。

 一瞬で。

 壊滅したのだ。


 抵抗も許されず、手応えもなく、容易く、呆気なく。

 我に返った俺が動こうとするが、それより先に接近してきた男に首を絞められる。


「がっ……はっ……!!」


 全力で抵抗しても指一つ剥がせない、万力のような力で。

 気道が塞がり、血流が止まり、意識がブラックアウトしかける。


 一瞬でそうならないのは俺を守る膨大な魔力のお陰だ。

 

「――ふむ。良い」


 男は呟いた。


「この体は、良いな。よく馴染む」


「気に入っていただけましたか、魔王」


 黒いワープゲートのようなものから現れたベリアルが、男に――魔王へ話しかける。

 自らの仕事を誇らしげに報告するかのように。


「1000年単位で他者を憎み続けた極上の素体でございます。悪感情を糧とする我々にとって、それ以上の肉体は存在しないかと」

「元々の鍛錬も欠かさなかったようだ。オレの為に、ご苦労だったな。ベリアル」

「いえいえ」


 にんまりと笑いながら答えるベリアル。

 どこまでも――読めない男だ。


「それから、あなた方に一つ悲報があります。転移を封じる結界はエストール……つまり魔王の体を中心として展開されています。なので、どのみち逃げることはできませんよ」

 

 


「して――人間。お前は興味深いな」

「…………!」


 魔王の空虚な瞳が俺を捉える。

 そこに俺は写っているはずなのに、まるで違う何かを見ているかのような。

 

「只の人間がどうしてここまでの魔力を持てる? 魔人に成りかけていると言っても過言ではない。いや……勇者に覚醒しかけているのか?」


 それにベリアルが答える。


「それは異界の者にございます、魔王。召喚術師――先程一蹴した女達の主がこの男です」

「異界か。なるほど、興味深い。天界イーヴァへ攻め込む前に、他の世界から戦力を調達するのも有りかもしれないな」

「この者は?」

「素質は素晴らしい。しかし、勇者の素質を持つのなら殺す他ない」


 首にかかる力が強まる。

 腕と手を掴んで必死に剥がそうとするが、意識が遠ざかって行く。


「抵抗すれば苦しむ時間が増えるぞ」

「く……そ……がっ……!!!!」


 駄目だ。


 もう――



「――そうはさせないわよ」


 魔王の腕が氷に包まれる。

 濃密な魔力の籠もったそれに、反射的に奴が俺の首から手を離した。


「がはっ……!!」

 

 急に肺へ送り込まれた空気にむせる中、スノウが俺の前に立ち塞がった。

 吹き飛ばされた時にどこかで傷でも作ったのか、服に血がついている。

 

「もう動けるようになったか。できるよう加減はしたが、動ける程に手を抜いたつもりはないのだが」


 魔王が感情を感じさせない、抑揚のない声で言う。

 

「このあたしを氷の礫なんかで倒せるわけないでしょ」

「なるほど。では、この手で動けぬようにしてやろう」

「やれるもんならやってみなさい!!」


 巨大な氷が魔王と、ついでにベリアルを覆う。

 これまでに見たどの攻撃よりも大きな魔力が込められている。


 これで勝ったんじゃないかと思う程だ。


「無理よ、この程度じゃ」

 

 俺の期待を読んだかのように、スノウが呟く。

 

「抑えてるだけで精一杯。だからあんたは逃げなさい」

「……え?」

「姉さんたちも、さっきの攻撃で死んではいないはず。担いででもなんでも、逃げて。ここで足止めできるのはあたしだけよ」

「逃げろって……お前は……」


 記憶がフラッシュバックする。

 初めてスノウと出会ったあのダンジョンでの出来事が。


 あの時、俺は――



「あんたは召喚術師よ。そしてあたしは使い魔の精霊。どちらが生き残るべきか、わかるでしょ」


 氷が割れる。

 魔王はともかく、ベリアルもほとんどダメージを受けている様子すら見せない。



「なるほど、白い女。お前は足止め要員か。その間に主である召喚術師が逃げおおせる――という作戦だな」

「そういうことよ。あんた達はここから一歩も動かさない。絶対に」


 スノウから強い念話が入る。

 

 逃げて、と。


「オレの体を中心に展開されている結界から召喚術師が出るのが先か、白い女が力尽きるのが先か。どちらに賭ける、ベリアルよ」

「そうですねえ、私は――」


「――逃げねえよ」


 絞り出せ。

 自分お前の取り柄だろう、それだけが。

 

 努力で掴み取った力じゃない。

 貰いもんの力だろうが、偶然の力だろうが。

 それが俺の仕事だろう。


 逃げるな。

 戦え。


 戦え。

 

 戦え。


 魔王が興味深そうに俺を見る。

 まるで少し珍しい柄をしている虫を見るかのような、なんてことない興味だが。



「少しはマシになったな」

「魔王、油断はなさらぬよう。四天王の残り3人は、あの男に敗れております」

「これほどの力ならば頷ける話だ。感情を力に変える、か。蛮勇だな。嫌いではないが、賢い生き方だとは言えない」

「――うるせえよ」


 勝つんだ。

 絶対に。


 こいつらを倒して――



「自分の好きな女を見捨てて逃げるってことが賢い生きる方法だってんなら、俺は馬鹿なまんま世界を救ってやるよ!!」



「――それでこそ、俺の英雄だ」


 

 どこからか、声がする。

 腰に提げた剣が熱く共鳴する。


 そして。


 白いワープゲートのようなものが、俺たちと魔王の間に出現した。

 そこから――


 一人の男が姿を現す。

 こちらを見て笑みを浮かべるそいつは、長い金髪に紺碧の輝きを持つ瞳。

 そして尖った耳と、見覚えのあるハンサム顔。 


 

 俺の知る限り、最強の男。


「久しぶりだね、悠真。5000年振りくらいかな。遅かったかい?」


 とぼけたことを言うそいつに、俺は思わず噴き出してしまう。


「馬鹿野郎、最高のタイミングだ」


 魔王が片眉を上げる。


「……強いな。何者だ?」


 金髪エルフは俺の方に歩み寄りながら、その質問に答える。

 

「妖精王オーベロン」


 そして俺の肩をぽん、と叩いて振り返る。



「又の名をアスカロン。彼に世界を救われた男さ」

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